世界中が震撼した大事故
第5回目は、世界を震撼させた旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所。今から30年前の1986年4月26日、実験中だった4号炉から大規模な水蒸気爆発が発生。史上最悪の原子力事故となりました。
その日、4号炉では外部電源の遮断に備えた実験が行われようとしてました。しかし炉心の温度が急上昇し、原子炉が暴走。水蒸気爆発の発生によって原子炉と建物は破壊され、炉心は10日間にわたって燃え続けました。放射性物質を外部に出さないための格納庫もなかったため、より大量の放射能が放出されることになってしまったのです。
この事故による放射能汚染被害は、広島に投下された原子爆弾の約500倍とも言われています。汚染はウクライナだけでなく、ベラルーシ、ロシアにも拡大。世界各地でも放射能が観測されました。
原発事故によってゴーストタウンとなった街
チェルノブイリ原発職員とその家族の居住地として1970年に作られた「プリピャチ」。原発所からは3kmばかり離れた街で当時4万3千人の住人がいました。
しかし原発事故によって、彼らの人生は一変。事故の実態を知らされることなく3日間の避難指示を受け、バスに乗って街を後にしたのです。住民のほとんどが3日経てば帰れると思っていたと言われています。
しかし彼らがプリピャチに戻ることは二度とありませんでした。高濃度の放射能汚染によって原発から30km圏内に住む40万人が移住を余儀なくされ、プリピャチはゴーストタウンと化してしまったのです。
住民が避難して以来、時が止まったままのような状態のプリピャチ。30年経った今でも学校や住宅、病院などがそのままの姿で取り残されています。
開業間近だった遊園地。観覧車やゴーカートも放置されたまま。
悲劇から30年経った、現在のチェルノブイリ原子力発電所
事故が起きた同年11月、放射能漏れを防ぐためのコンクリート壁で覆われた石棺の建設が完成。しかし老朽化がひどく現在では巨大なかまぼこ形の新しいシェルターが建設されています。ですがこのシェルターの耐久年数も100年とされ、事故の完全な解決のめどは立っていないようです。
現在でも30km以内の地域は立ち入り禁止区域となっていますが、ツアーに参加すればチェルノブイリ原子力発電所やプリピャチの見学が可能。
福島第一原発事故によって、より他人事とは感じられなくなったチェルノブイリ原子力発電所事故。日本から遠く離れた東欧で起こった事故とは言えど、決して忘れてはならない悲劇であることは間違いありません。
[All Photos by shutterstock.com]