書籍により日本三大名城が異なるワケ
日本三大名城には大きく分けて下記の3つの説があります。
「名古屋・大阪・熊本」説
『城郭』(著:西ヶ谷恭弘)には、近世末に流行した番付表や名数表などによると、日本三名城は、江戸城を別格として、「名古屋・大阪・熊本」の三城とあります。
「姫路・熊本・名古屋」説
『日本の城と戦国の女性たち』(著:井上宗和)には、一般的に名城とは、城地の選択が優れ、土木建築物が堅固壮大で、建築物が華麗な城をいいますが、江戸時代における名城とは、見た目が壮大で美しいことを指すため、その意味では「姫路・熊本・名古屋」が日本三大名城になるとあります。
「江戸・大坂・名古屋」説
『逆説の日本史 別巻3 (ニッポン「三大」紀行)』(著:井沢元彦)には、基準を統一して、かつての規模で判断するなら、日本三大名城は「江戸・大坂・名古屋」とあります。
このように、日本三大名城は、時代や規模など何を基準にするかによって異なるのです。
名古屋のまちづくりの原型に! 近世城郭の傑作「名古屋城」(愛知県名古屋市)
1610年、徳川家康が加藤清正、福島正則といった豊臣恩顧の西国大名20家に命じて、築城を開始した「名古屋城」は、近世城郭築城技術の完成期にあたり、当時の最新技術を駆使した名城です。
室町時代に「那古野城」と呼ばれる城が建っていて、その後、城主が今川氏、織田氏と移り変わり、廃城となったこの地に徳川家康が天下統一のため、再び城を築きました。
五層五階の天守は史上最大級。本丸御殿は、武家風書院造の代表的な建築で、狩野派の絵師による障壁画や豪華な飾金具などが施されています。さらに、巨大な隅櫓、広大な二之丸庭園、高い石垣と深い堀なども見事です。
また、尾張地方は名古屋城築城までは清須が中心でした。しかし、家康は尾張徳川家の拠点として名古屋を選択。築城にあわせて清須から町ぐるみの引っ越し「清須越」を行い、それが現在の名古屋のまちづくりの原型になっています。
名古屋城正門エリア・東門エリアの2つのゾーンには、老舗や定番の“名古屋めし”を楽しめる「金シャチ横丁」も! 名古屋城を訪れたら、ぜひ立ち寄ってみてくださいね。
住所:愛知県名古屋市中区本丸1-1
電話:052-231-1700
営業時間:9:00~16:30(本丸御殿への入場は16:00まで)
休館日:12月29日~1月1日(イベントにより変更あり)
入館料:大人500円 ※中学生以下無料
交通アクセス:地下鉄名城線「名古屋城駅」下車、7番出口より徒歩5分
公式サイト:https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/
豊臣秀吉によって築かれた、動乱の歴史を刻む「大阪城」(大阪府大阪市)
戦国時代の大坂本願寺(石山本願寺)を前身とする「大阪城」は、織田信長と戦った石山合戦、豊臣秀吉による築城、大坂の陣による落城、徳川幕府による再築、明治維新の動乱による焼失などを経て、現在に至る名城です。
大阪城は、豊臣秀吉が全国統一の本拠地を大阪に定めたことがはじまり。1583年に大阪城の建築に着手し、完成に約15年を要しました。その規模は現在の4~5倍にもおよびます。
今、見ることができる石垣や堀、大手門・多聞櫓・千貫櫓といった建造物はすべて徳川時代以後のもの。この一帯は特別史跡に、建造物のほとんどは重要文化財に指定されています。
また、1931年に市民の寄付金によって復興された天守閣は、豊臣時代、徳川時代に続く3代目。天守閣は「大阪城天守閣」という名の歴史博物館になっていて、豊臣秀吉にゆかりのある品々のほか、大阪城の歴史に関する資料などを展示しています。城郭の魅力はもちろん、武士たちの活躍、大阪の歴史を学ぶことができますよ。
住所:大阪市中央区大阪城1-1
電話:06-6941-3044
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:12月28日~1月1日
入館料:大人600円 ※中学生以下無料
交通アクセス:Osaka Metro谷町線「谷町4丁目駅」1-B番出口、「天満橋駅」3番出口、Osaka Metro中央線「谷町4丁目駅」9番出口、「森ノ宮駅」1番出口・3-B番出口など
公式サイト:https://www.osakacastle.net/
400年の歴史を誇る、震災復興のシンボル「熊本城」(熊本県熊本市)
1607年、茶臼山と呼ばれた台地に、根本的な都市改造のため、加藤清正が当時の最先端技術と労力を投じ、7年の歳月をかけて築いた「熊本城」。城域は98ha、周囲5.3Kmにもおよびます。当時は大小天守閣のほか、櫓(やぐら)49、櫓門18、城門29を数える巨大要塞でした。以後、熊本城は400年にわたる日本のさまざまな歴史の重要な舞台に。
