ビールの「おつまみ」は、なぜ枝豆なのか?明治時代は大根の短冊切りだった、おつまみの日本史

Posted by: 坂本正敬

掲載日: Sep 17th, 2021

この夏はどのくらいビールを飲みましたか?食欲の秋が始まれば、ビールを飲む機会もまた増えるかもしれません。そんなビールのおつまみといえば、枝豆やフライドポテトなどが代表ですが、そもそも外国から日本へ持ち込まれたビールに、日本人はどうして枝豆をペアリングさせているのでしょうか?

ビール

大根を短冊状に切った食べ物

大根
ビールの日本史を振り返ると、江戸時代まで起源をさかのぼれます。江戸時代と言えば鎖国体制が1635年(あるいは1639年)から続いていましたが、長崎の出島からはご存じの通り、オランダの文化がか細く流入していました。そのオランダからビールが日本に持ち込まれ、蘭学者によって試飲や試作が行われていたそうです。

江戸時代の日蘭交流を記した『蘭説弁惑』(1799年刊)にも「びいるとて麦にて造りたる酒あり」と書かれています。このビールは黒船来航の際にも米国から持ち込まれ、欧米の先進文化を学ぼうと派遣された遣欧使節団・遣米使節団も欧米各国でビールを口にしています。

このビールが、いよいよ一般庶民の口にまで入るようになった時期は、明治時代も半ばを過ぎてからです。明治維新があり、1877年(明治10年)に西南戦争が終わり、いよいよ時代が後戻りできないくらいまで明治新政府の下で進み続けたころです。

人々の暮らしも意識もどんどん欧米化して、1899年(明治32年)になると、東京・銀座に日本初のビアホール「恵比寿ビヤホール」が誕生します。その時にはつまみとして大根を短冊状に切った食べ物が出されたのだとか。

その背景には、ビールの本場のひとつであるドイツで、おつまみにラディッシュが出されていたからなのだとか。Bierradiでしょうか。渦巻き状に大根を切って、塩をふる素朴な食べ物ですね。ドイツでは、ビールのつまみとして今でも愛されています。

しかし日本の客には受け入れられず、代替案として出したエビのつくだ煮なども不評だったために、ビアホールでは、ほとんどのおつまみが廃止されてしまったと、キリンホールディングスのホームページに書かれています。

ビアホールが「一雨毎に増加す」といわれるくらい、このころはビールが市民の間で人気を博し始めていた時代でした。

アメリカからポテトチップスの食文化も流入

ポテトチップス
大正時代に入ると、イワシ・ハマグリ・アサリの干物などと一緒にビールが楽しまれたようです。しかし、これらの食べ物は現代人の「ビールのおつまみ」のイメージとはまだかけ離れていますよね?枝豆やフライドポテトなど鉄板のおつまみの登場はいつごろなのでしょうか?

時とともにビールの愛好者が増え、そば屋や定食屋などでビールが楽しまれるようになると、日本的なメニュー、例えばおでんなどとビールが合わせられるようになります。1929年(昭和4年)当時のキリンビール横浜支店内のビアホールを写した写真にも、メニュー表におでんの文字が見られます。

同じ時期の1930年(昭和5年)に出版された雑誌「主婦之友」7月号には、煮魚料理・アワビのバター焼き・トーストのり巻などもビールのおつまみとして紹介されているようです。

第二次世界大戦の不幸な敗戦を迎え、日本の食料事情が改善すると、家庭でハンバーグやグラタンなどが並ぶようになり、ビアホールではジャガイモ料理が定番メニューとして人気を博し始めます。いよいよポテトの登場です。連合国軍総司令部(GHQ)の中心であるアメリカから、ポテトチップスの食文化もこの頃は流入してきて、ビールのつまみとして盛んに食べられるようになりました。ポテトチップスとビールの組み合わせは筆者も大好きです。

