1997年1月撮影 当時のワールドトレードセンター
ワールドトレードセンターとは
2022年5月17日撮影
「ワン・ワールド・トレード・センター」は、ニューヨークの同時多発テロ(ツインタワー)跡地隣に建設された104階建の超高層ビル。2006年に着工し、2014年に完成。米国一の高さでアンテナを含め1,776ft(約541m)あり、1776年のアメリカ独立宣言を象徴しています。
元のツインタワー(ワールドトレードセンター)が建っていた場所は、同時多発テロの10年後にノースタワー(北棟)が「ノース(北)プール」、サウスタワー(南棟)が「サウス(南)プール」に姿を変え、「国立911メモリアル(慰霊碑 The National September 11 Memorial)」としてオープンしました。各々のプールは犠牲者の名前が刻まれ、鎮魂の水を湛えた慰霊碑になっています。
ワン・ワールド・トレード・センターはどこにある
2022年7月6日撮影
ワン・ワールド・トレード・センターはマンハッタンの先端部、ロウワーマンハッタンに位置します。地下鉄では、A/Cラインの“CHAMBERS ST”、Eラインの“WORLD TRADE CENTER”、1ラインの“RECTOR ST”、2/3ラインの“FULTON ST”、R/Wラインの“CORTLAND ST”、4/5 ラインの“FULTON ST”よりアクセスが可能。
住所:285 Fulton St, New York, NY 10007
開園:月〜日曜日 9:00~22:00
公式サイト:https://www.wtc.com
展望台あり 大人43ドル〜
https://www.oneworldobservatory.com/ja-JP/ 日本語
ワールドトレードセンターの歴史
2001年8月撮影 当時のワールドトレードセンター
1966年8月5日 ワールドトレードセンター建設開始
1970年12月 ノースタワー(北棟)が完成。地上110階 1,368ft(約417m)で当時世界一の高さになる
1971年7月 サウスタワー(南棟)が完成。地上110階 1,362ft(約415m)の高さ
1975年12月 サウスタワー(南棟)107階に屋内展望台、サウスタワー(南棟)屋上の屋外展望台(当時世界最高の高さ)がオープン
1976年4月 ノースタワー(北棟)の106階と107階に位置する 「ウィンドウ・オン・ザ・ワールド(Windows on the World)」がオープン。
最後の1年間は米国で最も売上高の高いレストランであった
1993年2月 爆破事件発生。ノースタワー(北棟)地下駐車場で爆薬を積んだトラックが爆発。死者6名重軽傷者1,000名以上
1998年1月 ノースタワー(北棟)でマフィアによる銀行強盗。バンク・オブ・アメリカの200万ドルの現金が盗まれるが、犯人は逮捕済
2001年9月 同時多発テロ発生。2,977名が犠牲になった
●午前8時46分 ボストン発ロサンゼルス行きアメリカン航空11便(乗客乗員92名、ハイジャック犯5名含む)が、ニューヨークのノースタワー(北棟)に衝突。92名の乗客乗員は全員死亡
●午前9時03分 ユナイテッド航空175便(乗客乗員65名、ハイジャック犯5名含む)が、サウスタワー(南棟)に突入。65名の乗客乗員は全員死亡
●午前9時37分 アメリカン航空77便(乗客乗員64名、ハイジャック犯5名含む)が、バージニア州の国防総省(通称ペンタゴン)に激突。64名の乗客乗員は全員死亡
●午前9時59分 サウスタワー(南棟)が崩壊。高さ415mのビルが崩れ落ちるのに、たった11秒しかかからなかったといわれる
●午前10時3分 ユナイテッド航空93便(乗客乗員44名、ハイジャック犯4名含む)が、ペンシルベニア州・シャンクスビルの平野に墜落。44名の乗客乗員は全員死亡。ホワイトハウスか、連邦議会の議事堂を標的にしたと見られている。米政府はすでに、同機がワシントンに接近するようなら撃墜するよう、軍に命令を出していた
●午前10時28分 ノースタワー(北棟)が崩壊。
2002年5月 「グラウンド・ゼロ」(ワールドトレードセンター崩壊後の呼び名)から最後の残骸が取り除かれる
2006年3月 「フリーダム・タワー」としてワールドトレードセンターの再建着工。911メモリアルとミュージアムの建設開始
2009年 フリーダム・タワーから、ワールドトレードセンターへ名称変更
2011年9月11日 国立911メモリアル(慰霊碑 The National September 11 Memorial)がオープン
2014年5月 国立911博物館(The National September 11 Museum)
2014年11月 ワン・ワールド・トレード・センターがオープン。1,776ft(約541m)で米国一の高さになる
2018年9月 地下鉄駅コートランド・ストリート駅(テロから約17年間閉鎖)が再開
Official 20 Year Time-Lapse – Rebuilding the World Trade Center
911 同時多発テロ 悲しみの記憶
2001年9月11日同時多発テロのわずか数日前に、ダウンタウンCharles streetから撮影したワールドトレードセンター。テロ後に現像(当時はフィルム撮影)したら、写真左側に何かを暗示するよう謎のハレーションが。
ニューヨーカーにとって、忘れることができない9月11日。2001年のあの日もこんな青空だったと、見上げる初秋の空に胸が痛みます。被害者の国籍は、アメリカを含めて77カ国と多岐にわたり、日本人24人を含めた2,977名が亡くなりました。
2001年9月11日以降、ニューヨーカーは命の儚さと尊さ、家族の大切さを痛感し、助け合うようになりました。20年以上たっても、愛する人を失った喪失感は消えず、会いたい気持ちは募るばかりです。
犠牲者や遺族の言葉の重さは胸に突き刺さり、前を向いて日々を生きなければと心に刻みます。
もう一度君に電話できたら
I’m on an airplane that has been hijacked…if things don’t go well, and they’re not looking good, I want you to know that I absolutely love you.
