曳舟駅から飛木稲荷神社に向かう
TABIZINE還暦特派員の阿部真人です。
今回なぜ飛木稲荷神社の戦災イチョウをご紹介するのかといいますと、今から75年前の3月10日、東京大空襲があったからです。太平洋戦争末期、東京はたびたびアメリカ軍の空襲に襲われました。下町のほとんどは燃え尽くされ、死者負傷者の数は計り知れないものでした。その時に被災したイチョウの木がいまもたくましく育っているといいます。
東武亀戸線の曳舟駅を出てスカイツリーの方向に散歩をする気分で進みます。高木神社と書かれた信号で南の小路に入っていきます。高木神社という社が左手にあります。全く知らなかったのですが、いまではこの高木神社の方が飛木稲荷より有名なのかもしれません。
というのも、シリーズ累計600万部突破のコミック「からかい上手の高木さん」というコミックがあり(アニメでも放送していたそうですね)、同じ「高木」という名前が縁で、この神社はコラボを展開しているのだそうです。
願い事が書かれた短冊やスタンドパネル展示のほか、オリジナルの短冊に願い事を書けるコーナー、また新たな開運アイテムが販売されているそうで、若い女性たちが訪れていました。もともとは室町時代に建てられた由緒ある神社でもありますが・・・
その高木神社を通り過ぎて50mほど行った左手、駅から徒歩15分ほどのところに飛木稲荷神社がありました。12月に訪ねたので、黄色に色付いた大きなイチョウの木が見えました。冬場は丸坊主かもしれません。
飛木稲荷神社「飛んできたイチョウの木」
水害や火災などで古文書が失われたために創建年代は不明だそうですが、1468(応仁2)年にはすでに建てられていたといいます。ある暴風雨でイチョウの木が飛来し、この地で見事に育っていたことから、飛木稲荷神社としたのが始まりだそうです。まさに飛んできた木「飛木」の神社なのです。
樹齢500年とも1000年ともいわれるこのイチョウの木。ハッキリした年は分からないようですが、上の方はこんもりと盛り上がるように元気に葉っぱが茂っていました。
75年前にあった東京大空襲
しかし裏側に回ってみると、幹の中央部、表面の皮が剥がれて真っ黒な炭になっているのが分かります。痛ましい傷跡。昭和20年3月10日の東京大空襲では、東京の下町が壊滅し10万人もの方が亡くなりました。この神社の本殿も焼失。このイチョウの木も炎に包まれました。西側からの炎です。
ちなみにイチョウの木は、幹や葉っぱにたくさんの水分を溜めているので、燃え尽きることは少ないといいます。よくお寺や神社の境内にイチョウの木を見かけますが、昔の人びともイチョウが火災の延焼防止に役立つと考えて植えてきたといいます。生活の知恵ですね。
案内板には「身代わり 飛木の焼けイチョウ」として、こう書かれています。「昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で、ご神木は、我が身を焦がし、懸命に炎をくい止め、町の延焼を防ぎました。そして幸いにも多くの人たちが助かりました。」と。そして「数年を経て緑の芽を吹きだし」たというのです。イチョウの木はふたたび命を吹き返したのです。
東京に106回もの空襲
空襲は卑劣な行いです。戦場ではない、一般市民が暮らす場所に爆弾を落としています。爆弾を落とした人たちは、その下でどんな光景が広がっているか分かりません。爆撃や火災も、そして人が逃げまどい、苦しんで亡くなるのも見えません。無自覚、無感覚で人を殺すことになります。
しかも一般市民を狙った焼夷弾での空襲。焼夷弾とは木造住宅を焼き払うための爆弾です。1945年3月10日の東京大空襲では、市街地の東半分、じつに東京の3分の1以上の面積にあたる約41平方㎞が焼失したといいます。そして亡くなった方は10万人以上。ちなみに東京への空襲は一度だけではなく、106回もあったのです。
東京の下町は大きな被害を受けました。そして有名な浅草寺も東京大空襲によって国宝だった本堂や五重塔が焼失してしまいました。じつは浅草寺の境内にも戦災したイチョウの木があります。
浅草寺の東側、二天門近くにあるご神木のイチョウも、幹の中心部分を見てみると真っ黒に焦げているのが分かります。このイチョウの下は参拝客の休憩所になっていますが、戦災イチョウの存在に気が付く方は少ないかもしれません。
その他にも浅草寺の境内には、焦げたイチョウの木が何本かありました。75年も前の空襲ですが、焦げた跡は、いまも生々しく感じられます。
さらに浅草寺の北、隅田川に架かる言問橋にも東京大空襲の痕跡が残されています。「言問橋」と書かれた石自体、焼け焦げた跡が残っていて黒ずんでいるのです。そして・・・
言問橋西側の橋詰にある隅田公園には東京大空襲の慰霊碑が建てられています。焼夷弾による火災を逃れ、隅田川に逃れようとしてここまで来て、命を落とした方々が大勢いたそうです。
そんな悲しい歴史を二度と繰り返してはなりません。