1960年、鉄筋鉄骨コンクリート造りで再建された天守閣は、2016年の熊本地震で最上階の瓦や鯱瓦の落下、地下室石垣の崩落などの被害に遭いましたが、2021年3月に完全復旧。大天守は外観3重、内部は地上6階地下1階建てで、最上階からは、熊本市内や遠く阿蘇の山並みを見渡せます。
さらに、熊本城の特徴のひとつといえるのは「石垣」です。下部はゆるやかな傾斜で、上部に向かうほど急な角度になる独特の造りになっており、城に侵入しようとする敵の武士を返してしまうことから「武者返し(むしゃがえし)」という異名を持っています。
闇(くらが)り通路
そのほか、城当時の姿を保っている唯一の多重櫓「宇土櫓(うとやぐら)」や、「切石積み」と呼ばれる特殊な方法で築かれた「地図石(ちずいし)」、豪華絢爛な本丸御殿大広間「昭君之間」(※2023年8月現在は見ることができない)、石垣でできた地下通路「闇(くらが)り通路」などがあり、好奇心をくすぐられます。日没から始まるライトアップも見逃せません。
住所:熊本県熊本市中央区本丸1-1
電話:096-223-5011
開園時間:9:00〜17:00(最終入園16:30)
休園日:12月29日~12月31日
入園料:大人(高校生以上)800円、小人(小・中学生)300円、未就学児は無料
交通アクセス:JR「熊本駅」から熊本周遊バス「しろめぐりん」で約30分
公式サイト:https://castle.kumamoto-guide.jp/
圧倒的な美しさ、世界に認められた名城「姫路城」(兵庫県姫路市)
1993年に奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産に登録された「姫路城」は、南北朝時代に赤松貞範(あかまつさだのり)が播磨府中を視界に収める立地に築城したのがはじまりです。
その後、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が織田信長の中国方面軍司令官となり、対毛利勢の拠点として修築。そして、関ヶ原の戦いの後、秀吉恩顧の大名がいる西国を監視するため池田輝政により大改修され、江戸城に次ぐ規模になりました。
白漆喰総塗籠造りの鮮やかな白の城壁と、5重6階地下1階の大天守と東、西、乾の小天守が渡櫓(わたりやぐら)で連結された連立式天守が最大の特徴で、シラサギが羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれています。
また、現在の天守閣は1609年に建築されたもので、400年以上がたった今でもその美しい姿が残っています。
城中は敵の侵入を防ぐために、迷路のように道が入り込んでいたり、石垣が扇子を広げたような美しいカーブを描いていたり。敵を天守閣に侵入させないための仕掛けが盛りだくさんです。
住所:兵庫県姫路市本町68
電話: 079-285-1146(姫路城管理事務所)
開城時間:9:00~17:00(入場は16:00まで)
休城日:12月29日・30日
入城料:大人(18才以上)1,000円、小人(小学生・中学生・高校生)300円
交通アクセス:JR「姫路駅」北口から神姫バス乗車「大手門前」下車徒歩5分
公式サイト:https://www.city.himeji.lg.jp/castle/index.html
日本最大にして最強の城だった「江戸城」(東京都千代田区)
東京の都心に位置する皇居は、かつて江戸城(千代田城)と称され、徳川将軍家の居城や幕府の政治の中心地として発展。江戸城の外郭は、西は四谷から東は浅草まで、北は水道橋から南は虎ノ門までに至る大規模なものでした。
江戸城のはじまりは、1457年の太田道灌(おおたどうかん)による築城だといわれています。その後、小田原北条氏の旧領を与えられた徳川家康が江戸城を居城に定め、秀忠・家光と三代にわたり江戸城の整備を行い、1636年にほぼ完成しました。
しかし、1657年の大火で焼け、本丸天守は再建されませんでした。そして、1868年には明治維新政府に接収され、東京遷都によって皇居となり今に至ります。
現在、皇居周辺には当時の江戸城の様子をうかがえる堀や石垣・門・櫓が国の特別史跡「江戸城跡」に、田安門、清水門、外桜田門が重要文化財に、牛込・赤坂間に残る江戸城外堀跡や常盤橋門跡が国の史跡に指定されています。
皇居外苑(皇居前広場・和田倉噴水公園・半蔵門園地)や北の丸公園は、国家行事などを行うとき以外は、無料無休で開放されていますので、ぜひ散歩がてら立ち寄りたいですね。
それぞれの利用案内の詳細はこちらからご覧ください。
住所:東京都千代田区千代田1-1
電話:03-3213-1111(宮内庁)
公式サイト:https://www.env.go.jp/garden/kokyogaien/1_intro/his_01.html
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