
【初代制服/1951年〜1953年】JALのCA(客室乗務員)の制服が誕生
初代 1号夏服
1951年8月27日の披露・招待飛行に急遽間に合わせたのが初代の制服(夏服)です。デザイナーは門田 稔氏。シルバーグレーの薄手のウール生地(英国製トロピカル)で襟あり、3ボタンのシングルスーツ。上着左胸の外付けポケット上部に、JALの胸章がありました。
最近はJALの制服というと紺色のイメージが強いので、シルバーグレーのこの制服は新鮮な印象です。スカートは膝下15cmで、サイドに小さなスリットあり。帽子は頭頂部がない天井なしタイプでした。
初代 2号冬服
1951年10月から着用されていた冬服は、エアフォースブルーのウール・ギャバ地。襟あり上着には、両袖に濃紺の一本線、3個の金属ボタン、左胸の切りポケット下部に胸章が付いています。天井付きの帽子には、1952年1月から鳥の翼のワッペンが付きました。

初代 3号夏服
1953年6月~9月に着用された夏服は、色は薄いブルーグレーで、両袖にライトグレーの一本線、生地と同系色のボタン3個、左胸の切りポケット下部に胸章が付いています。スカートは、前にスリットが入っており、天井付きの帽子は左前部に銀の翼が付いていました。

国際線運航スタートに向けた訓練
JALアーカイブズセンター展示より
1954年から始まった国際線運航に備え、ユナイテッド航空から派遣されたアトウッド教官による、ダグラスDC-6Bプロペラ機内での訓練風景の写真もあります。アトウッド教官は、1953年8月から1954年4月までJAL客室の訓練を行った後、ユナイテッド航空にもどり、1989年まで教官として乗務を続けました。
ちなみに、日本における国際線定期便の初フライトは1954年2月2日、行き先は米国・サンフランシスコでした。座席はファーストクラスのみの36席。当時のJALファーストクラスについては、以下の記事で詳しく紹介しています。
【2代目制服/1954年〜1960年】国際線運航がスタート

1954年2月の国際線開設を記念して、2代目制服が誕生しました。デザイナーは伊東 茂平氏。ネイビーブルーの襟なしで、左胸ポケット下部に胸章があり、同色の帽子は天井付きで左前部に銀の翼が付いています。2代目制服からは夏冬兼用に。国際線就航に備え、前年の秋から一部着用が始まりました。
JALアーカイブズセンター展示より
1953年11月、サンフランシスコ-東京間の試験飛行に乗務したアトウッド教官と一期生3名の写真も残っています。機内設備の訓練風景や、制服支給のシーンも。
JALアーカイブズセンター展示より
DC-6B型機の前で客室乗務員が並んだ写真も。当時のファーストクラスは着物で機内サービスが行われていたため、着物姿の客室乗務員もいます。
ファーストクラスのみだった国際線でエコノミークラスが誕生
JALアーカイブズセンター展示より
1954年4月には、国際線ツーリストクラス(現在のエコノミークラス)が誕生。機内食の提供では、紙製のボックスがトレイ代わりに利用され、メインディッシュは仔牛料理でした。写真は当時を再現したものです。
おむつ替えの速さを競う!?ユニークなコンテストも
1956(昭和31)年8月16日、日米と台湾の航空会社主催で「国際おむつ替えコンテスト」が行われました。その名の通り、客室乗務員がいかに手際よくおむつを取り換えられるかを競ったもの。民航空運公司(CAT)、パンアメリカン航空(PAA)、日本航空3社の客室乗務員各2名、計6名が参加し、同タイム優勝3名という結果に。
【3代目制服/1960年〜1967年】初のジェット旅客機 DC-8就航

