自由の女神とニューヨーク・マンハッタンの街並み
スエズ運河に巨大な像を建てたい
ニューヨークにある「自由の女神」
「自由の女神」と言えば、アメリカのニューヨークを思い浮かべる人が大半のはずです。
東京のお台場にもありますがあちらはレプリカ。「パリにもあるよ」と詳しい人は言うかもしれません。パリの「自由の女神」は姉妹像です。
「自由の女神」と言えばやはり、ニューヨークが真っ先に思い浮かぶはず。しかし、あの女神像、もしかすると、エジプトのスエズ運河に建てられていたかもしれないとご存じでしたでしょうか。
自由の女神の設計者フレデリック・オーギュスト・バルトルディ
事の発端は、ニューヨーク湾のリバティ島に「自由の女神」を後に設計する彫刻家フレデリック・オーギュスト・バルトルディのエジプト訪問に始まります。
フランスの文化使節団の一員として古代遺跡の撮影をしていたバルトルディは、砂漠に横たわる都市の遺跡と、壮大な時間を生き延びた巨大像に感銘を受けたそう。
その当時、エジプトにあるスエズでは、フランス人外交官フェルディナン・ド・レセップスの主導の下で、フランス資本とエジプト政府の協力によって運河の建設が進められていました。
そこで、バルトルディは、当時のエジプト総督イスマーイール・パシャに、灯台を兼ねた巨大な女人像をスエズ運河に建造してみてはどうかと提案します。
具体的には「アジアに光をもたらすエジプト(フランス語:L’Égypte apportant la lumière à l’Asie、英語: Egypt Carrying the Light to Asia)」というタイトルで、エジプトの農民の女性をデザインしたとされています。
エジプトでの感銘がニューヨークで実現
エドゥアール・ド・ラブレー
残念ながら、その提案は退けられました。しかし、フランスの法学者にして思想家であり、アメリカに詳しいエドゥアール・ド・ラブレーが、彫刻家バルトルディに新たなチャンスをもたらします。
民主主義を共有するフランスとアメリカ、両国の友情の証として、アメリカ独立100周年(1876年)を記念し、巨大な像を贈呈するというプロジェクトがバルトルディの下へ持ち込まれたのです。
このプロジェクトが後に、ニューヨーク湾のリバティ島に建つ「自由の女神」へとつながっていきます。
パリ万博で展示された頭部
話を持ち込まれたバルトルディはアメリカへ渡り、支援者集めと場所探しに動き出します。
ロケーション候補については、現在のリバティ島(当時・ベドローズ島)に早々に目星を付けたそう。
しかし、具体的な支援に関しては、ラブレーの紹介状などを頼りに、アメリカの有力者たちと次々面会するものの、好意的な反応がなかなか得られなかったとされます。
そこで、バルトルディと思想家のラブレーは、フランス・アメリカ両国で募金委員会を立ち上げ、両国で別々に資金集めを開始します。
資金集めの手段としては、たいまつを掲げた腕、頭部と肩といった製作中の女神像の一部を万博で展示するなど、センセーショナルな方法を採用しました。
写真は、1876年にフィラデルフィアで開催された建国100周年記念博覧会で展示された、自由の女神像の松明(たいまつ)と腕の一部を写したものです。腕の付け根部分には案内所が設けられており、松明の炎の下にある手すりのそばには2人の人物の姿が見えます
資金集めが徐々に進み、製作も進んで、1884年(明治17年)に女神像の本体がフランスで完成すると、いよいよ現実味を帯びてきたニュースがアメリカに伝わり、アメリカ側にも有力な支援者が現れ始めます。
翌年には、プロジェクトチームは、完成した女神像を350のパーツに分解して214箱の木箱に詰め、アメリカ側に輸送します。受け入れサイドのアメリカでは、1886年(明治19年)4月末に台座が完成し、4カ月かけて台座の上に、分解された像が組み直されました。
台座の製作の様子
完成は1886年(明治19年)の秋です。除幕式に駆け付けたバルトルディは以下のように発言したと言います。
「私の夢がかないました。私に言えることがあるとすれば『ただただ感激している』という言葉だけです。この像は永遠に生き続けます。私たちがこの世を去り、私たちとともに生きた全ての物が朽ち果てたとしても」(National Park Serviceに掲載された発言の英訳を日本語に翻訳)
完成については当初の予定から10年遅れましたが、エジプトの巨大像から受けた感銘を膨らませ、アメリカのニューヨークで形にしたのですね。
ちなみに、ニューヨーク湾のリバティ島に建つ「自由の女神」の正式名称は「世界を照らす自由(Liberty Enlightening the World)」です。スエズ運河で建造を夢見た女神像「アジアに光をもたらすエジプト」との連なりを感じさせます。
自由の女神はパリ、東京へ
エドワード・モラン《世界を照らす自由の女神像の除幕式》(1886年) 油彩・カンヴァス。ニューヨーク市立博物館、J・クラレンス・デイヴィス・コレクション所蔵
冒頭でも軽く触れましたが、東京のお台場にも「自由の女神」があります。あの女神像にも実は、きちんとしたいわれがあるとご存じでしたか。
お台場にある「自由の女神」のレプリカ
アメリカの建国は1776年(安永5年)です。その建国から13年後の1789年(寛政元年)にフランス革命が起きました。言い換えると「自由の女神」が完成した1886年(建国100周年から10年)の3年後、1889年(明治22年)はフランス革命100周年に当たります。
その100周年を祝って、フランスに暮らすアメリカ人コミュニティからお礼として、パリ・セーヌ川の白鳥の小径に1/4サイズの「自由の女神」が送られました。
パリにある「自由の女神」のレプリカ
パリにあるこの1/4サイズの「自由の女神」が今度は、東京にある「自由の女神」の元となります。
「日本におけるフランス年」(1998年~1999年)で、フランス政府協力の下、パリにある「自由の女神」のレプリカが期間限定で展示され、期間後にはフランスに返還されるものの、あらためて像が制作され、再設置の運びとなりました。
いわば、エジプトの古代文明に魅せられた彫刻家の夢が、スエズ運河から始まり、ニューヨークで形となって、パリへ、さらには東京・お台場へと受け継がれていったのですね。
その100年以上にわたる壮大な物語を知った上で今度、東京のお台場に行ってみてください。「自由の女神」の見え方が今まで以上に深まるはずです。
[参考]
※ Frédéric-Auguste Bartholdi – National Park Service
※ Statue of Liberty – Official Site of the state of New Jersey
※ Liberty Island Cultural Landscape – National Park Service
※ 【コラム】自由の女神 – 国立国会図書館
※ Myths surrounding the origin of the Statue of Liberty – Museum of the city of New York
画像素材:PIXTA, Wikimedia Commons(Public Domain)
