柔らかな歌声とソウルフルな言葉で「旅」を歌いつづけるミュージシャン、Caravanさん。彼から生み出される音楽は、人生という旅路を歩むすべての旅人たちの心を優しく包みこむ。
今回、TABIZINEがCaravanさんに念願のインタビュー!
帰国子女という環境が結んだ、音楽のはじまり
ベネズエラで幼少期を過ごしたCaravanさん。帰国をした小学生当時は、日本の文化や習慣にカルチャーショックを受けたそう。
「はじめは全然日本に馴染めなくて、周りに帰国子女もいなかったから、ちょっといじめられたりとかしました。ベネズエラからきたってことは隠していました。でも、動きがおかしいって言って、バレちゃうんですけどね(笑)」
えっ?!動きがおかしいって・・・どんな動きですか?!
「人の家に靴で上がったり、和式トイレが使えないとか。電車に乗るときも興奮して“うお〜”って声を発したり。ベネズエラでは電車も駅も体験したことがなかったから、人の多さにびっくりしちゃって歩けなくなっちゃったりもしました。いちいちカルチャーショックでしたね。」
ベネズエラというと音楽や陽気な雰囲気に溢れているというイメージがあるのですが、その頃から音楽に興味があったのですか?
「ベネズエラにいた頃は、そういったことは意識をしていませんね。音楽を始めたのは帰国してから。中学生くらいのときです。」
「ベネズエラから戻ってきて、周りと上手にコミュニケーションがとれなかったので、一人で隠れておとなしくしている幼少期だったんですね。でも、中学生の時にバンドブームがあって、楽器をいじっていると友達と遊べるから“あっ、これ楽しいな”っていう感覚がありました。」
お話しを伺っていると、友達とコミュニケーションをとるためにやっていた音楽が、いまは社会という集団とコミュニケーションをとる手段になっていて、今のCaravanさんに通ずる気がします。
旅をうたうワケ
Caravanさんの楽曲には“旅”というキーワードが多いですが、その歌から伝えたいメッセージというのは?
「幼少期の経験も影響しているのか、基本的には移動がすごい好きで、旅が好きです。旅で何かをするっていうより、移動してることが好きですね。」
「でも、楽曲で伝えたいのは、“実際に旅をしよう”ってことではないんです。もちろん旅はいいものだから絶対に人生の栄養になると思います。だけど、“旅の感覚”みたいなものが大切だと思うんですよね。
日常も旅なんですよね。例えば、今こうしてお話しするのも一つの旅。
ひとつひとつ丁寧に敏感に暮らす感覚が大切だと思うから、“旅人目線で日常を生きる”というようなことを伝えられたらいいなと思います。」
「色々な場所で暮らしてきて、たくさんの人を見てきて思うのは、どこかに行くことが重要じゃないということ。
限られた場所にいて部屋から一歩もでなくても、気持ちをすごく遠くまで飛ばせる人もいると思う。逆に、世界中をバックパッカーでまわっていても何も見てないひともいるだろうし。そういう意味では、旅に出かけることが一番重要ではない気がします。」
Caravanが感じる、旅の印象深い瞬間
旅に行って、印象深かった思い出や瞬間などはありますか?
「“これを知るためにここにきたのか”っていう印象深い瞬間は毎回毎回ありますね。でも、旅中よりも帰ってきてからの感覚のほうが印象深いかな。旅のスイッチが切り替わっていない“旅人目線”の感覚で自分の街をみると、普段気にしていない部分が見えたりして。
例えば、自分の家の臭いがわかったり、家の壁紙が新鮮に映ったりすることが面白いと思っていて、その感覚が意外と好きですね。」
旅人の目線になると、日常が非日常に感じるということでしょうか?
「そうですね。例えば、サグラタファミリアの側で暮らしている人は、それを見る為に世界中から人が来るとしても、それは日常の景色なわけですよね。普段、見慣れている景色も旅人目線で見たときに、ここも悪くないなって。日常が非日常にも感じると同時に、当たり前にあったもの良さに気づける感じですね。」
その感覚で、東京の良さを再発見することもありますか?
「ありますよ。満員電車とか見ていると、ジーンときたりします(笑)夜遅くまで明かりがついているビルをみると、“すげーな、これだけの人が日本では遅くまで頑張っているんだ”って思ったり。
でも一週間すると、感覚が元に戻っちゃうんですよね。だから、どんな些細なところにも敏感になれて、心動かされる感覚を味わいたいから旅に行くという気もしています。」
旅する場所とCaravanにとってのホーム
旅の感覚を最初から最後まで大切にされているのですね・・・。
でも旅に行くからには、「行きたい場所」があって「帰る場所」があると思うのですが、Caravanさんが旅に行きたい場所は、海外ではどこになりますか?
