新紙幣の顔・渋沢栄一ゆかりの地へ
東京都北区・飛鳥山公園
2024年7月3日に発行された新紙幣。1万円札の肖像に選ばれ、文字通りの新たなお札の顔となったのは渋沢栄一。日本初の銀行を設立し、生涯に約500の企業の設立、育成に関わったという、日本経済の基礎を築いた偉人です。
東京都北区に位置する飛鳥山公園の一角には、彼が晩年の拠点とした、「旧渋沢家飛鳥山邸」があります。
はじめは国内外の賓客を招くための別荘として、後には家族とも過ごす日常の本邸として、1879(明治12)年から亡くなる1931(昭和6)年までをここで過ごした渋沢栄一。
往時は8,470坪(約28,000平方メートル)という広大な敷地に、日本館と西洋館からなる本館をはじめさまざまな建物が存在しましたが、その多くは1945(昭和20)年の空襲で焼失。現在、邸宅跡の一部は旧渋沢庭園として、一般に開放されています。
国指定重要文化財の「晩香廬」と「青淵文庫」
現在、公園内には「晩香廬(ばんこうろ)」と「青淵文庫(せいえんぶんこ)」と名付けられた2つの建物が残り、当時の渋沢邸の姿を今に伝えます。
前者は渋沢栄一の喜寿、後者は傘寿を祝って寄贈され、2024年でそれぞれ築107年と築99年。関東大震災や空襲の被害を免れて現存する、大正時代の貴重な建築物として、国指定の重要文化財に登録されています。
その歴史だけでなく、装飾や工芸的価値も高い晩香廬と青淵文庫。内部を含めて見学が可能です。
築107年のレセプションルーム「晩香廬」
和洋折衷・工芸品のような建築
緑の中に建つ山小屋風の木造建築が「晩香廬(ばんこうろ)」。渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って、1917年に贈呈された“洋風茶室”です。
「晩香」という名称は、渋沢栄一自作の漢詩の一節「菊花晩節香」から命名されています。「晩節の香り」として菊の花を挙げ、自身の人生の終盤への意志が込められました。
落ち着いた洋風でまとめられた外観ながらも、日本家屋をイメージさせる長い庇や屋根の形が特徴的。アシンメトリーの造りが、建物全体に心地よいリズム感を生み出しています。
渋沢栄一は晩年、晩香廬をレセプションルームとして愛用し、幾人もの国内外の賓客たちをもてなしました。
レトロモダンな雰囲気漂う内装
内装はシックな雰囲気が漂います。
調度品もあわせて設計されている晩香廬。木製の家具や柱は丁寧に角が取られていたり、言われないと気づかないような、お手洗いや玄関上の照明に至るまで装飾が施されていたりと、各所に細やかな気遣いが感じられます。
テーブルやベンチ、傘立てや火鉢は竣工当時のものが現存。さらに、そのほかの家具・調度品も、当時のデザインや素材を踏襲して再現されているとのこと。
和風の照明器具には唐草模様やツルの姿があしらわれますが、その上に見える天井の石膏造りの縁取りには、ブドウの枝にハトとリスが遊ぶ、アール・ヌーヴォー風の意匠が。
大正モダンを感じられる、和洋折衷のバランスも見どころの1つです。
美しく洗練された暖炉は必見
特に注目したいのは、談話室内の暖炉。
中央上部に施されるのは、喜寿を祝う「寿(壽)」の文字のタイル飾り。こちらの精密さもさることながら、暖炉全体のレンガは光沢を放ち、目地まで整然とそろって、洗練された美しさです。
実は当初の図面では、もっと大きい建物が計画されていたという晩香廬。あまりに大きい寄贈はいただけない、せっかくの庭園の植栽も残したい、という渋沢栄一本人の希望により、こぢんまりとしたサイズになったのだそう。
それでも建物の中は広く感じられるように、通常は中央に配置されるはずの暖炉を奥側にずらして、奥行きを演出する錯覚効果を生んでいます。
築99年の個人図書館「青淵文庫」
重厚さと繊細さがあわさる洋館
続いては、渋沢栄一の傘寿(80歳)と、男爵から子爵に昇格したお祝いを兼ねて贈呈された「青淵文庫(せいえんぶんこ)」へ。こちらは1925年の竣工です。
「青淵」という名称は、渋沢栄一の雅号からの命名。埼玉県深谷市にある彼の生家、その裏手にあった池(淵)に由来するのだそう。
建物の内外には、渋沢家の家紋である「丸に違い柏の葉(まるにちがいかしわ)」をモチーフにしたタイルがあしらわれます。全て手作業で制作されたというタイルには温かみが感じられつつも、金の縁取りが華やか。