I want you to do good, have good times, same with my parents.
I’ll see you when you get here. I want you to know that I totally love you. Bye, babe, hope I will call you.”
やあ、ジュール(妻の愛称)。僕だ、ブライアンだよ。
僕が乗っている飛行機が、ハイジャックされている。この先の状況はよくなさそうだ。
だから、僕が君をとても大事に思っていることを伝えたかった。
もっともっと君を大切にして、共に人生を過ごしたかった。僕の両親みたいにね。
また、きっと会おう。天国で君が来るの待っているよ。
心から君を愛していることをわかってくれるね。
バイ、愛する君。もう一度、電話できたらいいな。
ブライアン・スイーニー氏 享年38歳(元アメリカ海軍パイロット)
搭乗機がワールドトレードセンターへ衝突直前に、妻へ残した留守番電話(生存最後のものとなった)
(意訳 青山沙羅)
ブライアン氏は2001年9月11日に、ユナイテッド航空175便に搭乗。飛行機はハイジャックされ、ワールドトレードセンターの南棟に激突。衝突する3分30秒前に、ブライアン氏が妻のジュリーさんに電話したメッセージ。
元気? 今どこにいるの? こんなに逢いたいのに
9/11で犠牲になった父親に宛てた、5歳の息子が書いたハガキ
(意訳 青山沙羅)
9/11で父を亡くした幼い息子から、父へ宛てたハガキ。シンプルでストレートゆえに、気持ちが伝わってきます。
明日よりも、今日のために生きる
Three days later, on September 11th, 2001, two planes flew into the World Trade Center and killed my father. Those two planes brought down one of the world’s largest buildings and my father with it but those two planes did not bring me down. In the moment, it felt like my entire world had literally shattered in an instant. The immense loss I experienced and still feel today cannot be expressed in words alone.
My father was the best person I have ever known and though he was taken from me on that day, nothing and no one will ever be able to take way the eight years and two days of my life that I shared with him. After my father died, and after I lost so much, I promised myself that I would never lose who I am as a person – the person that my father brought me up to be.
Life is far too unpredictable and far too temporary to live it for anyone but yourself.
No person has an expiration date, I could die in seventy years or seventy hours from now and that is something that I know I can not control.
Something I can control, however, is my life in this moment and what I choose to do with it.
Experiencing great loss can leave a person with a feeling of emptiness and lack of purpose but it is within the power of the individual to overcome such adversity and live life with passion. Though I lost so much ten years ago, I also gained life lessons that I would never have learned otherwise. I learned to live my life without a single regret. I learned to live for today rather than tomorrow. I now appreciate the people that love me and every moment I am blessed to have with each of them. I learned not to let the little things in life consume me. if you ask anyone that knows me, focusing on small details is not something I am capable of doing. I will admit that there are many things I do not know about this world we live in but I do know that the uncertainty of life is indeed certain.
If you owe someone an apology, tell them you are sorry today.
If someone asks for your forgiveness, forgive them.
Start being the person you always wanted to be today and don’t waste your time worrying about tomorrow.”
Love,
Mary Kate McErlean
– whose father was killed on 9/11 when she was 8 years old.