フライドポテト、ジャーマンポテトが家庭でもつくられるようになると、いよいよビールのつまみとしてポテトが不動の地位を築き始めます。一方で、つまみとしてのビーナッツの需要は戦前から戦後を通じて高く、同じマメ科の枝豆が戦後の1960年代には台頭してきます。ビアホールでも家庭でも、枝豆は人気の高いつまみとして注目され、ポテトに並んで枝豆も日本人のビールのおつまみに次第に定着するのです。

1980年代にビール会社が行った市場調査では、枝豆・フライドポテトが男女ともに人気を博している様子が見て取れます。言い換えれば、40年くらい前に日本人のビールの「おつまみ観」が確立されたのです。

枝豆を押し出す楽しさ

枝豆とビール
そのトレンドは今にも続いているわけですが、どうして枝豆が「周回遅れ」の状況から、おつまみ界のトップに躍り出られたのでしょうか?枝豆の旬が夏に重なるため、1971年(昭和46年)に本格導入された減反政策の反動で生産量が増えた背景も当然あるはずです。

ほかにももちろん理由はあって、ビールの二日酔いを軽減してくれる枝豆の栄養素、さやから枝豆を押し出す際の視覚的・触覚的な楽しさ、塩分の失われがちな夏にぴったりの塩っぽい味など、さまざまな要因を専門家が指摘しています。

さらに言えば、大豆(野菜の枝豆を成熟・乾燥させた穀物としての豆)に日本人が昔から親しんできた、食文化の土台もあるのかもしれません。

江戸時代の日本にオランダからビールが伝わり、明治・大正と愛好者が増え、西洋料理だけでなく日本料理とのペアリングがその過程で試されるようになり、昭和の戦後にはポテトや枝豆がビールのお供に選ばれるようになった、以上が日本のビールとおつまみの歴史といえそうです。

枝豆とビールをペアリングさせる食べ方は『サザエさん』など国民的アニメでも描かれるようになり、いよいよ市民権を得るようになりました。

新型コロナウイルス感染症の影響で、なかなか遠出ができない今こそ、宅飲みでビールを口にする際には、何気ない身近な習慣の歴史に注目して調べてみるとお酒が余計においしく感じられるかもしれません。

[参考]

Vol.10 ビールのおつまみの歴史 – キリンホールディングス

ビールの歴史を教えてください。 – サントリー

※ ブリタニカ国際大百科事典

蘭説弁惑

日本人とビールの出会い – キリンホールディングス

[All photos by Shutterstock.com]

PROFILE

坂本正敬

Masayoshi Sakamoto 翻訳家/ライター

翻訳家・ライター・編集者。東京生まれ埼玉育ち。成城大学文芸学部芸術学科卒。現在は、家族と富山に在住。小学館〈HugKum〉など、在京の出版社および新聞社の媒体、ならびに〈PATEK PHILIPPE INTERNATIONAL MAGAZINE〉など海外の媒体に日本語と英語で寄稿する。 訳書に〈クールジャパン一般常識〉、著書(TABIZINEライターとの共著)に〈いちばん美しい季節に行きたい 日本の絶景365日〉など。北陸3県のWebマガジン〈HOKUROKU〉(https://hokuroku.media/)創刊編集長。その他、企業や教育機関の広報誌編集長も務める。文筆・編集に関する受賞歴も多数。

翻訳家・ライター・編集者。東京生まれ埼玉育ち。成城大学文芸学部芸術学科卒。現在は、家族と富山に在住。小学館〈HugKum〉など、在京の出版社および新聞社の媒体、ならびに〈PATEK PHILIPPE INTERNATIONAL MAGAZINE〉など海外の媒体に日本語と英語で寄稿する。 訳書に〈クールジャパン一般常識〉、著書(TABIZINEライターとの共著)に〈いちばん美しい季節に行きたい 日本の絶景365日〉など。北陸3県のWebマガジン〈HOKUROKU〉(https://hokuroku.media/)創刊編集長。その他、企業や教育機関の広報誌編集長も務める。文筆・編集に関する受賞歴も多数。

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