富山の薬売りもクレジットカードの源流
クレジットカードは海外旅行に不可欠。買い物をする際に利用するだけでなく、ホテルの宿泊時などでは身分証明書の代わりにもなりますよね。
そんなクレジットカード、いつごろから日本で使われ始めたのでしょうか。
そもそも、商品を先に渡して代金を後から回収する商行為は、江戸時代の愛媛や富山が源流ではないかと考えられているそうです。
愛媛では、瀬戸内海の沿岸で陶器や漆器を船で売って回った商人が、盆暮れの年2回、先に渡した商品の代金を回収しに再訪したそうです。
富山の場合は有名な薬売りがこのような商売のスタイルをとっていました。顧客の家に薬箱だけ置いておき、後に再訪した際に使用分の薬の代金だけ回収。そしてまた薬を補充するのです。
その後、明治時代に入ると、愛媛出身の田坂善四郎さんによって月賦(払い)が生み出されます。
各種メーカーや百貨店などでも月賦(払い)の取り扱いが始まり、大正・昭和を経て、いよいよクレジットカードが登場します。
食事で財布を忘れた経験が「クレカ」を生んだ
クレジットカードは、第二次世界大戦のあと(1950年代)のアメリカを母国にします。今も存在するダイナーズクラブが、クレジットカードの歴史をスタートさせました。
事の発端は興味深いです。実業家のマクナマラさんが食事の場に財布を忘れて支払いできず、財布を妻に持ってきてもらった出来事があったそう。
無事に支払いは済ませられたものの、財布の到着を待つ恥ずかしさはなかなかだったとか。そこで後に、友人の弁護士とお金を出し合って、ツケで食事を楽しめるクラブ=ダイナーズクラブをつくりました。
そのダイナーズクラブの日本版が、1960年(昭和35年)12月に設立されています。外国人の受け入れや、国際観光事業のインフラ整備などを目的とした「日本ダイナーズクラブ」です。日本のクレジットカードの始まりは、直接的にはこの時期にさかのぼります。
クラブ会員の募集が翌年1月に始まり、1回払いのクレジットカード(紙製)が日本で初めて誕生しました。会員の入会審査は厳しく、社会的信用の高い人しか入れなかったようです。
旅行や接待に盛んに使われるこのカードは「Travel & Entertainment(T&Eカード)」と呼ばれました。プラスチックのクレジットカードを世界で初めてつくった会社も、この日本ダイナーズクラブです。
1961年(昭和36年)には一方で、三和銀行(現:三菱東京UFJ銀行)と日本信販によって日本クレジットビューロー(現:ジェーシービー)も設立されます。日本におけるクレジットカードの歴史を振り返ると、1960年と1961年が極めて重要な年と考えられるのですね。
1978年には国内外で使えるようになった
これらのクレジットカードは当時、日本でしか使えませんでした。しかし、1978年(昭和53年)に、日本ダイナーズクラブによって画期的なサービスがまた導入されます。日本初のインターナショナルカードとして、海外でも使用できる日本発行のクレジットカードが登場したのです。
1980年(昭和55年)以降にはVISA・アメックス・マスターカードが日本に進出します。銀行系カードもその波に乗って、国内外共通カードが常識になっていきました。
日本で生まれたジェーシービーも、1981年(昭和56年)以降に海外へ打って出て、日本人観光客が盛んに訪れる国で加盟店を開拓。国際化を図っていきました。
以降、皆さんの知る現在のクレジットカードの姿に進化していくのです。
今では、世界の旅先で身分証明書にもなるクレジットカード。頻繁に旅行に出かける人は、旅に関するサービスが強いクレジットカードを選び、大いに旅先の体験を充実させたいですね。
[参考]
※ クレジット関連統計 – 日本クレジット協会
※ クレジットカードの歴史を紹介!日本ではいつから普及したの? – SAISON CARD
※ ダイナースクラブの歴史 – 三井住友信託銀行グループ
※ ダイナースクラブ、60年の軌跡 – 三井住友信託銀行グループ