【日本の美しい禁足地vol.11】多くの戦死者が出た激戦地として知られる~小笠原諸島の「硫黄島」〜

Posted by: あやみ

掲載日: Jul 24th, 2022

歴史や宗教的な背景などで立ち入ってはいけない場所。それが「禁足地」です。今回は、東京・小笠原諸島の硫黄島にフォーカス。北硫黄島、南硫黄島からなる無人の火山列島で、2011年には世界自然遺産に登録されています。太平洋戦争末期には、日米の激戦地となり、多くの戦死者が出ました。この島が禁足地になった悲しい歴史、そして現在に迫ります。

東京都小笠原諸島硫黄島

 

硫黄島はどんなところ?

硫黄島は、​​父島の南約280kmに位置する島。北硫黄島、南硫黄島とともに火山列島(硫黄列島)を構成しています。1889年に父島の住民、田中栄次郎らが鮫漁と硫黄採取を目的として渡航したことから硫黄島の開拓が始まりました。

その後、島の主な産業は平坦な土地と地熱を活かした農業となり、人口が増加。しかし、1941年に太​​平洋戦争が激化し、平和だった硫黄島は、本土防衛の最前線に。1944年には、島民が強制疎開され、玉砕の島となりました。

終戦後の1968年にアメリカから返還されましたが、硫黄島全域が海上自衛隊管理の航空基地の敷地のため、現在も一般人の立ち入りは禁止となっています。

硫黄島の戦いは36日間にもおよんだ

戦時の硫黄島
太平洋戦争時、1945年2月19日から36日間にわたって続いた硫黄島の戦い。当初、簡単な掃討作戦になるだろう、と予想していた米軍でしたが、悪戦苦闘して、日米両軍に多くの戦死者が出ることになりました。

アメリカ・ワシントンDCの硫黄島記念碑
日米兵それぞれの視点から硫黄島の戦いを描いたクリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』『父親たちの星条旗』からも、その激しさ、悲惨さを知ることができます。

幽霊が徘徊!? 硫黄島の基地で勤務する自衛隊員の決まり事

東京都・小笠原諸島の硫黄島
硫黄島で勤務する自衛隊員は、小銃を持ち歩くことが禁止されているそうです。なぜなら、今でも硫黄島には、戦死者の大量の人骨が埋まったままとなっており、自衛隊員が心霊現象に遭遇することも少なくないから……。その際、パニックに陥った隊員が小銃を誤射する事故が何度も起こっているのだとか。

さらに、硫黄島の砂や石を持ち帰ってはいけないという決まりがあります。万が一、持ち帰ると原因不明の高熱が出たり、枕元に血まみれの兵隊が現れるとか。そのため、自衛隊員が硫黄島から本土に帰還する際、靴の裏についた砂粒まで、ひとつ残らず落としているのだそうです。

また、自衛隊員が硫黄島に駐在している間、夜寝る前に、必ず水を入れたコップを部屋の入口に供えることになっているとのこと。硫黄島には川がなく、水不足で亡くなった兵や米軍の火炎放射器によって焼かれた兵が多数いて、夜な夜な幽霊となり島内を徘徊。自衛隊員に「水をくれ……」と、訴えるのだそうです。

硫黄島の心霊現象は天皇、皇后両陛下の慰安により鎮まった?

1994年2月12日に、当時の天皇、皇后両陛下(現在の上皇ご夫妻)が戦没者慰安のために初めて硫黄島を訪れます。おふたりは、旧日本軍の慰霊碑や日米双方の犠牲者の霊を慰める「鎮魂の丘」を訪れ、拝礼。それにより、硫黄島の心霊現象が鎮まったといわれています。また、当時、心因性の失語状態だった美智子さまは、この慰安を機に、声を取り戻したのだとか。

今年も終戦の日が近づいてきています。この機会に、硫黄島の戦没者を追悼しつつ、現在もなお世界で起こっている戦争について、深く考えてみるのもいいかもしれません。

参考:小笠原村公式サイト

[All photos by Shutterstock.com]

PROFILE

あやみ

Ayami ライター

フリーライター。劇団員、OL、WEB編集ライターを経て、フリーランスになる。辛い食べ物、東南アジアが大好き。旅するように生きるのが人生の目標。

フリーライター。劇団員、OL、WEB編集ライターを経て、フリーランスになる。辛い食べ物、東南アジアが大好き。旅するように生きるのが人生の目標。

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