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「だんじり」ってなんだ?
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関西や西日本の人には当たり前の言葉かもしれませんが、東京などの関東の人たちには「だんじり」という言葉は聞き慣れないのではないでしょうか。
「だんじり」というと、大阪の岸和田という地名が結び付いて出てきて、岸和田だんじり祭と聞くと、なんだか(失礼ながら)柄の悪い、ちょっと怖い祭りといった印象もあるかもしれません。
そもそもこの「だんじり」という言葉、どういう意味なのでしょうか。
「だんじり」とは山車や屋台を意味する言葉
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この「だんじり」という言葉、意外かもしれませんが、意味的には何も特別ではありません。東京でいう山車や屋台、みこしを意味する言葉です。
太鼓を乗せたり、車輪を付けたりして、まちに曳き出して練り歩くあの祭礼の屋台を、大阪府や兵庫県南東部、奈良県などでは「だんじり」と呼ぶのですね。
江戸の神田祭(かんだまつり)はみこしが中心ですが、かつては山車が主流でした。その山車を関西では「だんじり」と呼ぶわけです。「だんじり」を曳き回す祭りは、関西でも岸和田だけではなく多くあります。
このシリーズで過去に取り上げた京都の祇園祭をはじめ、大坂の天神祭(てんじんまつり)でも、多くのの「だんじり」を伴います。
しかし、岸和田だんじり祭の場合は名称に「だんじり」を使い、とりわけ知名度も高いようです。関東などほかの地域の人からすれば、岸和田にだけ何か「だんじり」なる独特の祭りが伝わっているように錯覚してしまうかもしれませんよね。
五穀豊穣を祈願する祭り
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そもそも岸和田とは、大阪のどこにあるのでしょう。
簡単に説明すると、大阪府の南部です。関西国際空港も近くにある自治体で、1334年(建武1年)に楠木正成の一族である和田高家が入ったために「岸の和田」=岸和田と呼ばれるようになったのだとか。
地図を見れば分かるとおり、岸和田は海に面していて、海岸線の埋め立て地が目立ちます。
その大阪府岸和田市にある岸城神社(きしきじんじゃ)と岸和田天神宮の例祭が、岸和田だんじり祭の正式な正体なのですね。
毎年9月には、岸和田地区・春木地区、10月には、東岸和田地区・南掃守地区・八木地区・山直地区・山直南地区・山滝地区で祭りが行われます。
起源は1703年(元禄16年)、文武を好む岸和田藩主・岡部長泰(おかべながやす)が、京都伏見稲荷を城内の三の丸に勧請し、米や麦、豆、あわ、ひえなど五穀の豊穣を祈願して稲荷祭を行いました。この祭りが、岸和田だんじり祭のはじまりとされています。
老若男女が役割を担う祭り
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両手にうちわを持って屋根の上で指示を出す人や、その指示に従って勢い良くだんじりを曳き、道路の角で豪快にやり回すワイルドな群衆の姿、さらに『岸和田少年愚連隊』などのイメージも重なって、やんちゃな印象が先行しているのかもしれません。
しかし、祭の運営には、地域の老若男女が参加して各年齢層ごとに役割を担い、幅広い世代で統制のとれた組織をつくっているとも知られています。少年団・青年団・組・若頭など、昔ながらのコミュニティが祭りによって維持されている、地域に根差した伝統行事なのですね。
荒々しい掛け声や言動の裏側には、日本の多くの場所で失われてしまった地域のきずなが生き残っているようなのです。そんな風に考えると、岸和田だんじり祭が異なる形で見えてきそうですが、いかがですか?
[参考]
※ 岸和田だんじり祭の魅力 – 観光課 観光振興担当
https://www.city.kishiwada.osaka.jp/site/danjiri/
※ ブリタニカ国際大百科事典
※ 日本大百科全書(ニッポニカ)
※ 岸和田だんじり祭りを見学して – だんじり祭りを歩く