東京・赤羽の中心にそびえるゴシック建築
JR赤羽駅東口からすぐ、三角形の尖塔が高くそびえる美しいゴシック建築の建物が現れます。こちらが今回訪問した「カトリック赤羽教会」(以下、赤羽教会と記載)。
正面の道を挟んで反対側は駅前の繁華街、教会のすぐ横にはにぎわいを見せるアーケード「赤羽すずらん通り」と、その立地は活気溢れる東京・北区赤羽のど真ん中。しかし敷地の門を跨げば、そこには静かな祈りの空間が広がります。
教会の設立は1949年、戦後すぐから続く歴史を持つ赤羽教会。荘厳な聖堂の落成は1951年、2024年で築73年を迎えます。
実は1965年の第2次ヴァチカン公会議にて教会の在り方が変化した後、こうしたいかにも“教会”という見た目の伝統的な教会建築は、世界的に造られなくなりました。
海外の石造りの教会は創建当時の姿を保てますが、古い聖堂には木造も多かった日本では各地で建て替えも進み、赤羽教会のような歴史を感じられる教会建築は、年々希少な存在になっているんです。
まるで海外の教会のよう!美麗な聖堂内へ
美しく連なるアーチに注目
聖堂の中に入ると、そこはまるでヨーロッパの教会のよう。
15m~20mはあるかという高い天井には三角形のアーチ状の梁がかかり、ゴシック建築に特有の美しさを感じることができます。
白い壁がステンドグラスの光を柔らかく反射し、明るくも神秘的な雰囲気。赤いじゅうたんとのコントラストも映えています。
側面のステンドグラスはシンプルなものですが、柱と柱の間にかかるアーチ・壁面にかかるアーチ・窓自体のアーチと曲線の構造が何重にも連なり美麗。洗練された空間設計に惚れ惚れします。
「被昇天の聖母」に捧げられた聖堂
聖堂中央、精緻な彫刻がほどこされる祭壇には、天国に召し上げられる聖母マリアを描く「被昇天の聖母」が掲げられます。
聖堂が落成した1951年の前年、1950年には「聖母被昇天」が正式なカトリックの教義として新たに加わったという時代背景が。そのため、赤羽教会は被昇天の聖母に捧げた聖堂となっているのだそう。
ミサの際には解放されるという2階部分には、聖堂のシンボルとして正面からも見える、大きなバラ窓も輝きます。
教会にゆかりの聖人たち
赤羽教会を司牧するのは、イタリアにあるサン・フランチェスコ大聖堂を中心とする「コンベンツアル聖フランシスコ修道会」。
祭壇の両脇には、修道会と赤羽教会にゆかりのある聖人の肖像画と聖遺物が展示されます。
向かって左側が、アッシジの聖フランシスコ。修道会の創立者であり、清貧と奉仕に生きた聖人です。
サン・フランチェスコ大聖堂は彼の墓所であり、世界中から多くの巡礼者が訪れる場所でもあるのだそう。
向かって右側には、修道会の日本管区の創立者である、聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父。
東洋における布教の拠点を求めて1930年に来日し、長崎で出版活動を通した布教に努めました。ここから今まで続く「聖母の騎士」誌は、日本におけるカトリックの雑誌としては最も歴史があります。
また、母国ポーランドでは知らない人はいないという人気のコルベ神父。日本の地にあって神父に深いゆかりのある赤羽教会には、ポーランドから団体での巡礼者が訪れます。
教会の歴史と成り立ちを解説
ポーランドと日本の架け橋となる教会
東京大空襲で焼失した工場の跡地を買い上げ、戦後まもなく発足した赤羽教会。
先述したコルベ神父に付き従ったポーランド出身の修道士の方々が、その設立に尽力しました(コルベ神父は帰国し、アウシュビッツにて殉教されています)。
残念ながら詳細な資料は残っていないのですが、教会の設立だけでなく、聖堂の設計や建設に際しては棟梁まで務めたのだそう。
母国ポーランドの教会がモデルになっているので、ヨーロッパの教会のような雰囲気にも納得。聖堂内の椅子まで、聖堂創建当時の修道士の手作りなんです。