1960年8月、初のジェット旅客機 DC-8の就航を記念して一新された紺(ロイヤルブルー)の制服が3代目です。2代目制服同様、デザイナーは伊東 茂平氏。襟なし上着で胸ポケットなし、4個の金ボタン、胸章付きです。
3代目の制服まで、襟なしジャケットに白シャツというスタイルが定番のように見えます。
JALアーカイブズセンター展示より
金色の4ボタン、帽子はハート型の天井に銀白色のあご紐付きでしたが、1961年12月にターバン帽に変わりました。新制服発表会も行われ、機内サービス時サービングコートの写真も見ることができます。
1959年2月には客室訓練所も開設し、日を追うごとに訓練内容も充実していきました。
ジェット旅客機 DC-8にはファーストクラスラウンジもあり、装飾画の原画は前田青邨画伯作です。
過酷すぎた北極経由の欧州線
日本文化をより知ってもらうために配られていたノベルティのひとつ。北極通過記念の扇子 JALアーカイブズセンター展示より
1961年6月、JALは北回り欧州線を、エールフランス航空との共同運営から移行し、DC-8型機での自主運航を始めます。北極経由となる北回り欧州線は、極寒の地を飛ぶため、非常に特殊な訓練が行われていました。
万一に備え、機内にはホッキョクグマ撃退用のライフル銃を搭載。客室乗務員たちは、極寒の地で生き延びるために雪洞(ゆきぼら・雪を掘って作る雪山の避難スペースのこと)を作る訓練や、ライフル銃の操作方法まで学んでいたというから、まさに命がけです。31年間続いたこのルートで、訓練の成果を発揮する機会は一度もありませんでした。
【4代目制服/1967年〜1970年】世界一周路線が開設

1967年3月、世界一周路線の開設を記念して、スカイブルーの制服になりました。デザイナーは森 英恵氏。着物のように前を打ち合わせた上着で2つボタン、ポケットはフラップ付きで、右胸に真珠で縁取られた鶴丸のブローチがワンポイントになっています。丸首ブラウスで、スカートは後ろスリット。正面に鶴丸の帽章が入ったお椀型の帽子でした。
これまでとはガラリと印象が変わり、鮮やかなカラーが目を惹きます。これまでの写真にはなかった手袋も着用していますね。

1967年3月6日、世界一周線西回り1番機が東京国際空港(羽田)を出発。これを記念して、その前日の5日にパーティーが行われ、この席で新制服が発表されました。
JALは国際線に後発で参入しており、米国の広告会社から「日本航空より先に日本を売れ」とアドバイスを受けたことから、着物でのサービスやおもてなしに力を入れて国際線サービスを展開します。日本文化を世界に知ってもらうため、着物の着付けは大事なたしなみのひとつでした。また、カクテルの調合も欠かせない科目として、真剣な表情で訓練に励む客室乗務員も記録されています。
中国人CAの乗務開始

1966年8月には、香港線で中国人客室乗務員の乗務がスタート。広東語・北京語・英語に堪能な人材を初めて香港で採用しました。制服は森英恵氏デザインの中国テイストのものを着用しています。
白っぽい生地にパイピングが施された、中国テイストの制服もとても素敵です。
【5代目制服/1970年〜1977年】ミニスカートワンピースの制服が話題に

1970年7月、ジャンボジェット機(ボーイング747)の就航にあわせて新制服となり、時代の流行に合わせたミニスカートのワンピースを採用。紺色で左胸ポケットにJALの刺繡が入っています。

前ボタンタイプから後ろジッパータイプに。今やCAの制服といえば必ずスカーフがあるというイメージですが、このころ初めてスカーフが取り入れられました。デザイナーは4代目と同様に、森 英恵氏が担当。
靴や幅広の赤いベルトは、レトロさを感じさせるデザインです。スカーフやベルト、靴に取り入れられた赤がポイント。紺と赤の組み合わせは、現在のJALの制服に近いですね。

写真にある中央の水色ロングワンピースは、ファーストクラスを担当するパーサーが、食事サービス時に着用していたもの。胸元にパールのネックレスをするのが正式な着こなしでした。

ロングワンピースとエプロンに施された、鶴をモチーフにしたデザインがとても素敵。ワンピースに合わせて、シルバーのパンプスを着用していたようです。パンプスは結構なヒールの高さで、これで機内サービスを行っていたのかと驚きます。JALアーカイブズセンターには、貴重な現物が保管されていました。

