「世界三大悪女」の定説は存在しない
これまで、いろいろな形で「世界三大○○」を取り上げてきましたが、たいていの場合が日本だけで通じる考え方で、世界で通じるケースはむしろまれでした。
しかし、「世界三大悪女」に関しては、それこそ世界のみならず、日本でも定説が存在しません。それっぽい情報はインターネット上に書かれていますが、その3人をもって「世界三大悪女」と言えるかどうかは疑問が残ります。
そこで今回は、最終的な選考を読者の皆さんにゆだねるべく、岳真也・著『悪女たちの残酷史』(講談社)などの書籍に登場する世界の悪女の中から、何人かを候補にピックアップして紹介します。
最後は、皆さん独自の「世界三大悪女」をぜひ決めてみてください。
候補としてピックアップする基準は、色香(いろか)にしました。「三大悪人」ではなく「三大悪女」という以上、生物学的に見て男性にはない何らかの性差を生かした悪女でなければいけないはずです。
色香とは、岩波書店『広辞苑』によると、
<女のあでやかな容色。女のいろけ>(『広辞苑』より引用)
と書かれています。女性特有の色気をキーワードに何人かを取り上げてみました。
バートリ・エリザベート(1560年~1614年)
バートリ・エリザベート(画像はWikipediaより)
ハンガリー王国(現在のハンガリーを中心とする東ヨーロッパを統治していた王国)の貴族にして、「血の伯爵夫人」「市場最も多くの人を殺した女性連続殺人犯」などの呼び名を持つ女性、バートリ・エリザベートが最初の悪女候補です。
後世の研究によって評価を見直す動きもあるみたいですが、映画や演劇、オペラなどで繰り返し、残酷な一面が取り上げられています。
彼女は、何をしたのでしょう。端的に言って、若い女性を拷問しては、その生き血を体に浴び、自分の若さと美しさを保とうとしました。
もともと彼女は名門の家に出自を持ちます。どうしてそのような女性が殺人鬼になってしまったのか、その背景を多くの学者が今でも研究しています。話を大まかにまとめると、当時の貴族社会の常識や、彼女を取り囲む暴力的で猟奇的な家族・親族の影響が彼女を狂わせてしまったのだとか。
25歳のバートリ・エリザベート(画像はWikipediaより)
そもそも、バートリ・エリザベートが生きていた当時、使用人に対する貴族の暴力は日常茶飯事だったそう。
そうした時代背景もあって、バートリ・エリザベートが召使のミスをいつもどおり厳しく責め立てると、召使の娘が出血しました。その生き血が、彼女の手の甲にかかります。その血をぬぐった時に自分の肌が非常に美しく見えたと、バートリ・エリザベートは感じた様子。
そこで、農奴の娘や下級貴族の娘を片っ端からさらい始めると、拷問し、血をしぼり取って、浴槽に血を満たし体を浸したとの話もあります。殺人の数は、本人の証言と裁判の認定者数で異なるものの数百人に及んだそう。一説には600人を超えていたともいいます。
もちろん、この残虐な話も、時代とともに尾ひれがついている可能性を否定できません。彼女の評判を落とそうとするデマや陰謀論の可能性も否定できないようです。
一方で、ただ恐ろしいまでに若い女性の生き血を求める奇行から、彼女を「吸血鬼」と考える向きもあるみたいですね。
「鉄の処女」の複製品(写真はWikipediaより)
ちなみに筆者は、バートリ・エリザベートが拷問で使ったタイプと形こそ違うものの、一般に「鉄の処女」といわれる拷問道具の複製品を博物館で見た経験があります。
少女の形をした鉄の棺桶のような容器で、中に長い釘がいくつもあります。人を入れ棺を閉めると、釘が人体を刺し貫きます。
同じような仕組みの拷問道具も使って、バートリ・エリザベートは返り血を浴びていたと考えられるようです。
則天武后(624年ごろ~705年)
則天武后(画像はWikipediaより)
バートリ・エリザベートは、自分の美ぼうを少女たちの新鮮な血で保とうと、殺人を繰り返したと考えられています。
一方で、自分の美ぼうを武器にして人に取り入り、悪だくみを尽くして、権力をつかんだ女性もいます。中国の唐朝時代に存在した第3代皇帝・高宗の皇后で後に、周(武周)朝の皇帝になる則天武后(そくてんぶこう)ですね。
幼いながらに大変美しかったらしく、14歳の時に、宋朝の皇帝の後宮(ハーレムのような場所)に入り、その後に、上述の高宗に見いだされ、愛されます。すると、その立場を利用し、高宗の皇后らを追い出し、自らが皇后の立場に成り上りました。
高宗の死後は、自分の息子たちを帝位に置き、彼女に反抗して挙兵した皇族らに大弾圧を加えます。
さらに、女性の徳をたたえる仏教の経典を偽装し、子どもたちを帝位から退け、中国史において空前絶後の異例となる女帝に自らなるのですね。
在位は約15年間。その間に、巨根のペニスを持つ男性だけをえり好みしてはべらせ、奔放な性行為に及びます。しかし、最終的には、そのお気に入りのセックスワーカーたちが政治を乱し、彼女と周朝は滅びるみたいですね。
以上が、世界の悪女の一例です。同じ中国では「中国三大悪女」として呂后(りょこう)・西太后(せいたいこう)などの名前も挙げられています。妲己(だっき)といって、当時の皇帝に愛された女性も、悪女として中国で知られているそう。
「日本三大悪女」といえば、淀殿・北条政子・日野富子が挙げられています。世界を見渡せば、クレオパトラやマリーアントワネットを世界の悪女に推す声もあります。
ただ、バートリ・エリザベートにしても、則天武后にしても、最後に名前が出てきたその他の人々にしても、悪女という評価の一方で、素晴らしい資質や偉業もあり、そして後世の人が不当に評価をゆがめてきた部分もあるようです。
悪女の定義をはっきりと最初に定めた上で、信ぴょう性の高い情報源から各人の人生をいろいろ調べ、「世界三大悪女」を皆さんなりに選定してみてはいかがでしょうか。それこそ、読者の皆さんの説が、その後の定説になっていくかもしれませんよ。
[参考]
※ 本当に日本三大悪女?頼朝の妻「北条政子」の正体 源頼朝亡き後、幕府を取り仕切った「尼将軍」 – 東洋経済オンライン
※ 「応仁の乱の原因」と言われるが…日野富子を「日本三大悪女」と呼ぶのは男たちの嫉妬にすぎない – PRESIDENT Online
※ 若い女性600人を殺害「血の伯爵夫人」バートリ・エルジェーベト – NATIONAL GEOGRAPHIC
※ 原百代『武則天』(講談社)
※ 外山軍治『則天武后―女性と権力』(中央公論社)
※ 岳真也『悪女たちの残酷史』(講談社)
※ 島崎晋監修・世界博学倶楽部著『世界の「美女と悪女」がよくわかる本』(PHP研究所)
※ 桐生操『血の伯爵夫人 エリザベート・バートリ』(PHP研究所)