日本の貧しい人々に生涯をささげたゼノ修道士
そうした中でも赤羽教会を語るうえで必須の人物が、教会入口に写真の飾られるゼノ・ゼブロフスキー修道士。コルベ神父とともに来日し、その右腕として活動。戦時中も日本に残り、長崎では原爆による被爆も経験しました。
戦後は赤羽教会の設立をはじめ、戦災孤児や恵まれない人々の救援活動に尽くし、かつて「蟻の街」と呼ばれた隅田川沿いのバタヤ街(廃品回収の仕切り場)を支えるなど、全国各地で献身的な社会福祉活動を行います。
拙い日本語ながら、それを補って余りあるカリスマ的手腕と人格で支援を進めたというゼノ修道士。日本のボランティアの先駆けと言える存在なんです。
そんなゼノ修道士が設立に携わり、生涯の拠点としていた赤羽教会。ついぞポーランドに帰ることなく日本で亡くなり、その葬儀は赤羽教会で行われました。
黒い服に黒いハット、そして白いひげがトレードマークだった彼は、今では教会隣接の「聖母の騎士幼稚園」のキャラクターにもなっていますよ。
赤羽の街に根差す教会
変遷を続ける赤羽、その中心に存在し続けているカトリック赤羽教会。純洋風の建物も、今では赤羽の街の欠かせない一部となり、東京都指定の文化財にも登録されています。
「聖母被昇天の日」としてカトリック教会に祝われる毎年の8月15日には、マリア像を山車のように引き、讃美歌が響く中、赤羽スズラン通りを練り歩く「マリア行列」が開催されます。
こうした大規模な教会主催の式典は、昨今の日本で見る機会は少なくなっているそう。地元の風物詩として教会の創立以来続く「マリア行列」の歴史からは、赤羽とともにある、教会の姿勢の一端が伺えますね。
赤羽教会に関わって30年という主任司祭のフランシスコ 平孝之神父にお聞きした赤羽トーク(ダイエー赤羽店と西友赤羽店の熾烈極まる価格競争「赤羽戦争」に教会も立地の関係で巻き込まれた話や、「せんべろの街・赤羽」の成り立ち、近年の再開発に伴うエピソードなどなど……)も、これだけでもう1記事書けるような、非常に興味深いものでした。
都会の喧騒から少し離れて、静かにお祈りしたり、ベンチで少し休んだり、そんな憩いの場所として、ミサ以外の平日でも毎日100人ほどが訪れるのだそうです。
歴史と癒やしを感じるカトリック赤羽教会へ
訪問時の注意点をチェック
9:00~16:30まで入堂が可能で、写真撮影もOK。信徒でない方も気軽に訪れ、心洗われるひとときを過ごすことができます。
ただもちろん大切な祈りの場ですので、静粛に。動画撮影や携帯電話の使用はできないほか、脱帽など教会の基本的なマナーはご確認ください。
また、ミサの間は信徒の方のための時間なので、見学はできません。スケジュールは公式サイトにも記載されていますよ。
2024年で教会設立から75周年!
実は2024年7月現在、外壁には足場が組まれている赤羽教会。2024年の11月で教会設立から75周年を迎えて記念ミサを行うとのことで、メモリアルな式典のための修繕工事中が進行中です。
加えて敷地内のお庭も整備中で、完成した際には季節の花々が楽しめるほか、コルベ神父・ゼノ修道士の彫像も加わるのだそう。
外装工事は2024年の10月中頃を目途に完了する見通しですので、建築の外観を見たい場合にはその時期になってからの訪問がおすすめですよ。
美麗なゴシックの建築美を満喫できる「カトリック赤羽教会」。繫華街の中には一見アンバランスに見えた建物も、その歴史や設立に携わった方々を知れば、随所に赤羽、そして日本との深い関わりが感じられる教会でした。
所在地:東京都北区赤羽2丁目1-12
電話番号:03-3901-2902
入堂可能な時間:9:00~16:30
公式サイト:https://catholic-akabane.jp/
[Photos by ぶんめい]
※スケジュール等については最新情報をご確認ください。