富山県が発祥!観光におすすめのスポットも
YKK(ファスナー)

※画像はイメージです。
YKKの創業者である吉田忠雄氏は魚津市出身です。1934年、YKKのルーツとなるサンエス商会を東京日本橋に設立。1946年に「YKK」の商標を制定し、1955年には創業者の故郷である富山県魚津に近い黒部市に開設した大規模工場の稼働を開始しました。
1960年代にはアメリカやヨーロッパに進出し、グローバル展開を本格化。また、建材事業にも進出し、1994年に社名を「YKK株式会社」に変更しました。2024年3月期の連結売上高は約9,202億円を記録するなど、ファスナー業界で世界最大のシェアを誇り、約70の国と地域で事業を展開しています。
2024年、黒部市のYKK AP黒部製造所内に「YKK AP技術館」がオープン。YKK APのモノづくりと技術への挑戦の歴史をたどることができます。「創業」「発展」「改革」「挑戦」の4つの時代のエリアを巡って、モノづくりの歴史や、技術者の熱い思いに触れてみてくださいね。
暴走族

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今では全国的に知られる「暴走族」という言葉。派手な改造バイクにまたがり、夜の街を爆音とともに駆け抜ける若者たちを指すこの呼称は、1972年に富山市の城址大通りで発生した騒動がきっかけで誕生したのだとか。この際、警察当局が公文書に「暴走族」という名称を初めて使用したとされているのです。
そこから類似のグループが全国に広がり、暴走族という言葉が定着していきました。しかし、暴走族の全盛期は1980年代から1990年代にかけてで、現在、その数は大幅に激減。改正道路交通法などによる取り締まりの強化と、暴走行為への世間の目の厳しさ、若者の価値観の変化、バイク離れが影響していると考えられています。
暴走族という名称が生まれるきっかけとなった「城址大通り」沿いには、続日本100名城にも選ばれた富山城があります。城内は郷土博物館になっており、模型や映像からその歴史を学べるほか、前田利長が使用した高さ140cmもの兜も見学可能です。富山市を訪れた際は、ぜひ城址大通りを歩いて、この地の歴史に触れてみてくださいね!
富山県富山市
ます寿司

ます寿司
ます寿司の発祥は、江戸時代にまでさかのぼります。当時料理に長けていた富山藩士・吉村新八が三代目藩主・前田利興のためにアユの鮓(なれずし)を作りました。それを前田利興が気に入ったことで、将軍吉宗へ献上。将軍吉宗が味の良さを賞賛し、富山名物と謳われるようになったのです。
その後、アユの代わりに春になると神通川で獲れるサクラマスを使うようになり、これが現在の「ます寿司」の原型に。大正時代になると、駅弁として売り出され、全国的に知られる存在になりました。現在、富山市内には伝統の「ます寿司」が味わえる店舗が点在。マスの厚みや酢加減、酢飯の押し具合など、味やスタイルはお店によって異なります。
ます寿司の技や歴史が知りたいのなら「ますのすしミュージアム」へ。職人の作業をガラス越しに見られるほか、笹付けやパッケージ詰めなど、ます寿司の製造工程の一端も見学可能です。「ますのすし」「ぶりのすし」をはじめ、ほかでは買えない限定の押し寿司を販売する「お土産処 天人楼」も見逃せません。
昆布じめ

白身魚の昆布じめ
昆布じめは、江戸時代から明治初期にかけて、北前船によって北海道から富山に昆布が運ばれたことで広まった富山の郷土料理です。刺身を昆布で挟み、旨味を移しながら保存する知恵として生まれました。1973年には魚津市の食品加工業「かねみつ」が初めて昆布じめを製品化。白身魚に限らず甘エビやイカ、チーズなどにも応用され、現在では家庭料理だけでなく贈答品やお土産としても親しまれています。
かねみつ製造工場に隣接する直売店では、常時30種類の昆布じめ刺し身のほか、直営店限定商品も販売しています。さらに、オンラインでの購入も可能です。白えび、天然ひらめ、かわはぎ、ばい貝といった新鮮な魚介類を使った昆布じめをぜひ味わってみてくださいね。
定置網漁業

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1573〜1592年に氷見市で始まったとされる定置網漁業。1901年制定の漁業法によって「定置網」という言葉が用いられるまで「台網」と呼ばれていました。1907年には、網が画期的な発展を遂げ、日高式大敷網を導入。大正期には上野八郎右衛門がさらに改良を行い、現代の「越中式落とし網(大敷網)」の原型が完成。そして昭和期に二重落し網や周年運用へ進化し、定置網の普及はここから全国へ広がりました。
氷見漁港内にある「氷見市漁業文化交流センター(ひみの海探検館)」では、氷見の漁村文化を体験・体感できます。「天然のいけす富山湾」や「氷見の漁師体験」の映像が見られるVRシアターのほか、大型定置網の中の魚のプレートにスマホをかざすと情報が出てくるARストリームなど多彩な体験展示が楽しめます。近隣にある水揚げされた新鮮な魚を使った定食が味わえる「ひみ岸壁市場」もあわせて訪問してみてください。
置き薬

富山駅前の売薬さん銅像
置き薬は、江戸時代初期、富山藩主・前田正甫が江戸城で腹痛の大名を「反魂丹」で治療したことが発端とされています。その効果に感動した大名たちの依頼を受け、富山藩は地場産業として売薬を奨励。薬を柳行李に詰めて各地に配置し、使用分だけ後払いで代金を受け取る独自の商法は「先用後利」と呼ばれ、全国に広まりました。「富山の薬売り」は風物詩となり、反魂丹はその代表的な薬です。現代でも富山には製薬関連企業が集積し、伝統と最先端が融合する「薬都」としての地位を築いています。
富山を代表する薬「反魂丹」は、池田安兵衛商店で購入できます。池田安兵衛商店では、専門薬剤師が体質に合わせて丸薬を調合し、丸薬製造機の実演・体験も可能です。また、2階には薬膳料理が味わえる「薬都」レストランを併設。薬文化を五感で体験できるスポットです。
富山の始まりはバラエティ豊か!
ファスナーのYKK、ます寿司、定置網漁業、さらには暴走族という名称のルーツも富山にあるといわれています。こうした独自の文化や産業の数々は、富山の持つ創造力と行動力の表れ。これからも富山発の新たなムーブメントに注目していきたいですね。
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