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山形県の河北町は日本一のスリッパ生産地
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スリッパを普段、自宅で使っていますか? ホテルに行ったり、旅館に行ったりすると、普段は履かない人でも利用するかと思います。
そんなスリッパづくりで最も盛んな土地といわれたら、どこになるのでしょう。実は、日本一のスリッパ生産量を誇るのは山形県の河北町といわれています。
山形県の河北町は県内の内陸部、県庁所在地の山形市がある山形盆地の北側に位置する自治体です。観光スポットとしては、さくらんぼ神社などが地元の観光局によって紹介されています。その河北町では、スリッパの生産も盛んなのですね。
スリッパは日本で生まれた履物
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そもそも論としてびっくり仰天、スリッパは日本で生まれた履物なのだとか。日本はきもの博物館の学芸員によると、スリッパの誕生は明治初年、東京の仕立て屋が考案したといいます。
幕末から明治にかけて、日本に訪れた西洋人を宿や寺社に泊まらせる際、靴と裸足の中間的な履物のニーズが各地で生まれ、上述の仕立て屋が考案したのだとか。
もともと、河北町では、草履の生産が盛んだったそう。生活様式の変化に適応する形でそのスリッパづくりに移行し、地場産業として現在の状況を確立したのですね。
今では輸出もされているスリッパ
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この河北町のスリッパ、いろいろなところで活躍しています。例えば、引退した機体や新幹線の座席シートの布をスリッパとしてアップサイクルさせる取り組みがニュースで報じられていました。
さらに、大きな話題としては、コロナ禍での海外需要です。新型コロナウイルス感染症の影響で、普段は家の中で靴をぬがない外国人たちにも、感染予防を目的として履物を履き替えるニーズが生まれました。
そこで、日本のスリッパに注目が集まり、河北町のメーカーに世界から注文が来たのだとか。もともと、海外から来た欧米人をもてなすために日本で生まれたスリッパが、その欧米人たちの母国に輸出されるまでに至ったのですね。
河北町の産地には、「阿部産業」のように100年を超す歴史を誇るメーカーもあります。「道の駅河北」などでは地元産のスリッパも販売されていますので、現地を旅行した際には、山形土産としてスリッパを買って帰る楽しみ方も新しいかもしれませんね。
[参考]
※ 河北町とスリッパの歴史 – かほくスリッパ
※ 阿部産業株式会社
※ 山形・河北の町工場、ANAとコラボ スリッパ製造「後藤」 座席カバー再利用し商品化 – 河北新報
※ スリッパ生産量日本一の町から初輸出へ 海外で室内用に 山形 – NHK
※ 道の駅河北「ぶらっとぴあ」1階 – 河北町観光ナビ
※ スリッパ – 日本はきもの博物館学芸員武知邦博
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