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【日本三大奇橋】山口「錦帯橋」・山梨「猿橋」・富山「愛本橋」の特徴や歴史、造られた目的

Posted by: あやみ
掲載日: Sep 19th, 2023.

「奇橋」とは構造が変わっていて珍しい橋のこと。日本全国には約70万の橋があるとされていますが、なかでも山口県岩国川の錦帯橋、山梨県桂川の猿橋、富山県黒部川の愛本橋は日本三大奇橋に挙げられます。今回は、それぞれの歴史や特徴について解説。どのような目的で、これらの橋がつくられたのかもあわせてご紹介します。

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山口県岩国市錦帯橋の夕景
 


 


世界的に希少な構造! “流されない橋を造りたい”という情熱から誕生した「錦帯橋」(山口県岩国市)

錦帯橋(山口県岩国市)の風景
1922年に史蹟名勝天然記念物保存法によって名勝に指定された「錦帯橋」は、日本を代表する木造橋で、錦川(岩国川)に架けられています。長さは直線で193.3m、橋面に沿って210m、4個の橋台は水面から5m。5連の美しいアーチ構造が目を引きます。

1600年、関が原の戦いで、西軍の豊臣方だった毛利輝元に仕える吉川広家は、東軍の徳川方が勝つだろうと予想し、輝元の重臣とともに、“中立を守り動かない。毛利氏の領国112万石はそのままにするように”という密約を徳川方と結びました。

広家らの予想通り東軍が勝利。そして、密約を守った広家は、周防国・長門国の2国を与えられました。岩国に入った広家は合戦直後という不安定な情勢を考慮し、城下町は防御に重きをおくことに。しかし、ひとつ不便な点がありました。それは、錦見地区に住む中下級武士は、藩政の中心である横山地区へ行くために、幅200mの錦川を渡る必要があったのです。

そのため、橋を築きましたが、すぐに流失を繰り返し、1673年にやっと岩国第三代藩主の吉川広嘉が待望の「流れない錦帯橋」を架けました。しかし、その期待に反してすぐに流失。改良を加えて翌年再建しました。この橋は、1950年9月にキジア台風による洪水で流失するまで276年の間、架け替えを繰り返しながらも威勢ある姿を保っていました。

錦帯橋の構造
このように「流れない錦帯橋」が誕生したのは、吉川広家の時代から流れない橋を研究し、さまざまな工夫を施した結果だといえるでしょう。

その後、鉄筋コンクリート造にするという意見もあったものの、1953年に木造の錦帯橋が再建されました。2001年から2004年にかけて、劣化した木造部分を架け替える「平成の架替事業」も行われ、現在の姿に。

錦帯橋(山口県岩国市)と桜
錦織橋は四季折々の景色を楽しめることでも有名です。 春は錦川河畔の桜が一斉に咲き、錦織橋が桜色に包まれます。さらに夏はライトアップされた錦帯橋と、鵜飼を同時に鑑賞することができ、秋は錦帯橋と紅葉の美しいコラボレーションを満喫、冬は錦帯橋の雪絶景を眺めることができますよ。

錦帯橋
住所:山口県岩国市岩国
電話:0827-29-5107
料金所営業時間:8:00~17:00
入橋券(往復のみ):大人(中学生以上)310円、小学生150円
交通アクセス:JR「岩国駅」からバスで「錦帯橋バスセンター」下車、徒歩1分
公式サイト:https://kintaikyo.iwakuni-city.net/

思わず二度見する珍しい構造、猿が谷を渡る様子からヒントを得て造られたとされる「猿橋」(山梨県大月市)

山梨県大槻市猿橋
安藤広重の『甲陽猿橋之図』などで広く知られている「猿橋」は、桂川に架かる橋です。溶岩を侵食した深い絶壁に架けられていて、水面からの高さは31m、長さは32m、幅は3.3mで、1本の支柱も使われていないのが特徴。かまちを何枚も重ねて架けられた四層の刎木(はねぎ)が橋脚の代わりをしているのです。

