バビロンとはどんな都市?
ユーフラテス川両岸にまたがるメソポタミアの古代都市(現・バグダッドから南へ80〜90kmの場所)で、守護神はマルドゥクとされています。紀元前18世紀のハンムラピ時代からヘレニズム時代までオリエント文明の中心として繁栄。
王宮、城壁、神殿などからなり、青い釉薬(ゆうやく)タイルで装飾された「イシュタル門」のほか、旧約聖書に登場する「バベルの塔」の基とされる聖塔といった建造物があったといわれています。
そして、城壁内に築かれたとされる階段状に配置された「空中庭園」こそが、世界の七不思議のひとつになっているのです。
「空中庭園」は、バビロン王であるネブカドネザル2世によって築かれたといわれています。
なお、バビロンは紀元前3世紀ごろに衰退して消滅。その遺跡群は2019年に世界遺産に登録されています。
バビロンの空中庭園は実在した可能性が高い!?
以下、世界の七不思議の建造物で、今もほぼ無傷で残っているのは、ギザの大ピラミッドのみ。ほかの建造物に関しては、消滅したり、廃墟になったりしています。しかし、いずれも都市伝説などではなく、文書や考古学的証拠が多数存在。そのため、バビロンの空中庭園も実在した可能性は十分あるのではないでしょうか。
- 世界七不思議
- バビロンの空中庭園|イラク
- ギザの大ピラミッド|エジプト
- アレクサンドリアの大灯台|エジプト
- ロドス島の巨像|ギリシャ
- オリンピアのゼウス像|ギリシャ
- マウソロス霊廟|トルコ
- アルテミス神殿|トルコ
このリスト(世界の七不思議)を作ったのは、紀元前225年頃、ギリシャの数学者であったフィロンという人物である点も、信ぴょう性がありそうです。
どんな庭園だったのか?
石柱の上にヤシの梁(はり)が渡された土台の上に作られており、格子状に組まれたヤシの梁に土が厚くかぶせられ、多彩な木々や花々が植えられていたそうです。たくさんの大きな容器に集められた水が、庭園全体に行き届くような、優れた灌漑(かんがい)システムも構築されていたとか。
空中庭園と聞くと、ジブリ映画『天空の城ラピュタ』に登場するような、浮いている庭園を想像してしまいますよね。しかし、実在したとしたら、宮殿の屋上や高い場所に造られた庭園である可能性が高そうです。
空中庭園は別の場所にあったのか?
実はバビロニアの庭園が空中にある、もしくは階段状になっているといった描写が登場する書物は、早くて紀元前4世紀のものだそう。ネブカドネザル2世の時代からわずか100年後のギリシャの歴史家ヘロドトスは、著書の中でバビロンに触れていますが、庭園についての言及は見られず、ネブカドネザル2世が統治していた時代の文書にも、高い場所に庭園があったとは記されていないとか。
これが何を意味するかといえば、空中庭園がそもそもバビロンにはなく、別の場所に存在した可能性があるということ。
オックスフォード大学のアッシリア学者、ステファニー・ダリー氏は、空中庭園はネブカドネザル2世ではなく、アッシリアの王センナケリブによってニネヴェ(古代メソポタミア北部の都市)に築かれたのではないかといいます。
センナケリブの孫の統治時代の彫刻には、なだらかな坂に沿って木々が植えられた庭があり、その頂上に建物がある様子が表現されているほか、センナケリブが革新的な土木事業を行っていたとされているとか。
さらに発掘調査により、ジャーワン渓谷からニネヴェの街まで、200万個の石からなる水道橋がセンナケリブの時代に造られていたことも、わかっています。
確かに、ニネヴェの優秀な水道システムへの言及に尾ひれがつき、古代の学者たちが、それをバビロンについて語られたものと間違えたとしたら、あり得そうですね。
とはいえ残念ながら、空中庭園らしき遺跡はまだ見つかっていません。どこかのタイミングで完全に破壊されたかもしれませんし、場所が違うのかもしれませんが、実在していたとしたら、どのような庭園だったのか見てみたいですよね。
現在の空中庭園は上海にある!?
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2021年12月に開業した、上海の新しいランドマーク「Tian An 1000 Trees(天安千樹)」は、その見た目から上海の「バビロンの空中庭園」と呼ばれています。英国の建築家、トーマス・ヘザウィック氏が設計を担当。
高さ約60m、地下3階・地上9階建ての大型複合商業施設で、1,000本の樹木を冠した、打ち放しコンクリートの「ツリーポッド柱(鉢形)」が、そびえ立っていてインパクト大! 上海を訪れたら、ぜひ見たい建造物ですね。
[参考]
実在したのか? 幻のバビロンの空中庭園の謎を追う|ナショナルジオグラフィック
[All photos by Shutterstock.com]