硫黄島はどんなところ?
硫黄島は、父島の南約280kmに位置する島。北硫黄島、南硫黄島とともに火山列島(硫黄列島)を構成しています。1889年に父島の住民、田中栄次郎らが鮫漁と硫黄採取を目的として渡航したことから硫黄島の開拓が始まりました。
その後、島の主な産業は平坦な土地と地熱を活かした農業となり、人口が増加。しかし、1941年に太平洋戦争が激化し、平和だった硫黄島は、本土防衛の最前線に。1944年には、島民が強制疎開され、玉砕の島となりました。
終戦後の1968年にアメリカから返還されましたが、硫黄島全域が海上自衛隊管理の航空基地の敷地のため、現在も一般人の立ち入りは禁止となっています。
硫黄島の戦いは36日間にもおよんだ
太平洋戦争時、1945年2月19日から36日間にわたって続いた硫黄島の戦い。当初、簡単な掃討作戦になるだろう、と予想していた米軍でしたが、悪戦苦闘して、日米両軍に多くの戦死者が出ることになりました。
日米兵それぞれの視点から硫黄島の戦いを描いたクリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』『父親たちの星条旗』からも、その激しさ、悲惨さを知ることができます。
幽霊が徘徊!? 硫黄島の基地で勤務する自衛隊員の決まり事
硫黄島で勤務する自衛隊員は、小銃を持ち歩くことが禁止されているそうです。なぜなら、今でも硫黄島には、戦死者の大量の人骨が埋まったままとなっており、自衛隊員が心霊現象に遭遇することも少なくないから……。その際、パニックに陥った隊員が小銃を誤射する事故が何度も起こっているのだとか。
さらに、硫黄島の砂や石を持ち帰ってはいけないという決まりがあります。万が一、持ち帰ると原因不明の高熱が出たり、枕元に血まみれの兵隊が現れるとか。そのため、自衛隊員が硫黄島から本土に帰還する際、靴の裏についた砂粒まで、ひとつ残らず落としているのだそうです。
また、自衛隊員が硫黄島に駐在している間、夜寝る前に、必ず水を入れたコップを部屋の入口に供えることになっているとのこと。硫黄島には川がなく、水不足で亡くなった兵や米軍の火炎放射器によって焼かれた兵が多数いて、夜な夜な幽霊となり島内を徘徊。自衛隊員に「水をくれ……」と、訴えるのだそうです。
硫黄島の心霊現象は天皇、皇后両陛下の慰安により鎮まった?
1994年2月12日に、当時の天皇、皇后両陛下(現在の上皇ご夫妻)が戦没者慰安のために初めて硫黄島を訪れます。おふたりは、旧日本軍の慰霊碑や日米双方の犠牲者の霊を慰める「鎮魂の丘」を訪れ、拝礼。それにより、硫黄島の心霊現象が鎮まったといわれています。また、当時、心因性の失語状態だった美智子さまは、この慰安を機に、声を取り戻したのだとか。
今年も終戦の日が近づいてきています。この機会に、硫黄島の戦没者を追悼しつつ、現在もなお世界で起こっている戦争について、深く考えてみるのもいいかもしれません。
参考:小笠原村公式サイト
[All photos by Shutterstock.com]