国立新美術館では2019年3月20日から、京都国立近代美術館では6月14日から「トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美」が開催されます。
トルコ最大の都市、イスタンブールのトプカプ宮殿から貴重な宝飾品や美術工芸品が来日し、オスマン帝国の美意識や文化、芸術観が紹介されます。オスマン帝国時代の栄華をいまに伝えるトプカプ宮殿、いったいどのような宮殿なのでしょうか。
オスマン帝国の政治や文化の中心地
1453年に東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを攻略したオスマン帝国の皇帝メフメト2世が、1460年代に現在の位置にトプカプ宮殿の建設を始めました。
マルマラ海、金角湾、ボスポラス海峡に囲まれたイスタンブール旧市街の岬の先端にあるこの宮殿は、1856年に新市街にドルマバフチェ宮殿ができるまで、オスマン帝国の政治や文化の中心として栄えました。
ひとつひとつが美術品のような部屋
敷地内には大きな建物はなく、比較的小さな建物や部屋が連なり、多くの庭園やキョシュクという離れで構成されています。スルタン(皇帝)が代替わりするたびに、当時の建築様式に従って徐々に増築されたため、このような構造になっています。
スルタン、そしてのちには大宰相が主催したオスマン帝国の最高意思決定機関である御前会議が開かれた部屋などのほか、一時は1200人の料理人が働いていたという調理場まで、多種多様な部屋が70万平方メートルの敷地に散りばめられています。
それぞれの建物、部屋はまるでひとつひとつが美術作品のように完成度が高く、思わず見入ってしまうほど。特にアフメト3世の書斎、ムスタファ・パシャのキョシュク、1638年にバグダットを奪還したムラト4世のためのバーダット・キョシュクは必見です。
最大の見どころはハレム
別途入場料が必要になるものの、ぜひとも見学しておきたいのがハレム。
貧しい家庭から売却されたり、戦争の捕虜となって奴隷身分になった女性は、イスタンブールで購入されると、ハレムの宦官(かんがん)に生活を監視されながら、礼儀作法や裁縫、読み書き、舞踊などの教育を施されました。運よくスルタンの目に留まった幸運な女奴隷は私室を与えられ、さらにスルタンの子を産むとハセキという称号を与えられました。
ときに激しいバトルを繰り広げながら女社会を生き抜いた女性たちの生々しい生活の面影をいまに残すハレムは、どこか異様な雰囲気も立ち込めており、ここが単なる博物館ではないということは、足を踏み入れればすぐにお分かりになるでしょう。
おわりに
西洋の宮殿とはまた違った構造が特徴的なトプカプ宮殿は、一日かけてゆっくりと見て周りたいくらい見どころが散りばめられています。「トルコ至宝展」では、きっとその魅力とオスマン帝国の芸術美を存分に堪能できることでしょう。
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