>> 桜餅の葉っぱは食べる?関東と関西で違う形・製法・歴史を探ってみた
角餅・丸餅の境目は関ケ原
日本の伝統食の餅。その形は「丸餅」と「角餅」に分けられ、東日本と西日本で主流となる形が異なっています。角餅と丸餅の分岐ラインは、天下分け目の関ケ原あたり。東側は角餅、西側は丸餅が一般的です。
最近では自宅で餅を手作りする機会も減っていますが、昔は年中行事として正月前になると、一家総出で餅つきを行う家庭も少なくありませんでした。餅つきを行った後は、食べやすいサイズに餅を成形していくのですが、東日本と西日本では、ここからの作業に大きな違いがあるようです。
東と西でこんなに違う!餅づくりの方法
筆者は関西出身。子どもの頃、親戚一同が集まって餅つきを行ったときは、つきたての餅を手のひらサイズにちぎって丸め、丸餅を作ったものです。
一方、関東出身の友人に話を聞くと、鏡餅用とすぐに食べる用は丸く成形したものの、残りはすべてバットに流し、平たい板状の「のし餅」にしたのだとか。そして、冷めて固まったのし餅を包丁で切り分け、角餅にして食べていたそうです。
友人と話してみて、関東と関西で、餅の成形方法がまったく異なっていたことにびっくり。さらに関東では、丸餅は「お供え用」、角餅は「自分たちが食べる用」というイメージもあるようで、二度驚かされました。
角餅が誕生したのは江戸時代
日本の餅の歴史を辿ると、古くは縄文・弥生時代に始まり、奈良時代や平安時代の頃には白く丸い餅が縁起物として扱われるようになり、ハレの日に餅を食べる習慣が広まったそうです。
餅は丸めて作る丸餅が一般的でしたが、江戸時代に入ると、のし餅を切り分けて角餅を作る方法が考え出されます。角餅は運搬にも便利だったことから、江戸から東側を中心に角餅が広まっていきました。
餅をひとつずつ丸める丸餅は作るのに手間も時間もかかりますが、角餅なら一度にたくさん作ることができます。しかし、そんな角餅が浸透した東日本でも、神様のお供え用は角餅ではなく、丸餅を用意するというのは大変興味深い風習です。
丸い形の餅が古来より縁起物として扱われてきたこと、神様に用意するものには利便性より伝統を重んじること、そんな文化への姿勢が、角餅・丸餅の使い分けに表されているような気がしてなりません。
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