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鎌倉時代の公家や武士も愛用した「古来の生薬」
- 1319~21年(元応1~3年):三光丸の前身「紫微垣丸(しびえんがん)」が作られる
- 1336年(建武3年・延元元年):第96代・後醍醐天皇が「紫微垣丸」を「三光丸」と名付ける
- 1897年(明治30年):三光団社が結成され全国的に広がる
- 1899年(明治32年):三光丸同盟会発足
- 1947年(昭和22年):法人化し、株式会社三光丸本店となる
- 1999年(平成11年):三光丸クスリ資料館開設
奈良県の大和平野の西南部に位置する御所市。この一帯では古くから和漢薬の製造が行われ、古来より受け継がれた製法を守る「大和家庭薬」が今も伝わります。そんな町の一角にある「三光丸」は、現存する日本最古の製薬会社。700年もの歴史を持ち、会社の名称にもなっている胃腸薬「三光丸」は、鎌倉時代にルーツを持ちます。
三光丸はセンブリ、ケイヒ、オウバク、カンゾウの4種の生薬が配合された丸薬です。胃弱、食べすぎ、食欲不振、飲みすぎ、もたれ、胃部・腹部膨満感、胸やけ、胸つかえ、はきけ、嘔吐などに効くとされ、長きにわたって公家や武士たちに重宝されてきました。
実は三光丸の名付けの親は、かの有名な後醍醐天皇。後醍醐天皇といえば政権争いで奈良の吉野に逃れ、「南朝」を開いた人物です。京都の朝廷は「北朝」と呼ばれ、2つの朝廷が対立する南北朝時代が始まったわけですが、このとき吉野にいた後醍醐天皇が三光丸を知ったという逸話が残されていました。
「三光丸」の名に込められた思いとは
三光丸は、もともと鎌倉時代後期に「紫微垣丸(しびえんがん)」という名で存在していた薬でした。越智家第11代の当主、越智家武(いえたけ)が霊験を得てその製法を授かったとされており、胃腸薬として用いられてきました。
1336年(建武3年・延元元年)、吉野で南朝を立てた後醍醐天皇がこの薬を知り、「太陽」「月」「星」を意味する「三光」の神から授かった秘方として、「三光丸」と名付たそうです。当時、南北朝時代の困難な立場にいた後醍醐天皇。倒幕を目指す渦中において、「三光」という名には、神の力をかりて願いを叶えたいという思いも込められていたのかもしれません。
天皇にも認められた胃腸薬の三光丸。その後も絶大な信用を集め、室町時代末期には京都の公家の山科氏が日記の中で三光丸について書き記していたり、安土桃山時代には織田信長の嫡男・信忠が「(三光丸を)軍中第一の妙薬にせよ」と命じたという話も残っています。
そして、江戸時代に入ると近畿地方で三光丸の販売網が広がり、明治時代には日本全国に「大和の置き薬」としてその名が知られるように。現在も和漢薬として販売されており、その配合は数百年前からほとんど変わっていないということです。
本社横の資料館では「薬づくりの体験工房」も!
三光丸の本社の横には「三光丸クスリ資料館」があります。日本最古の製薬会社「三光丸」の歴史を伝えるミュージアムとして1999年(平成11年)にオープンし、誰でも無料で入館が可能。生薬の歴史や薬づくりを描いたミニシアター、実際に使用されたさまざまな資料や道具などの展示コーナーなどがあり、大和の薬の歴史をわかりやすく知ることができますよ。
資料館では体験工房も併設しており、薬草の実物や実際の道具を使った薬づくりも楽しめます。また、実際の製造工場を見て回れる見学コースもあり、三光丸の歴史を肌で感じることも。三光丸をお土産で購入することもできるので、奈良への旅行の際には観光コースのひとつとしてもおすすめです。
三光丸を販売する公式オンラインショップでは、全国どこからでも購入が可能です。700年も前に後醍醐天皇が名付けた薬だと知ると、なんだか歴史の重みも違いますね。胃の不調に広く効果があるとのことなので、自宅の常備薬として置いておくのもいいかもしれません。
住所:奈良県御所市大字今住700-1
電話番号:0745-67-0003
営業時間:9:00~16:00
休業日:土・日・祝日
料金:無料
URL:https://sankogan.co.jp/kusuri-museum/