「やっぱり、いつかまたベネズエラに行ってみたいですね。あとは、なぜかサンフランシスコって街が好きで、なにかをするわけじゃないんだけど、たまにあの街に行きたくなりますね」
サンフランシスコですか?なぜサンフランシスコへ行きたくなるのでしょうか?
「初めて行ったときに、すごくラフな雰囲気が気に入って。“何か楽だな〜、この街”みたいな。わかりやすく言えば、色々な人種を受け入れてくれたり、同性愛の人が結婚できたり。人々を拘束しない自由な雰囲気というか、街の懐の深さみたいなものがとても好きですね。たまに、また行きたいな〜って思います。」
旅先で何かをするとかではなく、その地の雰囲気や文化が体に馴染む感覚が好きなんですね。Caravanさんとお話をしていると、サンフランシスコっていう「場所」が「人」のように感じて、同時に「場」を作るのは「人」なんだって、当たり前のことに気づかされた感じがします。
前の質問に話しを戻しますが、「旅」の対岸には「ホーム」という存在があると思うのですが、Caravanさんにとってのホームや、帰りたくなるような場所はどこになるのでしょうか?
「うーん・・・そうだな〜。じつは、ホームがある人がスゴくうらやましかったんですよね。ホームっていう感覚が分からなくて、コンプレックスだったんですよ。」
「自分は、生まれは日本でも2歳で海外へ移ってしまったし、“南米がルーツです”ってほど南米には長く住んでいない。小学校の3、4年生で帰国してからも引越し続きで、故郷っていう感覚がまったくなかったんですよ。ホームが無い感じがずっと“嫌だなっ”て思っていました。」
「でも、音楽をやるようになって、そのコンプレックスがなくなりましたね。家族のように暖かく迎えてくる人が各地でいて、自分はホームがないからそのどこにでも感情移入ができる。“ここがホームだ”と思えば、そこがホームに思える感覚があって。だから今は、日本のすべてがホーム、ですね。」
新譜「サンティアゴの道」に込められた想い
新譜に「サンティアゴの道」という楽曲がありますが、サンティアゴの道(エル・カミーノ)を旅したとか、何か土地にインスピレーションがあってこの曲を作られたのでしょうか?
※サンティアゴの道(El Camino de Santiago):エル・カミーノと呼ばれる、宗教上の聖地へつながるとされる巡礼路のこと
「東北の震災があったとき、自分はバスク地方のキレイな港町にいたんですね。バスクにはエル・カミーノの一部があるんですが、その地に立って、“いつか巡礼路を歩いてみたいな”って思ったりして過ごしていたんです。でも、そんなときに日本に震災があったことを知ってものすごくショックだったのと、震災を海外からみたときに、自分は日本が嫌いであちこち旅をしていたはずなのに、愛国心みたいな感覚があることに気づいて、“自分はやっぱり日本人だし、早く日本に帰ってなにかをしたい”とか、自分が日本にいないことが心苦しく感じて過ごしたことを覚えています。」
「バクスの街を歩けば“礼拝のときはみんなで日本のために祈るから”っ言ってくれて、人種とか国境とか超えた生き物どうしの優しさを痛感しましたね。
国の違う、どこの誰かも分からないような日本の人のために愛を送ってくれる世界の人がいて、すごく心配してくれて。だったら日本もちゃんと世界へ答え出さないといけないよなって気もすごくしたし。」
「それから、モヤモヤした気持ちを抱えながら帰国したんですけど、日本ではみんな出来ることをそれぞれにやっていて。自分も出来ることを少しずつ積み重ねていきました。そうして過ごしたここ2〜3年は、色々なことが繋がって、色々なことに意味があって、すごくいいことも悪いこともいちいち考えさせられる日々で、それを振り返ると“なんか毎日巡礼だな”って。
“べつにエル・カミーノを歩かなくても、誰もがけっこうハードな巡礼しているよな”って感じて。そういうところから、「サンティアゴの道」が生まれました。」
本来のライブの意味を感じた瞬間
「サンティアゴの道」は震災があって、気づきがあって生まれた曲だったんですね・・・。そういうこともあって、Caravanさんは震災直後に宮城県塩竈市で開かれた「GAMA ROCK」にも参加されているのかなと思うのですが、参加されてどういったことを感じましたか?
