南米の日系人と沖縄人が共存し文化が融合する横浜市鶴見【日本の外国人街を歩く5】

Posted by: 室橋裕和

掲載日: Mar 26th, 2023

横浜の中華街や新大久保のコリアンタウン以外にも、日本には外国人の集まる街がたくさんあります。ネパール、ベトナム、タイ、ミャンマーなどなど、海外に行ったような気分になれる外国人街を、外国人コミュニティの取材を続けているライターの室橋裕和が案内します。第5回は、南米と沖縄の人たちが集まる神奈川県横浜市鶴見です。

鶴見のブラジル食材店「ユリショップ」
 

 


 

飲み屋やスナックや食堂などが集まる鶴見のカオス

京急鶴見駅を出て東口を歩いていくと、なんともしぶい街並みが見えてきます。古びた小さな飲み屋やスナックや食堂などがびっしりと立て込み、なかなかのカオス。ごちゃついた街が好きな人にはたまらない一角でしょう。
神奈川県横浜市鶴見の歓楽街
歩き回るのが楽しい京急鶴見駅東口の歓楽街

ここはかつて「三業地」と呼ばれた場所。「三業」とは、置屋(芸者の在籍する店)、待合(芸者と遊ぶ場)、料理屋のことで、明治から昭和にかけて栄えた歓楽街のひとつ。その跡地がいまでは飲み屋街になっているというわけです。

京急鶴見駅東口のアジア系の店
アジア系の店も多く雑多な空気感を醸しだしている

臨海工業団地近くには南米系の店が点在

この歓楽街から鶴見川にかかる橋を越え、「潮風大通り」という道を南に歩いていきます。名前の通り、そのまま進めば海に出る道です。このあたりは東京湾に面した臨海工業団地が広がっている場所でもあるのです。

やがて左手に、今度は「仲通り」という道が伸びているのでこちらへ折れてみれば、ちょっと街の空気が変わることに気がつくでしょうか。南米系の店がちらほらと点在しているんです。レストランや食材店、美容院……そのひとつが「ユリショップ」、ブラジルを中心にペルーやフィリピンなどの食材も扱っています。

鶴見のブラジル食材店「ユリショップ」
仲通りのブラジル食材店「ユリショップ」では 肉がっつりのメニューがたくさん

食堂併設のブラジル食材店で味わうソウルフード

店内に入れば、そこはもうブラジル。現地の調味料やお酒、お菓子やスパイス、それに化粧品やシャンプーなんかも売られていて、ブラジルのスーパーマーケットに迷い込んだかのよう。

そして奥には、食堂も併設されているんです。ブラジル風のボリューミーなハンバーガーや、「パステル」というパイなんかを食べている人々で賑わっています。

ブラジルのパイ「パステル」
さくさくに揚げられた生地の中に肉やチーズがたっぷり入ったパステル。ブラジルの国民的飲料ガラナと一緒に

加えてもうひとつ、「フェイジョアーダ」もオーダー。これまたブラジルのソウルフードといえる豆の煮込み、シチューのようなものでしょうか。見た目よりもあっさり塩味で、豚肉やモツもどっさり入っていてご飯によく合います。

ブラジル料理「フェイジョアーダ」
フェイジョアーダにはキャッサバの白い粉をかけて食べてもおいしい

さらに仲通りを歩いていくと、今度はペルー料理の店も発見。牛肉と野菜をペルー風の醤油で味付けた「ロモ・タルサード」や、ハチノスとジャガイモのターメリック煮込み「カウカウ」など、なかなか珍しいメニューがそろっています。ペルー風中華料理なんてものもあるようです。

ブラジル・ペルー料理「パライゾ」
看板にはブラジルとあるけどペルー料理もそろう「エル・パイサノ」

鶴見に南米と沖縄の人が多い理由

そして仲通りに漂うのは南米の香りだけではありません。ここには沖縄の文化も息づいているんです。

観光客で賑わう「おきなわ物産センター」の店頭をのぞいてみれば、おいしそうに揚がった「サーターアンダギー」(ドーナツ)や「ソーキ」(豚の骨付きあばら肉)、「てびち」(豚足)などがずらり。店内には沖縄そばや泡盛、黒糖を使ったスイーツ、沖縄音楽のCDや沖縄直送の野菜などなど、南国の品が所せましと並んでいます。

おきなわ物産センター
沖縄の食材がずらり。あれこれ買いたくなる「おきなわ物産センター」

鶴見では沖縄や南米にルーツを持つ人が多いそうです。どうしてこの街には、ずいぶん異なるように見える両者が共存しているのでしょうか。

その理由は100年以上前にありました。

日本がまだまだ立ち遅れていた19世紀末、明治時代のことです。海外へと出稼ぎに行く日本人がたくさんいました。ハワイや北米、そして南米に、おおぜいの日本人が移民していったのです。

とくに多かったのは、日本本土よりもさらに経済的に立ち遅れていた沖縄からの移民でした。彼らはまず、アメリカへの船が出る横浜にやってきて、そこから旅立っていきました。

しかし、一部の人々はそのまま横浜に留まり、渡米することなく定住したのです。彼らがコミュニティをつくったのが、横浜から近いここ鶴見でした。

というのも、鶴見から川崎にかけての臨海地域に広がる京浜工業地帯では、常に労働力が必要とされていたからです。日本各地から、さまざまな人々が流入してくる場所でした。かの「三業地」も、そんな労働者の憩いの街だったそうです。

こうして鶴見には、沖縄の血が溶け込んでいきました。

沖縄ドリンクの自販機
仲通りには沖縄ドリンクの自販機も

南米から戻ってきた沖縄ルーツの日系人

一方、日本人移民を受け入れたブラジルやペルーでは、世代を重ね、大きな日系人社会が形成されていきます。やはり沖縄ルーツの人が多かったそうです。現地になじみながらも、沖縄の言葉や食文化も守り、代々伝えていきました、

その日系人が、日本へと戻ってくる時代がやってきます。1989年、バブルの好景気で人手不足の日本は、法律を改正しました。日系2世と3世が日本で就労し、定住できるようにしたのです。すると今度は、不景気だったブラジルやペルーから日系人が故郷の地へと戻ってきます。とりわけ製造業の現場で彼らは重宝されましたが、沖縄系の人々は京浜工業地帯を目指したのです。沖縄コミュニティが息づく鶴見があるからでした。

鶴見の沖縄そば
鶴見には沖縄そばの店も。どこも大人気

現在の鶴見には、沖縄系の人々と、沖縄発南米経由の日系人とが共存し、ともに商店街を守っています。鶴見名物となっている毎年のウチナー祭も、両者が盛り上げます。どちらの文化も楽しめる、なんとも珍しい街として発展しているのです。

[All photos by Hirokazu Murohashi]
Do not use images without permission.

PROFILE

室橋裕和

murohashi ライター

1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌に在籍し、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。現在は日本最大の多国籍タウン、新大久保に在住。外国人コミュニティと密接に関わり合いながら取材活動を続けている。

1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌に在籍し、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。現在は日本最大の多国籍タウン、新大久保に在住。外国人コミュニティと密接に関わり合いながら取材活動を続けている。

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