このミニスカートワンピースの制服は、当時サトウ サンペイ氏の漫画や、国際線の客室乗務員が厳しい訓練を乗り越え成長していく姿を描いたTVドラマ「アテンションプリーズ」(初代)などでも使用され、大きな話題となりました。
豪華なラウンジ「日航ダイニングルーム」の誕生
JALアーカイブズセンター展示より
ジャンボジェットを導入した際、機体上部(2階席)には「日航ダイニングルーム」と呼ばれる豪華なラウンジが設けられました。バーカウンターを完備し、空の上の社交場としてファーストクラスの乗客に優雅なひとときを提供したのです。
DC-8機で6名だった客室乗務員が、国際線ジャンボジェットでは17名に増えたため、1971年4月、新しい人事制度が導入されました。それまで男性が務めていたパーサーや、アシスタントパーサーにまで女性の職域が拡大。ジャンボジェット機の導入が、女性客室乗務員の職域拡大と労働環境改善の大きな推進力となったのです。

1972年10月、カンカン、ランランの2頭のジャイアントパンダ空輸のため特別便を運航。当時の写真も残っています。
【東亜国内航空(TDA)が誕生】初代〜2代目制服/1971年〜1975年
1971年5月、日本国内航空と東亜航空が合併し、東亜国内航空が誕生。それまでは両社ともに制服は紺のツーピースに白のブラウスでした。
初代制服は4カ月間のみ着用
JALアーカイブズセンター展示より
東亜国内航空の初代制服が着用されたのは、1971年5月〜9月の4カ月間のみ。新しい制服ができるまでの間、旧日本国内航空の夏服をそのまま着用していたからです。東洋紡がデザインを手がけた、マリーゴールド(オレンジ)色の立衿ワンピース。レトロで時代を感じます。
2代目(1971年10月〜1975年)が事実上の東亜国内航空 初代制服です。社章、機体塗装と合わせた赤に近いオレンジ色は、ツーピースで衿なしスーツに立衿のブラウスでした。流行を取り入れたミニスカートです。
1973年10月29日、DC-9型機体のカラーマーキングが新しく“レッド&グリーン”に決定。機体をバックに客室乗務員たちが並ぶ写真もありました。
東亜国内航空(TDA)は、その後国際線への進出を見据えて日本エアシステム(JAS)へと社名を変更し、最終的には2004年にJALと経営統合することになります。
【6代目制服/1977年〜1987年】

1977年10月から10年以上着用された6代目制服は、紺のワンピースに6個の金ボタン、バックル付きの赤いベルト、左胸ポケットのフラップにJALの刺繍が入っていました。
赤と白のしま、紺と白のしま、紺無地といった3種類ある長袖ボディーシャツのレイヤードで、着やすく働きやすいと好評だったそう。これまでの制服と比較すると、ボーダー柄が新鮮! 帽子はあご紐付きのツバありタイプ。デザイナーは引き続き森 英恵氏が担当しました。

機内サービス時に着用するエプロンのカラーバリエーション(全5色)も豊富です。JALの象徴「鶴」が大きく描かれたデザイン。色と柄がとても華やかで、5代目のエプロン同様、個人的にとても好きなデザインです。
1981年4月には初の女性チーフパーサー6名が誕生し、女性の職域が拡大しました。
【東亜国内航空(TDA)】3代目制服/1975年〜1988年
JALアーカイブズセンター展示より
東亜国内航空の3代目制服は、渡辺 豊美氏がデザインを担当。DC-9機の導入で次々ジェット化が進んだ1975年、冬制服から鮮やかなセルリアンブルーのスリーピースに。レッド&グリーンのスカーフがポイント。写真で見る夏服は、白い帽子が涼しげな雰囲気です。
1986年9月19日、初の国際線チャーター便である大阪-ソウルが出発。このあと、東亜国内航空は日本エアシステムへと社名変更し、国際線へ進出します。
【日本エアシステム(JAS)】4代目制服/1988年〜1997年
JALアーカイブズセンター展示より
吉田 ヒロミ氏がデザインを担当した日本エアシステムの4代目制服。社名変更と国際線進出に合わせて新制服となり、パープル系濃紺のスーツにピンクとブルー2種類のスカーフを合わせました。
1988年7月1日には、初の国際線定期便 成田-ソウル線が就航。同じタイミングで、機内誌「ARCAS」が創刊(隔月発刊)されました。
1996年3月3日から、航空機では世界初の女性用トイレ、花の香り「フローラル・ルーム」のサービスがスタートし、全機に設置。ポプリやオーデコロン、ハンドクリーム、あぶら取り紙などが備えられました。
【7代目制服/1988年〜1996年】民営化を記念して一般公募デザインに