猿橋は桂川とその支流・葛野川の合流地点の付近に位置し、一帯は甲斐国と武蔵国・相模国の交通の要衝でした。そのため、橋が架けられたと考えられています。

山梨県大月市・猿橋を支えるはね木
また、創建の時期は明らかになっていませんが、伝説によると、推古天皇の時代(600年頃)、百済からやってきた造園博士の志羅呼(しらこ)が橋の建設を引き受けたものの、深い渓谷に何度も阻まれ、さまざまな方法を試みても失敗に終わり、諦めかけたところ、猿が弓のように連なって橋をつくり谷を渡っていた様子からヒントを得て、橋を架けることに成功したとか。この伝説は、猿橋の名前の由来にもなっているといわれています。

山梨県大月市・猿橋と紅葉
現在の橋は、1851年の資料をもとに1984年に忠実に復元されたものです。秋にはカエデやモミジ、イチョウが色づき、息を呑むほど美しい光景が広がります。新緑シーズンの3月中旬から6月、紅葉シーズンの10月から12月に、遊覧船に乗り、猿橋の下を流れる桂川をのんびり遊覧できるツアー「猿橋遊覧」も要チェックです。歌川広重が描いた『甲陽猿橋之図』と同じアングルから雄大な渓谷に架かる猿橋を眺めることができますよ。

さらに隣接する「大月市郷土資料館」で縄文時代の生活、戦国時代の岩殿城、江戸時代の甲州街道、明治時代の水力発電所の建設や鉄道開通後の様子の展示を見て、大月市の歴史を学ぶのもおすすめです。

猿橋
住所:山梨県大月市猿橋町猿橋
電話:0554-20-1829(大月市産業観光課)
交通アクセス:JR「猿橋駅」から徒歩15分
公式サイト:https://www.city.otsuki.yamanashi.jp/kanko/highlight/saruhashi.html

文人たちから賞賛されていた! 全長63mにもおよぶ刎橋だった「愛本橋」(富山県黒部市)

愛本橋
©️(一社)黒部・宇奈月温泉観光局

日本百名橋にも選ばれている、黒部川中流にかかる「愛本橋」は、赤い色が印象的な美しいアーチ橋です。しかし、現在の橋は12代目。かつては橋脚を用いず、両岸から橋材をせり出し、組み合せた全長63mにもおよぶ刎橋(はねばし)でした。愛本橋は刎橋として日本一の規模を誇っていたのです。愛本橋の景観は絵や文章で文人たちに賞賛されていました。

愛本橋は黒部四十八ヶ瀬の交通の難を緩和するため、1662年に架けられました。加賀藩のほか、大聖寺藩、富山藩の参勤交代の行列や文人墨客等の旅人が、黒部川を渡る北国街道の上街道として往来していたのです。

愛本橋 空撮
©️(一社)黒部・宇奈月温泉観光局

しかし、1662年以降8回にわたり架け替えら、1891年には、西欧の近代技術を取り入れた木造のアーチ橋に、1920年には鋼鉄製のトラス橋に架け直されました。現在の橋は、1969年8月の洪水で流出したため、1972年に約65m下流に架けられた鋼ニールセン系ローゼ桁橋です。とはいえ、いまだに刎橋への復元を求める地元の声もあるといいます。

刎橋だった愛本橋をぜひ見てみたいと思ったら、「うなづき友学館」にある「黒部市歴史民俗資料館」へ。ここには愛本橋を一部復元した模型(縮尺1/2)が常設展示されています。黒部市の歴史や民俗についての映像も鑑賞できますよ。

愛本橋
住所:富山県黒部市宇奈月町下立~中ノ口
電話:0765-72-1133(入善土木事務所)
交通アクセス:富山地方鉄道「愛本駅」から徒歩約10分
公式サイト:https://www.info-toyama.com/attractions/51015

[Photos by Shutterstock.com]

あやみ

Ayami ライター
フリーライター。劇団員、OL、WEB編集ライターを経て、フリーランスになる。辛い食べ物、東南アジアが大好き。旅するように生きるのが人生の目標。


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