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ティラミスから第3次タピオカドリンクまで!戦後のスイーツ流行史

Posted by: 坂本正敬
掲載日: Nov 18th, 2020.

2018年(平成30年)ごろから始まった、第3次のタピオカドリンクの人気も、ちょっと落ち着いた印象があります。このスイーツの流行は、現在41歳の筆者が記憶する限り、何度も訪れては消えていきました。スイーツは戦後、どのような流行史を刻んできたのでしょうか。

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クレープ


戦後からクレープ誕生まで

戦後の東京

戦後の東京の様子

スイーツの流行史というと、なんとなく戦後にアメリカの文化が日本に入ってきて、高度成長期のころから、さまざまな流行が生まれたような気がします。しかし実際は、1945年(昭和20年)、第二次世界大戦に負けてから日本はしばらく、スイーツどころか、食べ物に困った時代が続きました。

1949年(昭和24年)に、お菓子の統制撤廃運動が起きるくらい、スイーツづくりの食材は、戦後しばらく統制下におかれます。言い方を変えれば、満足に菓子がつくれない状況が続いたのですね。

砂糖の統制配給が全廃された時期は1952年(昭和27年)4月、小麦粉の統制が廃止された時期は同年の6月です。

それから日本菓子専門学校が開校したり、全国菓子大博覧会が各地で開催されたりしながら、お菓子を楽しむ生活が庶民にも少しずつ取り戻されていきますが、話題のスイーツ誕生という意味で言えば、1977年(昭和52年)に「マリオンクレープ」が、東京・原宿の竹下通りに路面店(2号店)を出すまで、待たなければなりませんでした。

このころから、原宿=クレープの時代がスタートし、後に持ち運べるクレープが国民食になります。

スイーツの流行史における始まりのティラミス

ティラミス

日本人の多くが特定のスイーツに殺到する最初の歴史的な出来事は、1990年(平成2年)に起こります。見方を変えれば、スイーツ大ブームの歴史は、戦後から平成まで待たなければなりませんでした。

全国菓子工業組合連合会(全菓連)が公開する日本のお菓子歴史年表では、

<「ティラミス」菓子が大ブーム>(全国菓子工業組合連合会のホームページより引用)

と、書かれています。

今では数あるスイーツの1つにすぎませんが、1990年ごろに起きたイタリア料理のブーム、いわゆる「イタ飯」ブームとともに、イタリアのデザートであるティラミスは、戦後の日本で初めて、空前のヒットを記録します。

一説によると、雑誌「Hanako(ハナコ)」(マガジンハウス)の1990年4月10日号で、ティラミスの特集が組まれたために、一気にブレイクしたともいわれています。

折からの「イタ飯」ブームを受けて、にわかに話題になっていたティラミスが、雑誌によって多くの人の知るところとなったのですね。さすが「Hanako」です。

ブーム続発の1990年代

ナタデココ

ナタデココ

ティラミスによって幕開けした1990年代は、その後もメガトン級のヒットスイーツが登場します。

筆者も小学生だったか、中学生だったか、子どものころに学校で、これらのスイーツの名前が大いに話題になった様子を覚えています。1993年(平成5年)のナタデココと、1994年(平成6年)のパンナコッタですね。

どちらも筆者は、家の近所にあったコンビニエンスストアで、行儀がいいとはいえませんが、駐車場の車止めに座って、コンビニスイーツとして食べました。ナタデココの食感の不思議さと、パンナコッタのなめらかな口当たりに、衝撃を覚えた記憶があります。

パンナコッタ

パンナコッタ

ナタデココのブームが終わると、今度はティラミスと同じイタリアンのスイーツブームがやってきます。パンナコッタですね。辞書を調べると、

<煮た生クリームの意>(岩波書店『広辞苑』より引用)

