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【渡島半島】幕末の戦艦大和「開陽丸」は、土方歳三の夢とともに江差に沈む

Posted by: Naoki
掲載日: Jun 5th, 2017.
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【TABIZINE 現地特派員による寄稿】

土方歳三ファンという方たちは、ニヒルで涼しい目をしたあの風貌と、クールな生き方に参っているのでしょう。新撰組の剣豪は日本中を駆けめぐり、函館で壮絶な最期を遂げました。

土方歳三も悲劇の主人公ですが、もうひとつ日本人の心を捉える悲劇の主人公が戦艦大和。先頃、沈没していた大和が遂に発見され、少しずつその全貌が明らかにされています。
新撰組の生き残り、土方歳三を乗せた旧幕府の軍艦開陽丸は、どこかこの戦艦大和のイメージと重なります。オンナもオトコもシビレてしまう土方歳三の生き様と、軍艦開陽丸を道南渡島半島(おしまはんとう)に尋ねました。


幕末の最新鋭艦「開陽丸」

開陽丸は幕府が総力を傾けてオランダに発注した、木造ながら最新鋭の軍艦です。結局開陽丸が日本に来た翌年に、幕府は270年の歴史を閉じることになりました。そういうわけで立ち位置としては「戦艦大和」ですが、榎本武揚率いる旧幕府勢力が奪取して江戸湾から旅立ったあたりは宇宙戦艦ヤマトか沈黙の艦隊の「やまと」でしょうか。大きな歴史ロマンを感じてしまいます。

開陽丸を中心とした榎本艦隊約3000名の旧幕府軍は、蝦夷地を獲得すべく北に向かいました。陸路を進んだ土方歳三一行は仙台で合流し、まず渡島半島の内浦湾、駒ヶ岳付近の鷲ノ木に上陸し、函館を北から攻略します。

旧幕府軍が上陸した鷲ノ木の海岸と駒ヶ岳

鷲ノ木の上陸地点に設けられた公園

函館を落とした後、今度は松前藩の攻略に向かい松前、江差と進軍します。ところが勝ち戦を続けていた江差で、この開陽丸に悲劇が待ち受けていました。冬の暴風雪にあおられて湾内に係留されていた開陽丸が沈没してしまったのです。その時の旧幕府軍の落ち込みようは、当然のことながら尋常ではありませんでした。

明治20年に建てられた郡役所と嘆きの松

悔しさのあまりに土方歳三が思いきりコブシで叩いたという松が、江差湾を見晴らす小高い場所に立っています。クールなイケメンの土方歳三が涙を流しつつコブシで木を叩くという場面、想像しただけでも胸キュンものです。

沈没した開陽丸の大捜索

沈没した開陽丸はその後明治政府が引き上げ作業を行い、海底にはほとんど何も残っていないということになっていました。ところが、この点に疑問を抱いた江差町の石橋藤雄という方が、執念の調査の末、遂に海底から遺留品を発見。日本における水中考古学調査の草分け的なサルベージが行われました。

現在、オランダに残されていた設計図をもとに再現されたレプリカが堂々たる姿で海上に座しています。13億5千万円かけて再現された開陽丸、近くにある資料館と共にぜひとも訪れてみたいところです。内部には、3万点以上ある開陽丸の遺物の中から3000点あまりが展示されています。

平成2年に13億5千万円の巨費を投じて復活した開陽丸

開陽丸を失った榎本武揚らは不吉な予感に胸を騒がせつつも、この後いったん蝦夷共和国の樹立を宣言し、函館でうたかたの繁栄に酔います。しかし押し寄せる新政府軍と対峙するため、旧幕府軍は函館五稜郭にたてこもることになりました。

江差かもめ島の桟橋で、開陽丸の沈没に打ちひしがれる土方歳三に思いをはせると、江差湾の穏やかすぎる水面がまるで皮肉のように見えました。もしかしたら北海道は、蝦夷共和国だったかも知れない。開陽丸は土方歳三たちの夢の痕跡(あと)なのです。

Naoki

Naoki 現地特派員
東京出身の元バックパッカー。北海道歴30年。現在は札幌在住。華やかな観光地以外にも知れば旅が楽しくなるような北海道の歴史にまつわる話を中心に、札幌周辺の魅力を発信してゆきたいと思います。

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