なぜ人気?岡山への移住
実は現在、岡山県は移住先として注目を浴びていることをご存知でしょうか? イベントに登場した岡山県知事の伊原木 隆太氏は、その理由を「生活しやすく、バランスがよいから」と語ります。
岡山県は「晴れの国」と称されるほど晴れの日が多く、過ごしやすいのはもちろんのこと、農作物がよく育つため食材の宝庫でもあります。また、瀬戸内海・中国山地と、自然が豊かでありながら、そこまで田舎過ぎないというバランスのよさ。災害(地震)の少なさは全国で第3位と、これも大きなポイントとなっています。さらに、移住・定住支援制度も充実しており、岡山県は、「瀬戸内海で移住したい県No.1」ともいわれているのです。
移住した先輩のリアルな声が聞けるイベント
筆者が今回参加したのは、2024年11月23日(土)、東京都・恵比寿で行われた「おかやま晴れ暮らしのすすめ~先輩移住者との交流Day~」。実際に移住をした先輩の方々と交流しながら、リアルな話を聞くことができるイベントでした。
会場では、移住者が携わる食材や雑貨などを販売する「岡山よいものマルシェ」や、針と糸を使わずに作れる「畳縁(たたみべり)くるみボタン」のワークショップも同時で開催され、全体的に手作り感のある温かい雰囲気が漂います。
また、小さなステージも用意され、ここでは、先輩移住者によるトークセッションが行われます。そしてなんといってもこのイベントの醍醐味は、先輩移住者に直接質問できる雑談会。先輩移住者を囲み、お茶を飲みながらざっくばらんにお話ができるのです。その一部をFAQ形式でご紹介。
Q.生活する上で車は必要ですか?
A.車がないと不便ですけど、岡山市内・倉敷市内あたりであれば、公共交通機関も便利ですよ。
Q.仕事はありますか?
A.東日本大震災の際に移住者が増え、そのとき起業した方々の事業が今大きくなっています。雇用という面でも頼れるし、地元の企業でも働ける年代の人材を多く求めています。
Q.東京でも仕事がある場合、どのように対応していますか?
A.1カ月のスケジュールをあらかじめ決めて、それに沿って生活をしています。岡山にいるのは月に10日間くらいです。
Q.塩害はありますか?
A.塩害は……そういえばないです!
Q.熊対策はしていますか?
A.子どもには小学校からクマよけの鈴が配られるんですよ~。
さまざまな質問が飛び交い、自分では思ってもみなかったような質問が聞けるのも、座談会ならではです。1つひとつの質問にしっかりとした回答があり、疑問が解決する気持ちよさとともに、生活のイメージもどんどん湧いてきます。
聞けば聞くほどためになるクロストークショー
今回、イベントに参加した先輩移住者は5名。クロストークショーでは、移住に至った経緯から現在の暮らしまで、フォトグラファーの中川 正子さん(左)を中心に、それぞれの目線から岡山生活についての話が繰り広げられました。本記事では、中川 正子さんと、農家を目指し移住した高谷 絵里香さん、東京と岡山の2拠点生活を実践しているあかし ゆかさんの3名をご紹介します。
東日本大震災をきっかけに、2011年に東京から家族で移住し13年が経った中川さん。岡山市内に住んでいるため、いわゆる“田舎暮らし”とも少し違い、スムーズに新生活を始めることができたといいます。
しかし、苦労したのは仕事の面。東京では、朝5時から深夜24時までバリバリ働いていたため、先輩からも「積んできたキャリアがすべてなくなる」と岡山移住を何度も止められたのだとか。「それなら新しい仕事の方法を考えます」と、半ばタンカを切るように東京を出てきてしまったという中川さん。やはり仕事の進め方や常識も東京とは違い、最初は戸惑ってばかりだったそう。
ところがある日、東京の第一線で活躍してきたからこそ、さまざまなスキルが身についていることに気づきます。そこから、「なんでも全部自分でやる」と決め、一人で何役もこなすスタイルに変えました。
「スタイリストやヘアメイク、そしてディレクターと、東京にはたくさんいるのに、岡山にはいないということがよくありました。しかし、岡山で足りないことがあったからこそ、今があると思っています」と笑顔で語ります。