とあります。「イタ飯」のブームの続く中、イタリアンレストランでパンナコッタを食べる人が増え、ティラミスに次ぐ大ヒットとなりました。

2000年代は小ヒット連発の時代

バウムクーヘン

バウムクーヘン

ティラミス、ナタデココ、パンナコッタと、相次いでスイーツのメガヒットを生んだ1990年代を受けて、2000年代が到来します。ノストラダムスの大予言も、大きく外れました。

2000年代には、2002年(平成14年)のマンゴープリン、2007年(平成19年)のバウムクーヘン、2008年(平成20年)のマカロンなど、今では定番となったスイーツが登場します。

バウムクーヘンは、その年輪のような見た目で、結婚式の引き出物の定番アイテムにさえなっています。フランス発のマカロンも、さまざまな進化系が日本で生まれました。ただ、それらのスイーツが、ティラミスやナタデココ、パンナコッタほどに空前絶後のブームを引き起こしたかといえば、(確かな根拠がありませんが)そうではないように思えます。

逆に2004年(平成16年)の「堂島ロール」を筆頭とするロールケーキや、2006年(平成18年)の「クリスピー・クリーム・ドーナツ」、同時期のカップケーキ、2007年(平成19年)ごろの「花畑牧場」が仕掛けた生キャラメル、「ガトーフェスタハラダ」のラスクなど、数々のヒット商品が乱立した印象があります。

2008年(平成20年)には第2次のタピオカドリンクブームも起きています。こうしたヒット商品の名前を並べてみると、老若男女、社会全体が1つのスイーツに殺到するというより、特定の世代に特定のスイーツが流行しては消えていく、時代の様相が見えてきます。

この流れは、つくり手のすそ野が広がるとともに、インターネットの普及とともに、画一的なブームに便乗しない国民の多様性が、少しずつ育ってきた証拠なのかもしれません。

現にティラミスが流行したころ、文化人が週刊誌などで、1つの流行に国民全体が左右される日本人の野蛮さ、未成熟さをなげいています。

若い世代を中心に第3次のタピオカドリンクがブーム

タピオカドリンク

2018年(平成30年)ごろから始まった、第3次のタピオカドリンクのブームも一緒です。このブームは若い女性を中心に局地的に起きたヒットで、ティラミスのように、老若男女が夢中になって殺到するようなブームとは違って見えます。

スイーツの流行史を振り返ると、戦後のお菓子を満足につくれない貧しい時代があり、社会の安定とともに、ティラミスの大流行を日本人は経験します。次いでナタデココ、パンナコッタの空前のブームが生まれますが、2000年代以降は、ヒットが分散する傾向が見られるようになっていました。

今後、この流れを打ち破るような、国民のほぼ全てが殺到するスイーツは生まれる可能性があるのでしょうか。もしあるとしたら、その食べ物が何になるのか、今から楽しみにしたいですね。

[参考]
日本洋菓子史 – 一般社団法人 日本洋菓子協会連合会
平成スイーツ史「完全保存版」、流行語とともに30年を振り返る! – アーバン ライフ メトロ
日本のお菓子歴史年表 – 全国菓子工業組合連合会
『原宿といえばクレープ』の原点を作った2つの店 – ニッポン放送
平成5年には「ナタデココ」がBOOMに!平成が生んだ流行スイーツの秘密 – Precious.jp
平成6年にBOOMになった「パンナコッタ」はなぜヒットした?その理由4つ、トリビア3つ – Precious.jp
戦時中にスイーツを食べられたのは軍人だけだったってホント? – 国立公文書館アジア歴史資料センター
“タピる”人気は3回目! 過去2回を振り返ろう – テレビ朝日

[All photos from Shutterstock]

坂本正敬

Masayoshi Sakamoto 翻訳家/ライター
1979年東京生まれ、埼玉育ち、富山県在住。成城大学文芸学部芸術学科卒。国内外の媒体に日本語と英語で執筆を行う。北陸3県を舞台にしたウェブメディア『HOKUROKU』の創刊編集長も務める。 https://hokuroku.media/


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