今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」

Posted by: 倉田直子

掲載日: Apr 18th, 2017

今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」

(c) Anne Frank House / Photographer: Cris Toala Olivares

アンネ・フランク(Anne Frank)という名前をご存知でしょうか。第二次世界大戦中、1942年から44年の2年間、ナチスの目を逃れて家族や他のユダヤ人たちと共に隠れ家で息をひそめながら生活していた少女の名です。隠れ家での生活や、平和への想いを綴った彼女の日記は、その死後に父親の手によって出版されました。世界的大ベストセラーにもなった彼女の日記がしたためられた隠れ家は、今では「アンネ・フランクの家」(Annne Frank House Museum)という名の博物館としてその姿を残しています。

アムステルダムに残るかつての隠れ家

今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」

「ナチスの目を逃れて隠れていた」ということから何となくドイツというイメージがあるかもしれませんが、アンネたちが住んでいた隠れ家はオランダの首都アムステルダムにあります。ユダヤ系ドイツ人だったアンネとその家族(両親と姉)は、アンネがまだ幼いころにナチスが勢力を強めるドイツからオランダに移住してきたのです。

今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」

(c) Anne Frank House / Photographer: Cris Toala Olivares

平穏な生活はほんの数年間で終わりを告げ、オランダでもユダヤ人連行が頻繁に行われるようになります。そこでフランク一家は、アンネの父オットーが経営していた会社の建物の奥側部分の3階・4階と屋根裏部屋を改築してそこに身を隠すようになりました。

フランク家の4人以外にも4人のユダヤ人が住んでいたこの隠れ家は、1944年8月4日にドイツのゲシュタポ(秘密国家警察)に発見されてしまい、アンネたちの隠れ家生活に終止符が打たれました。ちなみにアンネの日記の記載は、その3日前の8月1日が最後です。

今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」

隠れ家で暮らした8人のユダヤ人のうち、生きて終戦を迎えられたのはアンネの父親オットーだけでした。アンネを含む他の7人は、強制収容所で命を落としてしまいました。そして唯一生き残ったアンネの父オットーこそが、アンネの日記を出版し、かつての隠れ家を博物館としてオープンさせたのです。

日記帳の現物も。貴重な展示品たち

今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」

(c) Anne Frank House / Photographer: Cris Toala Olivares

博物館の中は、かつて会社として使われていた部分と隠れ家になっていた場所に分かれています。会社だった部分では、当時の建物の構造が分かる模型も展示されています。

今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」

(c) Anne Frank House / Photographer: Cris Toala Olivares

そして貴重な、アンネの日記の現物を見ることができます。

今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」

(c) Anne Frank House / Photographer: Cris Toala Olivares

ちなみに、明るい場所で見るとこういう装丁の日記帳でした。少女らしい可愛らしい色使いですね。

今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」

(c) Anne Frank House / Photographer: Cris Toala Olivares

かつての隠れ家への入り口をカムフラージュするために作られた本棚のドアは、今でもそのまま残されています。博物館の来場者も、実際にこの扉を通って隠れ家部分の見学をすることができるのです。

今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」

(c) Anne Frank House / Photographer: Cris Toala Olivares

実は、かつて隠れ家にあった家具などは、アンネたちが連行された直後にすべて撤去されてしまっていました。父オットーの意向で、隠れ家部分は何もない状態のままにされています。壁に残されたピンナップ類などだけが当時の生活を忍ばせます。ちなみにこの空間は通路ではなく、アンネと歯科医フリッツ・プフェファー氏が共同で使用していた部屋です。思春期の少女だったアンネが、いくら逃亡中とはいえ中年男性だったプフェファー氏とこんなに狭い空間で寝起きするのはさぞ気詰まりだったことでしょう。

今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」

(c) Anne Frank House / Photographer: Cris Toala Olivares

来場者は言葉少なに、けれど真剣に見入っています。

オンラインチケット購入が便利

今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」

(c) Anne Frank House / Photographer: Cris Toala Olivares

数多くあるアムステルダムの美術館・博物館のなかでも、特に人気のあるこの「アンネ・フランクの家」は、常に訪問者でにぎわっています。少しでも混雑を緩和するため、入場可能な時間が2016年より大幅に変更になりました。開館時間の午前9時から午後3時半までは事前にチケットを購入してある人のみの入場で、予約の無い人は午後3時半以降にしか入場できなくなったそうです(閉館時間は、時期によって変わります)。

チケットが無いと1時間待ちも珍しくないので、旅行で訪れる場合は、公式ホームページからの事前購入が安心です(ただしオンラインチケットにも入場日時の指定があるので、ご希望の日時がある場合は早めの購入をお勧めします)。

今こそ知りたい。少女が2年間隠れ続けた家の博物館「アンネ・フランクの家」

(c) Anne Frank House / Photographer: Cris Toala Olivares

この博物館の壁には、アンネや家族の言葉が所々に記されているのですが、その中に父オットーの「未来を築くためには、過去を知らないといけない」(To build up a future, you have to know the past.)という言葉もあります。まさにこれこそが、この博物館の大切さを表現した言葉なのではないでしょうか。世界各地でテロや紛争が絶えない現代社会。平和の重要性を人々が忘れそうになっている今こそ、ぜひ訪れたい場所です。

[Anne Frank House Museum]
[A Photo by Shutterstock.com]

PROFILE

倉田直子

Naoko Kurata ライター

オランダ在住ライター。元バックパッカーの旅行愛好家。2004年に映画ライターとしてデビュー。2008年、北アフリカのリビアへ移住後に海外在住ライターとして活動スタート。2011年から4年間のUKスコットランド生活を経て、2015年夏にオランダへ再移住。著書「日本人家族が体験した、オランダの小学校での2年間」
https://www.amazon.co.jp/dp/B0758JCDTM/

オランダ在住ライター。元バックパッカーの旅行愛好家。2004年に映画ライターとしてデビュー。2008年、北アフリカのリビアへ移住後に海外在住ライターとして活動スタート。2011年から4年間のUKスコットランド生活を経て、2015年夏にオランダへ再移住。著書「日本人家族が体験した、オランダの小学校での2年間」
https://www.amazon.co.jp/dp/B0758JCDTM/

SHARE

  • Facebook