JALの7代目制服は、1987年11月17日の完全民営化を記念して、1988年1月から制服を一新。初の一般公募で7,830点の応募の中から、本井 重信氏のミリタリー調のツーピースに決まりました。
色は紺色、胸章付きの上着はミリタリー調ダブルスーツでウエストが絞られたデザインです。タイトスカート、ストライプ入りブラウスにリボンタイプのスカーフを着用。ミリタリー調デザインに金ボタンがよく映えます。帽子は幅広で縁ありお椀形、鶴丸がはばたくデザインの帽章付きでした。
外国人CAを大量に採用
1988年には、イギリス人70名、ドイツ人22名、シンガポール人21名、計113名の外国人客室乗務員を採用。それまでも中国人や韓国人が一部路線に乗務していましたが、これだけの多くの外国人客室乗務員を採用するのは初めてでした。
話題の「寿司バー」や大人気シリーズ「UDON de SKY」

1991年3月30日には、ファーストクラス・エグゼクティブクラスのサービスとして「寿司バー」が登場。成田-ワシントン線の就航記念として、6月末までの3カ月間行われ、話題となりました。
JALアーカイブズセンター展示より
1992年6月、オリジナル機内食「UDON de SKY」を国際線長距離路線でサービス開始。気圧の低い機内食用として開発され、「SOBA de SKY」、「RAMEN de SKY」、「ちゃんぽん de SKY」と、シリーズが続きました。
1992年10月には、2大ビジネス路線である、ロンドン線、ニューヨーク線のファースト・エグゼクティブクラスを対象に、「JALビッグ・エクスプレス」をスタート。現場社員から寄せられたアイデアが盛り込まれた、予約から到着後の宿泊までのトータルサービスです。
【日本エアシステム(JAS)】5代目制服/1997年〜2004年
JALアーカイブズセンター展示より
日本エアシステムの5代目制服は、スタイリスト 原 由美子氏監修のもと、社内デザインで1997年に誕生しました。レインボーセブンと呼ばれた、ボーイング777-200の導入を機に更新。
ジャンパースカートとジャケットのアンサンブルで、冬は濃紺、夏はライトブルーの2種類があり、夏のブラウスは丸首でボーダーのTシャツでした。
1999年3月に開設された関西-昆明線では、2001年11月から、雲南省の少数民族の衣装を着た客室乗務員が機内サービスを実施。
不時着時の洋上脱出訓練や、消火訓練、ビューティレッスン、サービス訓練の様子も写真があります。約2カ月の訓練・OJTフライトののち、厳しいチェックに合格して初めて、独り立ちして一人前の客室乗務員として乗務できるようになるのです。
【8代目制服/1996年〜2004年】「JALエグゼクティブクラス SEASONS」誕生

1996年10月1日、7年ぶりにエグゼクティブクラスが刷新され、「JALエグゼクティブクラス SEASONS」が誕生。これに合わせて生まれたJALの8代目制服は、稲葉 賀恵氏がデザインを担当。
5代目制服以降、赤がポイントとして入っていたデザインからはガラリと雰囲気が変わり、落ち着いたシャープなデザインになりました。
JALアーカイブズセンター展示より
「お客さまにより親しみを感じていただけること」「個人のセンスを活かしつつも統一した美しさがあること」「気品に満ちていること」をコンセプトに、働きやすさを第一に考えられたシンプルなデザインとなっています。色はミッドナイトブルー、上着はシングルスーツに4個の金ボタンと4個の外ポケットが付いていました。チーフパーサーはベージュのダブルスーツを着用。帽子は廃止されました。
客室乗務員のバッグ。写真右が6代目制服時、写真左が8代目制服時。JALアーカイブズセンター展示より
「JALエグゼクティブクラス SEASONS」は、価値ある時間を提供するというコンセプトのもと、繊細で豊かな日本の四季が機内サービスの随所に織り込まれました。シート・機内食・空港ラウンジなど、サービスを全面的にリニューアル。「JAL Skyluxe Seat」は米国B/Eエアロスベース社と共同開発したものです。

