【TABIZINE 現地特派員による寄稿】
札幌に来てテレビ塔を見ないで帰る人は珍しいでしょう。そのテレビ塔をモデルにした「テレビ父さん」は、札幌が誇る人気ゆるキャラです。えっ、知らない!? それはマズいっス。一年中、テレビ塔付近で愛嬌を振りまいています。子供たちにもみくちゃにされながら記念写真にも気軽に応じてくれるきさくなテレビ父さん。非公認だけど「ほぼ」公式キャラクターなんだそうです。「ほぼ」ってなんだ、「ほぼ」って。
テレビ塔には兄弟たちがいる。突然ですが、さっぽろテレビ塔には兄弟がいます。あの通天閣がお兄さん、そして東京タワーは弟です。
みんな同じお父さんから生まれました! テレビ父さんのお父さんは内藤多仲(ないとうたちゅう)という塔を設計させたら右に出る者はいないというお方で、他にも日本中の数々の有名タワーの設計を手がけました。
それらの中から代表的なものを称してタワー6兄弟と呼び、作られた順に「名古屋テレビ塔」、「2代目通天閣」、「別府タワー」、「さっぽろテレビ塔」、「東京タワー」、「博多ポートタワー」。さっぽろテレビ塔が誕生したのは1957年。ちょうどおん歳60才。「あの」東京タワーの前年に完成ですから、さっぽろテレビ塔がお兄さんということです。
昭和の塔博士 関東大震災でもびくともしなかった博士のビル
内藤先生は、名前がそもそも「たちゅう」ですから、塔頭(たっちゅう)にモジっているんじゃないかと思いましたが、立派な本名なんですね。まさに塔を設計するために生まれてきたような方です。明治19年、今の南アルプス市でお生まれになり、東大で建築学などを学ばれました。
内藤先生は、耐震構造の父とも呼ばれ、関東大震災の時、他のビルが倒壊する中、博士の設計した鉄筋コンクリートの興銀ビルは大丈夫だったそうで、彼の耐震構造理論が実証された形になったとか。
天才は何事も無駄にしない
おもしろい話があって、1917年、内藤先生はアメリカに留学するときに、旅行用トランクの仕切り板を外して船に積んだら、なんとトランクは壊れてしまっていた。こりゃあだめだと思いながらも、ここから耐震構造についてのヒントをゲットしたというのですから、どんな経験も無駄になりません。その後、博士は数々の塔の設計で知られるようになりまして、皮切りが1954年の名古屋テレビ塔。
名古屋「水の宇宙船」から見た名古屋テレビ塔
ちなみに名古屋のテレビ塔とその下に続く大通公園(久屋大通公園)は、札幌の街並みとよく似ていますね。それはどちらも街の成り立ちが計画的になされているからでしょう。札幌は明治維新後に計画的に作り上げられた街ですし、名古屋は関ヶ原の戦の後に作り上げられた計画都市。ただし、久屋大通は第二次大戦後に整備されたとか。
テレビ塔の数奇な「人生」
さっぽろテレビ塔はその後、映画「ゴジラ対キングギドラ」でゴジラに派手に壊されるといった華々しくも波瀾万丈な塔人生を歩みましたが、いつしか高さ(147m)の点では駅ビルのJRタワー(高さ173m、展望台160m)に負けてしまい、次第に影が薄れてゆきました。
展望台でさえテレビ塔の先端より上というJRタワー
近年、老朽化したテレビ塔を高さ650mの塔へと建て替える話が出たりもしましたが、残念ながらというべきか幸いにもというべきか、立ち消えになりました。
札幌市庁舎 展望フロア(無料)からみたテレビ塔
さっぽろテレビ塔がテレビ塔ではない理由
実はさっぽろテレビ塔がテレビ塔として機能したのはわずか12年ほどです。その理由は、NHKの1962年を皮切りにテレビ局が相次いで電波塔を札幌の南にある手稲山頂に移設したためでした。日本各地の多くのテレビ塔は、デジタル放送などへの移転に伴ってテレビ塔としての役割を終えましたが、さっぽろテレビ塔はそのはるか前にテレビ塔としての役割を終えています。
札幌を見下ろす手稲山頂にはたくさんの電波塔が建っているのが肉眼でも観察できます。残雪の手稲山頂をバックに、天然記念物のオジロワシが優雅に飛んでおりました。翼を広げると2mを越えます。
手稲山を背景に飛ぶオジロワシ
いろいろ書きましたが、観光客はこのレトロな「さっぽろテレビ塔」が大好きなようで、大勢の人がこの塔をバックに写真を撮っています。高さ90mの展望台へは料金大人720円ですが、ウェブに割引券があるので要チェック。
絶景の3F展望レストラン
3Fまでは無料で行くことが出来、「ニュー三幸」という眺め抜群のレストランはかなりお薦め。暮れなずむ大通公園と藻岩山の景色はまさに札幌そのものです。このレストランは小樽に本店があり、絶品の黒毛和牛のビーフシチューを頂くことが出来ます。眺めの良い席を予約してゆきましょう。
3階レストランから円山方面の眺め
ニュー三幸のビーフシチューが美味しい!