竣工当時は、安山岩の白い壁に、より鮮やかなコントラストで映えていたことが想像できますね。
幻となった「文庫」の由来
「文庫」と名の付く通り、当初の青淵文庫は、渋沢栄一の個人図書館として利用される予定でした。
しかし竣工間近の1923年に発生した関東大震災により、2階の書庫に収蔵するはずだった、徳川慶喜の伝記編纂に関する資料や「論語」などの漢籍、その大部分が焼失していまいます。
建物自体は再工事が行われて2年遅れで完成し、主に接客の場として使用されるようになりました。当初の用途のまま、1番大きな部屋は「閲覧室」、2階は「書庫」と呼ばれているんです。
自身もこうして被害を受けた渋沢栄一ですが、震災後には自宅の敷地を開放して炊き出しを行ったのだそう。その人柄が伺えますね。
ステンドグラスが輝く閲覧室
閲覧室に入ると、美麗なステンドグラスから光が差し込みます。
1枚当たり約1,000ピースで構成されるというステンドグラスのデザインは、タイルと同じく渋沢家の家紋をモチーフにしながら、中心には「壽」の飾り文字。
両脇のステンドグラスには、青淵文庫を寄贈した、渋沢栄一の門下生による集団「竜門社」にちなんだ登り龍と下り龍の姿も。
竜門社は、現在は「渋沢栄一記念財団」として、渋沢史料館の運営をはじめ、渋沢栄一の業績を広く伝えています。
晩香廬とは異なり洋風に統一された内装ですが、カーペットや照明の各所にあしらわれた唐草模様や壽の文字からは、さりげなく和のテイストも感じられました。
渋沢栄一も来客を迎える際には、雰囲気にあわせた掛け軸を飾っていたのだとか。
個人的に気になったのは、閲覧室の腰板部分にある、大理石で囲まれたこちらの電気ストーブ。実はスチーム機能まで搭載されていたそうで、接待の場として納得の、豪華な設備です。
往時を想像できる展示も充実
青淵文庫内には、渋沢栄一や、庭園内の建築物に関する展示が充実しています。
こちらは、「渋沢栄一さんぽ」として、大正時代の写真から、かつての渋沢邸を伺い知ることができるディスプレイ。第2次大戦の空襲で失われた建物の往時の姿のほか、晩香廬と青淵文庫が実際にレセプションルームとして利用されていた頃の写真も紹介されています。
渋沢栄一と各界の要人が会談している晩香廬・青淵文庫の様子は、先ほど見学してきた、現在の状態とほぼ同じ! 維持・管理によって、歴史ある建物がそのままの形で守られてきたんですね。
ほかにも、渋沢栄一の愛用品や日々の暮らしを紹介する部屋や、晩香廬・青淵文庫ともに設計を行った建築家、田辺淳吉の紹介も。
ユニークなものでは、当時の記録から、今日の渋沢栄一は何をしていたのか紹介する展示もありました。
現在は2階に立ち入ることはできませんが、上階に続く、アーチを描く階段の美しさも必見です。
見学するには?注意点もあわせてチェック
晩香廬と青淵文庫を訪れる際は、まずは公園内に隣接する「渋沢史料館」へ。こちらへの入館料(一般:300円/小中高生:100円)で、渋沢史料館・晩香廬・青淵文庫を3つあわせての見学が可能です。
注意点として、晩香廬ははきものを脱いで上がる造りなので、見学の際には靴下が必要となっていますよ(渋沢史料館にて靴下の販売もあります)。
個人利用の写真撮影は可能ですが、三脚などの機材やフラッシュの使用、動画撮影はできません。貴重な文化財ですので、掲示されている注意事項をご確認くださいね。
渋沢栄一が愛した邸宅へ
晩香廬・青淵文庫ともに、おめでたい長寿の節目の年に寄贈された建物。ですが華美なお祝いの演出ではなく、レンガやステンドグラスに溶け込む「壽」や、細やかに施される縁起のよい意匠など、飾らないデザインが印象的でした。
派手ではなくとも存在感がある両建築からは、渋沢栄一の人柄や、彼を慕った人たちの心意気までが感じられるように思います。
新紙幣で渋沢栄一と顔を合わせる機会も増えた昨今、彼が過ごした素敵な邸宅を訪ねてみてはいかがでしょうか。
所在地:東京都北区西ケ原2丁目16-1
電話番号:03-3910-0005
開館時間:10:00~17:00
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は開館)、祝日の翌平日、年末年始
入館料:一般:300円/小中高生:100円
[Photos by ぶんめい]
※価格はすべて税込です
※史料館の開館については最新情報をご確認ください。