知ってた?「パリの恥」と罵倒されたエッフェル塔は完成から20年後に解体される予定だった

Posted by: 坂本正敬

掲載日: Jul 14th, 2026

誰もが知っている場所や出来事の裏側にある意外な事実を紹介する連載。今回は、旅好きの人でなくても知っているエッフェル塔について。実は完成から20年後に解体される予定の、万博用のモニュメントだったという話を紹介します。芸術家や知識人たちに「疑う余地もなく、パリの不名誉」と罵倒された歴史も。

フランス エッフェル塔 塔の建設(1888年)

建設作業中のエッフェル塔(1888年)

万博のモニュメントとして誕生

エッフェル塔

画像を入れてください

画像素材:PIXTA

パリの有名な建造物と言われたら何を思い浮かべますか?

凱旋門、ルーブル美術館など、候補は幾つもあって、満場一致というわけにはいかないと思いますが、10人のうち半分くらいはエッフェル塔を挙げるのではないでしょうか。

このエッフェル塔、万博のモニュメントとして期間限定で建てられた塔で、フランスの文化人に完成当初は忌み嫌われていたとご存じでしたでしょうか。

事の発端は、フランス革命100周年を記念して1889年パリ万国博覧会を開催するにあたり、高さ300mの塔(当時の世界一高い構造物)を万博の象徴として会場内に建てようという話から始まりました。

設計を担当した企業がエッフェル社で、同社を率いていた技師のギュスターヴ・エッフェルが2年2カ月と5日という短期間で、現場での工事中の死亡者を一人も出さずに、1889年(明治22年)に完成させた経緯があります。エッフェルとは人(会社)の名前なのですね。

エッフェル塔の公式運営組織(Société d’Exploitation de la Tour Eiffel)の公式ホームページによると、5,300枚の設計図に基づき、150~300人の作業員が、18,038点の金属部品と250万本のリベット(金属板を接合するための鋲)を使い、築き上げたそうです。

ボルトで組み立てた忌まわしい鉄塔

建設中のエッフェル塔(1887年)

当時、世界一高い建造物だったエッフェル塔は、万博の会期中(179日間)に600万人の来場者を集めたとされています。万博全体の来場者は3225万人。来場者の約5人に1人はエッフェル塔に上った計算です。当時から、かなり話題になっていたと推察できます。

しかし、このエッフェル塔は、フランスの文化人や知識人には大変な不評でした。芸術家や作家たち約300人が発表した抗議文「エッフェル塔建設への抗議(Protestation contre la Tour de Monsieur Eiffel)」には、

“Et, pendant vingt ans, nous verrons s’allonger sur la ville entière, frémissante encore du génie de tant de siècles, nous verrons s’allonger comme une tache d’encre l’ombre odieuse de l’odieuse colonne de tôle boulonnée”(エッフェル塔建設への抗議より引用)

と書かれています。おおむね「今後20年もの間、ボルトで組み立てられた忌まわしい鉄板の柱の影が(パリのまちに)インクの染みのように伸びていく様子を目にしなければいけない」という意味になります。

「今後20年」とは、エッフェル社が取得した営業権・使用権が20年間だったため、完成から20年後には市に返還され、解体される予定だったという意味です。

名作『女の一生』を書いた小説家のモーパッサンは、

“J’ai quitté Paris et même la France, parce que la tour Eiffel finissait par m’ennuyer trop.”(フランス国立図書館Passerelle(s)より引用)

と書いています。「私は、パリを離れ、ついには、フランスまで離れた。エッフェル塔にうんざりしたからだ」といった意味です。

今では、パリを象徴する存在ですが、文化人と言われる人たちに完成当時は忌み嫌われていたのですね。

軍事的な価値が認められ撤去論が消滅

1889年万博当時のエッフェル塔エレベーター

では、その憎き対象であり、完成から20年で解体される予定の塔がなぜ存続し続けたのでしょうか。その背景には、社会の急速な変化と通信・軍事技術の発達がありました。

1900年前後(完成から10年ほど)、エッフェル塔は、無線通信の実験や気象観測に利用されるようになり、第一次世界大戦(1914~1918年)時には、軍事通信にも活用されるようになりました。

時代が時代だけに、軍事的な価値が認められると撤去論も次第に下火となり、第二次世界大戦後には、ラジオ・テレビ塔としても利用されるようになりました。

その後、時間の経過と市民の世代交代により多くの人に受け入れられるようになり、パリのシンボルへと立ち位置を変化させていきます。1991年(平成3年)には、エッフェル塔を含むセーヌ川の河岸が世界文化遺産に登録されました。

万博のモニュメントとして、期間限定で建てられた世界一高い(当時)塔が、文化人の嫌悪の対象になりながらも、実用性の面で高く評価されて存続する機会を得て、今ではパリを、フランスを代表する象徴的な存在になった、そんな歴史がエッフェル塔にはあるのですね。

今度、パリを訪れるチャンスがあったら、ここまでで学んだ歴史を思い浮かべながらじっくり眺めてみてください。感動が、何倍にも大きくなるはずですよ。

 

[参考]
ORIGINS AND CONSTRUCTION OF THE EIFFEL TOWER – LA TOUR EIFFEL
Lassitude – Passerelle(s)
Expo 1889 Paris – BIE
WHY WAS THE EIFFEL TOWER KEPT? – LA TOUR EIFFEL

PROFILE

坂本正敬

Masayoshi Sakamoto 翻訳家/ライター

翻訳家・ライター・編集者。東京生まれ埼玉育ち。成城大学文芸学部芸術学科卒。現在は、家族と富山に在住。小学館〈HugKum〉など、在京の出版社および新聞社の媒体、ならびに〈PATEK PHILIPPE INTERNATIONAL MAGAZINE〉など海外の媒体に日本語と英語で寄稿する。 訳書に〈クールジャパン一般常識〉、著書(TABIZINEライターとの共著)に〈いちばん美しい季節に行きたい 日本の絶景365日〉など。北陸3県のWebマガジン〈HOKUROKU〉(https://hokuroku.media/)創刊編集長。その他、企業や教育機関の広報誌編集長も務める。文筆・編集に関する受賞歴も多数。

翻訳家・ライター・編集者。東京生まれ埼玉育ち。成城大学文芸学部芸術学科卒。現在は、家族と富山に在住。小学館〈HugKum〉など、在京の出版社および新聞社の媒体、ならびに〈PATEK PHILIPPE INTERNATIONAL MAGAZINE〉など海外の媒体に日本語と英語で寄稿する。 訳書に〈クールジャパン一般常識〉、著書(TABIZINEライターとの共著)に〈いちばん美しい季節に行きたい 日本の絶景365日〉など。北陸3県のWebマガジン〈HOKUROKU〉(https://hokuroku.media/)創刊編集長。その他、企業や教育機関の広報誌編集長も務める。文筆・編集に関する受賞歴も多数。

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