2001年9月8日は、私の8歳の誕生日。おねだりしていた、ピカピカの紫色の自転車とお揃いのヘルメットを手に入れました。
その3日後の2001年9月11日、2機の飛行機がワールドトレードセンターに突っ込み、父が亡くなりました。その2機の飛行機は、世界最大のビルと私の父を倒しましたが、私を倒すことはありませんでした。
その瞬間、私の世界が一瞬で粉々になったように感じました。私が経験し、今も感じている計り知れない喪失感は、言葉だけでは言い表せません。
父は私がこれまでに知った中で最高の人物でした。9月11日という日に私から父が突然に奪われましたが、私が父と共有した8年と2日間の人生は誰にも奪うことはできません。
父が亡くなり、数多くのものを失った後、父が愛情を込めて育ててくれた「私という人間」を決して失ってはいけないのだと心に誓いました。
人生はあまりにも予測不可能で、一時的なものであり、他者ではなく自分の人生を生きるしかありません。
誰にも有効期限というものはなく、70年後あるいは70時間後に死ぬ可能性があり、それは自分ではどうすることもできないことだとわかっています。
それでも、私はこの瞬間に私の人生を生き、何を選択するかはコントロールできます。
大きな損失を経験すると、人は空虚感と目的の欠如を感じますが、そのような逆境を克服し、情熱を持って生きることも個人の力量です。
私は10年前に多くのものを失いましたが、他の方法では学べなかったであろう人生の教訓も得ました。
私は自分の人生を後悔することなく、生きることを学びました。
私は明日よりも、今日のために生きることを学びました。
(略)
あなたが誰かに謝罪する必要があるのなら、今日という日にごめんなさいと伝えてください。
あなたに誰かが許しを求めたら、今日という日に許しを与えてください。
今日という日にあなたがなりたいと望む人間になり、明日のことを心配して時間を無駄にしないでください。
2012年9月 ジョージタウン大学心理学専攻の新入生 メアリー・ケイト・マッカーリーンによるDear World Liveによるスピーチ、8歳時に9/11で父親が死亡。 (意訳 青山沙羅)
20歳前の若い女性とは思えないことばに、胸を衝かれます。人間として早急に成熟せざるを得ないほど、大きな悲しみを経験して乗り越えてきたことが感じられます。
ワールドトレードセンター 37年前へタイムスリップ
1985年9月撮影 当時のワールドトレードセンター
1997年2月撮影 当時のワールドトレードセンター
1998年4月撮影 当時のワールドトレードセンター
ニューヨーク市マンハッタンにあった「ワールドトレードセンター」のツインタワーは、アメリカの富と権力の象徴でした。
筆者が旅行者としてニューヨークを訪れた時、ツインタワーの高さに驚いたものです。その後はツインタワーがビルの隙間から見えるとうれしくなり、アップタウンかダウンタウンかの方向を確認する、なくてはならない存在でした。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロは、ニューヨーカーを悲しみのどん底に突き落としました。ツインタワーが消えたマンハッタンは、見慣れぬ別の土地のようで、3,000名近くの犠牲者を思うと心が深く沈んでいきました。
多くのニューヨーカーが直接または間接的に犠牲者に関っており、911については多くを語らず、無口になりました。その代わりに皆で助け合い、乗り越える気持ちが芽生え、優しく強くなりました。
ツインタワーはテロ後グラウンド・ゼロ(爆心地)となり、そしてフリーダム・タワーが再建され、最終的にはワン・ワールド・トレード・センターの名前に戻りました。
ニューヨーク市の景色は進化し続けています。次回のニューヨーク旅学事典は「ブライアント・パーク」を予定。続けて読んでいただくとうれしいです。
所在地:180 Greenwich St, New York, NY 10007
開館時間:9:00~20:00 無休
入場料:無料
公式サイト:https://www.911memorial.org/
9/11 メモリアル ミュージアム
所在地:180 Greenwich Street, New York, NY 10007
開館時間:水~月 10:00~17:00
入場料:大人26ドル〜
公式サイト:https://www-911memorial-org.
[All Photos by Hideyuki Tatebayashi ] Do not use images without permission.
参照
SEPTEMBER 11 PORTRAIT. A DAUGHTER’S TRIBUTE TO HER FATHER. In Memoriam Sept 11 Facebook 2019年6月24日
The Complete History of Ground Zero: Before and After 9/11 911 ground Zero Tour
1776フィートで高さ全米1位、米テロ跡地ビルが正式認定 CNN CO JP 2013.11.13
「9/11」から20年 あの日、何があったのか BBC News Japan 2021年9月10日