東京・八王子市出身の高谷さんは、農業を始めるために2011年に夫婦で岡山県の真庭市に移住しました。
農薬を使わない自然栽培に興味を持ち、千葉県の農家さんのもとで約1年間の研修を受けたのですが、研修が終わった直後に東日本大震災が発生します。日本中が混乱する中で、「先祖代々の畑がある訳でもない私たちは、どこででも農業ができる」と全国各地へ出向き、その地を探すことを決意します。
さまざまな土地を訪れた中で、真庭市への移住を決定づけたのは、ズバリ水。水が合うということに加え、景色を見た瞬間、「あ、ここだ」と直感したそうです。その時の気持ちを、高谷さんは「自分にとって岡山はいい意味でゼロでした。岡山に色がなく、自分で色を決められる。そんな感覚がありました」と語ります。
当時はまだ移住者促進がなかったため、会う人に「ここで農業するにはどうしたらいいですか?」と聞きまわり、だんだん「震災で大変な若い夫婦がやってきた」と、地域の方々も手を差し伸べてくれたのだとか。現在高谷さんは、「蒜山耕藝の食卓くど」という店もオープンさせています。「家賃が安いので、やってみたいなと思ったことが始めやすいですよ」と、移住をした後にも、まだまだ楽しみがあることを教えてくれたのでした。
京都府出身のあかしさんは、就職のために上京し、5年間会社員として働きました。退職後はフリーランスに転身し、現在は東京で編集者・ライターとして活動しながら、岡山県・倉敷市では「aru」という小さな本屋を営み、2拠点生活を行っています。あかしさんの生活がこのようになったのは、倉敷市の児島に2週間滞在したことから始まります。
フリーランスに転身した頃、世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るっていました。これから頑張ろうとしていた矢先の出来事で、環境の変化、出口の見えないコロナ禍、そしてあかしさん自身のプライベートな問題……と、大変なことが一気に起こり、精神的に落ち込んでしまったそうです。そんな姿を見かねたお友達から「うちのホテルに泊まりにおいで」と声を掛けられ、倉敷市の児島で2週間ゆっくりと過ごします。地元の人たちに混ざって過ごしていくうちに、「ここで暮らすのもいいかもしれない」と、思い始めたのがきっかけです。
あかしさんが感じる2拠点生活の魅力は、「物足りない部分を補えあえるところ」だそうで、都会を愛する気持ちと、自然を愛する気持ちを、東京と岡山が満たしてくれるそうです。しかし、2つの町に拠点を置くということは、移住とはまた少し異なり、仕事に対して不安が大きくなるのも事実。そんな人に向けて、背中を押すような言葉をくれました。
「岡山で活動したことで、地方の仕事が増え、そのジャンルもさまざま。おかげで、仕事の幅が広がりました。移住を検討する上で、必ず仕事への心配が出てくると思いますが、行動したらしたでそこから広がるものがあり、会社員の方でも、そこで働いたらその地になじむはず。まずは、思い切る気持ちを持つことが大切かなと思います」。
移住先としての岡山県はアリ?ナシ?
今回のイベントは、とても刺激的であり、かなり魅力的でした。全く知らなかった世界を知ることができたという満足感に加えて、移住や二拠点生活に対し、もっと自由な発想を持っていいのかも……? という新発見もありました。というのも、東京の企業に勤めている方が実践している2拠点生活の方法を聞き、「そんな選択肢があったのか!」と衝撃を受けたからです。
その方の2拠点生活とは、2か月に1回くらいの割合で、数日間の岡山暮らしを楽しむというもの。かなり贅沢な生活のような気がしますが、なぜそんなことができるのかというと、家賃が3万円と、都内ではありえない金額で物件を借りれるからなのだとか。リモートで仕事ができるということが前提にはなりますが、その一例を聞いたことで、2拠点生活へのハードルが一気に下がったのでした。
イベントに参加して一番に思ったことは、「何はともあれ、まずは一度ゆっくり岡山を旅したい」ということ。つまりは、岡山県への移住は、非常に魅力を感じました。結果として、岡山県への移住は「アリ!」の判定をさせていただきます!
https://www.okayama-iju.jp/
[Photos by KOUME]