「友人でもあるカメラマンの平間さんがGAMA ROCKを企画して誘ってくれたことと、あとは地震後のメディアは情報過多になっていて、色々な意見がでて、色々な亀裂が生まれたし、その分自然発生した絆も生まれたし、“何が本当かわからない”と思いました。それで、自分の感覚で確かめたいって感じて震災後の4月に東北へ行きました。その流れで産まれたフェスがGAMAROCKなんです。」
「4月のフリーライブに行ってみると、たくさんの人がきてくれて、みんな嬉しそうでした。誰のライブっていうのではなく、パーティーとしてすごくいいパーティーだったと思うんですよね。“わー、会えた〜!”とか抱き合っている子たちがいて、“パーティーがあったから色々な人が集まって再会できた”っていうシーンがありましたね。」
「会場に来てくれた人の中には、家がなくなったとか、家族がまだ見つからない人ももちろんいて、精神的に辛い状況だったと思うんですが、“ライブに来て良かった”とか“すごく楽しかった”とか言ってくれたり。
中には、びしょ濡れになった自分のアルバムを持ってきてくれて、“サインください”って言ってくれた子もいました。その子に、“うわーこれどうしたの?”って聞いたら、“津波で流された後から出てきて、見つかってすごくラッキーです”って言っていて。でも、その子は家が流されただけでなくて、おばあちゃんも亡くしていて・・・。それなのにラッキーだって言って喜んでくれて。」
「本来、パーティーとかライブとかがもっている本当の役割を改めて考えさせられる機会になりました。もちろん、職業として音楽をやっていますが、本来それらが持つ意味ってこういう部分にあるなっていう本質を考えさせられましたね。」
お話しをお聞きして、なんだか涙が溢れそうになってしまいました・・・震災はCaravaさんにとっても大きな影響を与えたものだったのですね。ほかに震災があってCaravanさん自身が変わったことはありましたか?
「自分の足で立ちたいと強く思うようになりました。プライベートレーベルを立ち上げ、スタジオを作り、何かに頼らないとやっていけないって環境は一つずつ潰していこうって思って。本当の意味でインディペンデント。
“インディーズ”という言葉がありますが、本来のインディーズっの意味を考え直したい。それまではメジャーレーベルっていうでっかいデパートの一角で豆腐を売っていたとしたら、自分の目には大きい物の危うさも見えてしまって・・・。個人商店や屋台で手作りの豆腐を売っていくようなスタイルに戻りたいって思ったんです。
“大きいから強い”みたいな考え方からはドロップアウトしたくなって、逆に“小さいけど消えない光” みたいなものを目指したいです。」
——————
Caravanプロフィール
1974年10月9日 生まれ。
幼少時代を南米ベネズエラの首都カラカスで育ち、その後 転々と放浪生活。高校時代にバンドを結成、ギタリストとして活動。2001年よりソロに転身。全国を旅しながらライブを重ね、活動の幅を広げてゆく。2004年4月 インディーズデビュー。二枚のアルバムを発表し、翌年 メジャーへ移籍。2011年までの間、年に一枚のペースでアルバムを発表してきた。
一台のバスで北海道から種子島までを回る全国ツアーや、数々の野外フェスに参加するなど、独自のスタンスで場所や形態に囚われない自由でインディペンデントな活動が話題を呼ぶ。
2011年には自身のアトリエ “Studio Byrd”を完成させ、翌年 プライベートレーベル “ Slow Flow Music” を立ち上げる。独自の目線で日常を描く、リアルな言葉。聞く者を旅へと誘う、美しく切ないメロディー。様々なボーダーを越え、一体感溢れるピースフルなLive。世代や性別、ジャンルを越えて幅広い層からの支持を集めている。
これまでにDonavon Frankenreiter、Calexico、Tommy Guerrero、Ray Barbee、Beautiful Girls、SLIP、Sim Redmond Band等、多くの来日アーチストのオープニングアクトや共演を果たし、YUKI「ハミングバード」「ワゴン」、SMAP「モアイ」を始め、楽曲提供も手掛けている。
オフィシャルサイト:http://www.caravan-music.com
オフィシャルFacebook:https://www.facebook.com/HarvestSlowFlowMusic
Caravanさんの気になるニューアルバムはこちら
[Interview photo by:MASASHI YONEDA]
[取材協力:パシフィックデリ]