2003年4月には機内誌も統合し、「skyward」となりました。
リゾート路線を盛り上げた「リゾッチャ」
1994年から2009年3月まで行われていたリゾート路線のキャンペーン「リゾッチャ」。特別塗装機が導入され、機内でもお客さんが楽しめる企画やアメニティを用意するなどの趣向を取り入れていました。
機内ではビンゴなども行われていたそうで、乗客みんなが一緒になって楽しむ企画って今となっては新鮮に感じますね。
【9代目制服(統合後の初代制服)/2004年4月〜2013年5月】JALとJASの統合

2004年4月、日本航空が日本航空インターナショナルに、日本エアシステムが日本航空ジャパンにそれぞれ社名変更し再編、JAL・JAS完全統合体制が発足しました。
統合後の初代制服は、JALマークの「The Arc of the Sun」をイメージし、「信頼感と洗練」がコンセプトでした。デザインは稲葉 賀恵氏が担当。上着はシングルスーツに3個の金ボタン、襟あり。スカーフはピンク、ブルー、グリーンの3種で、チーフパーサーのスカーフは2種(紺地に白、白地に紺)でした。
2006年10月1日、日本航空インターナショナルと日本航空ジャパンが合併し、新生「日本航空インターナショナル」が発足。同日、羽田空港第一ターミナルで歴代制服を着た客室乗務員が一列に並び搭乗客を出迎えました。
【10代目制服/2013年6月〜2020年】国際線新シートJAL SKY SUITE 777が就航

10代目制服は、丸山 敬太氏がデザインを担当。経営破綻と再上場を経て、美しいデザイン、吟味された機能性、そして「おもてなしの心」を体現する全JALグループ客室乗務員共通の制服として着用が始まりました。
ワンピースが採用され、ジャケットはシングルスーツで金の2つボタン。襟と後ろのフレアプリーツは、ブランドカラーの赤で鶴をイメージしたものです。ベルトは鶴丸ロゴ入り。チーフパーサーのジャケットは白、スカーフは職位・会社ごとに異なるデザインに。エプロンは廃止されました。
2013年1月には、国際線新シートJAL SKY SUITEを装備したボーイング777-300ERが就航します。すべてのクラスで快適性と機能性が大幅に進化。また、2012年7月からは国際線機内インターネット接続サービス「JAL SKY Wi-Fi」も始まりました。
【11代目制服/2020年4月〜現在】初のパンツスタイルを導入

2020年4月から着用が始まった11代目制服が、現在の制服です。デザインは江角 泰俊氏が担当し、コンセプトはハイブリッドビューティー。ワンピースにシフォンのバルーンスリーブを採用し、ウエスト部分はリブ編みで動きやすくしました。
10代目制服も赤がポイントになっていますが、11代目制服の赤はやや深いレッド、という印象です。

初のパンツスタイルを取り入れ、ワンピースとパンツスタイルを選択できるように。チーフパーサーのジャケットは白、エプロンを再導入しました。スカーフは、会社・職位ごとに異なります。
JAL SMART AIRPORT 羽田空港で本格スタート
2020年12月、手荷物タグを発行できる新型自動チェックイン機と、Self Baggage Drop(自動手荷物預け機)を設置。新しい空港サービスが始まったことで、乗客の利便性が高くなりました。
制服にもJAL75年の軌跡が刻まれている
1951年の初フライト以来、空の旅に華を添えてきたJALの制服。時代ごとの制服を振り返ると、そこには75年にわたるJALの挑戦と、日本の航空業界の発展の軌跡が刻まれていました。
画像提供:日本航空
