「ただ、あなたらしく生きなさい」
窓際のシートから遠のいていくオークランド国際空港を眺めている筆者は、泣いていました。
数日間滞在したオークランドには、当時付き合っていた遠距離恋愛中の女性に会いに訪れていたのですが、到着したその日に別れを告げられ、数日間の滞在期間中に距離を埋められないまま、帰国を余儀なくされていたからですね。
そんな私に声を掛けてくれた人が、隣に座るニュージーランド人のノアさん。
筆者は窓の外を眺めていたため、隣にどのような人が座ったのか気づかなかったのですが、しばらくするとご高齢の女性は「どうしたの?」と親しげな表情で聞いてきてくれました。
「大丈夫です。ちょっと目に大きなゴミが入っただけ」と伝えましたが、普通に考えれば隣席の人の迷惑を考えて、冗談でも言うべきだったのかもしれません。
しかし、当時の筆者は生々しい失恋の悲しみに加えて、いくつもの絡み合った未解決の問題を抱え込んでおり、一人で苦しみを支えきれない状態でした。
「恋人と別れました」と口にした途端、せきを切ったように筆者は自分の苦しみを訴え始めます。今思えば極めて迷惑な話ですよね・・・。
もしかするとノアは手持ちのかばんの中に忍ばせた人気探偵小説の犯人を突き止めようと、意気込んで搭乗していたかもしれないのです。
あるいは海外で行われたオールブラックスの国際親善試合の観戦による睡眠不足を解消するために、11時間以上あるフライトで思い切り眠る予定だったかもしれません。
運悪く怪しげな日本人旅行者の隣に座って「どうしたの?」と聞いてしまったばっかりに、失恋話を長々と聞かされてしまったわけです。
普通なら「もう十分だよ」となってしまうかもしれませんが、ノアは最後まで慈悲深いまなざしと表情で「うんうん」と聞いてくれました。
「もう、どうすればいいのか分からない。どうやって人を愛せばいいのか分からないし、どうすれば人に愛してもらえるのか、完全に分からなくなりました」
いよいよ筆者は悲劇のヒーローになって、湿り気たっぷりの言葉を口にします。するとノアさんはまじまじと筆者の顔を眺め、
「Just be yourself. (ただ、あなたらしく生きなさい ※ちょっと意訳)」
と言ってくれました。
「海の下にはたくさんの魚が居るの。あなたが別れた女性だけが魚ではない。きっとあなたが、あなたのままで居るだけで、あなたを丸ごと愛してくれる、そんな女性がこの世にはきっと居るの。いつか巡り合えるはずよ」
そんな話もしてくれました。もちろん恋愛を想定して言ってくれた言葉でしたが、当時筆者がライターとして駆け出して間もないころの問題全てに共通する言葉に聞こえて、すごく胸に響いた思い出があります。
機内で讃美歌を歌ってくれる
ノアはオークランドから香港までの十数時間のフライト中、ずっと筆者を気遣ってくれました。あるいは放っておくと、機内からドアを開けて飛び降りかねないと思ったのかもしれません。
クリスチャンであるノアは聖書の名言をまとめた本を取り出し、筆者の傷心にふさわしいであろう一節を、次々とチョイスして朗読してくれました。
さらには讃美歌のブックを取り出し、私のために歌ってくれます。道に迷い、壁にぶつかって、戸惑っている当時の筆者に、聖書の言葉はとにかく響きました。
全ての言葉が示唆(しさ)と暗示に富んでいて、含みと広がりを持って筆者を励まし、導いてくれたからですね。
ノアはほどなく、自らの起伏に富んだ人生も話してくれました。「ニュージーランドにまた来たら、私を実のお母さんだと思って頼りなさい。もちろん家に泊まるのよ」と、連絡先を交換してくれました。
さらには飛行機が目的地の香港に近づくと、機内で何度も読み聞かせてくれた大切な本の見開きに、「Read me daily」と書き込んで、私に渡してくれました。よく見ると「あなたのママ・ノアより、親愛なる息子へ」とメッセージも。
何十年も愛用してきた聖書の名言集と聞いていたので「受け取れない」と断ると、「今の私よりも、この聖書はあなたに必要とされている」と言って、私の手に握らせてくれました。