【金沢ミステリー】文豪・室生犀星を育てたお寺に残る「捨て子を救う迷子石」とは?

Posted by: 坂本正敬

掲載日: Jul 24th, 2020

子どものころ、迷子になった経験はありますか? とても怖くて、心細くて、でも必ず助けてくれる大人がいて、最後に親との再会があって。子どもの心に深く刻み込まれる一大事ですよね。そんな迷子を救う石が、石川県金沢市のお寺にあります。あの高名な詩人にして小説家の室生犀星が育ったお寺にある迷子石。今回はちょっとミステリーという話とは違うかもしれませんが、その切ない石を紹介します。

地名の由来にもなった千日山雨宝院


犀川大橋

金沢の中心部には片町という商業エリアがあります。その片町からにし茶屋街や通称「忍者寺」のある寺町寺院群に向かって犀川を渡る際、犀川大橋を渡ります。

1924年(大正13年)に完成した長さ62mの橋で、そのたもとに「雨宝(うほう)院」という高野山真言宗のお寺があります。

このお寺は、資料によって建立の年代が異なるのですが、雄勢が諸国を修行して回る中で、現在の三重県にある伊勢神宮で千日参籠(さんろう)を行い、その後に加賀に戻って建立したとも言われています。その年代は1595年(文禄4年)だったり、「寺社由緒書上」では1616年(元和2年)と記されていたり。

千日参籠とは、1,000日間、

<神社・仏寺などに昼夜こもって祈願すること>(岩波書店「広辞苑」より引用)

とあります。その千日から千日山雨宝院の名前が生まれ、その千日山にちなんで、この辺りの町名は千日町と言われるようになりました。

ちなみにお寺の冠に見かける「○○山」とは、中国のお寺に由来する山号(さんごう)です。多くの寺院が山にある中国では、山の名前を寺院の称号として使います。その制度が日本にも入ってきて、平野部に寺院を多く持つ日本のお寺に浸透していったようですね。

全国的にも珍しい迷子石


迷子石(写真中央)

その千日山雨宝院には、1975年12月13日の毎日新聞が「全国で唯一」と書くくらい、珍しい不思議な石があります。もちろんほかにも東京の「一石橋迷子しらせ石標」など、全国に類似の石がいくつか存在しますが、今回紹介する不思議な石とは「迷子石」。

「まよひ子ここへもて来べし、ここへたずぬべし」と刻まれている石碑が、雨宝院の門のそばに置かれています。

今風の言い方をすれば、「迷い子がいれば、ここに連れてきてください」「迷い子を探しているのなら、ここに訪ねてきてください」という感じでしょうか。


雨宝院

この石がつくられた背景には、飢饉(ききん)があったと「石川県大百科事典」(北國新聞社)に書かれています。江戸時代は断続的に飢饉が訪れ、庶民を苦しめました。この石が置かれた時期は、1827年(文政10年)との話。その数年後には、歴史の教科書にも載る天保の飢饉が起きています。

当時は、苦しい時代だったのかもしれません。「加賀百万石」というきらびやかな言葉だけで江戸時代を振り返ると、加賀藩では庶民も豊かに暮らしていたような印象を受けます。しかし、実態は違っていて、飢饉により当時、捨て子が多く発生していました。

その捨て子を救う目的で、雨宝院に迷子石が置かれました。親に見捨てられた子どもたちには、食事が与えられたとも言われています。

室生犀星を育てたお寺

親に見捨てられた子どもを預かり、食事を与えていたという雨宝院。実は詩人にして小説家の室生犀星もここで育っています。

室生犀星の自伝小説「作家の手記」によれば、かつて加賀藩で百五十石のふちをもらっていた元侍(足軽組頭)の父(当時64歳)と、早々に妻を失った父親にひそかに愛されていた女中(当時34歳)の間に、室生犀星(本名・照道)は生まれています。

世間体を気にした両親は、生後間もなくして近所にあった雨宝院に、わずかな養育費とともに室生犀星を預けます。

この時の養母は、雨宝院の住職の内縁の妻・赤井ハツです。室生犀星を含め、彼女はもらい子を4人も育てていたと言います。幼いころの記憶を書いた室生犀星の「幼年時代」によれば、

<母は叱るときは非常にやかましい人であったが、かわいがるときもかわいがってくれていた>(室生犀星「幼年時代」より引用)

ともあります。この母とは、養家の母についての記述。そう考えると、根底には愛のある人だったのかもしれません。しかし、実態は朝から酒を飲んだくれ、きせるで子どもをめった打ちにしていた一面もあるのだとか。

後に実の父が死ぬと、実の母も失踪し、室生犀星は二度と再会を果たしていないといいます。室生犀星は雨宝院で20歳まで育ち、その生い立ちの悲惨さから逃れる思いで、文学を志していきました。その幼いころの記憶が、先ほどの「幼年時代」には記されています。

小松健一「文学の風景をゆく」によると、1922年(大正11年)に、この雨宝院は犀川の大洪水で被害を受けていると言います。大きな修理が必要になると、作家になった室生犀星が、

<貧乏物書きだから分割にしておくれ>(小松健一「文学の風景をゆく」より引用)

と、月々1万円を修繕費として送ってきたというエピソードも残っています。悲運な生い立ちに負けず、「捨て子」の室生犀星が文豪に成長した場所が雨宝院。まさにその雨宝院に迷子石が置かれていると思って参拝すると、独特の感慨にふけられるはずです。

雨宝院
住所:石川県金沢市千日町1-3
電話:076-241-5646
拝観時間:9:00~17:00

[参考]
小松健一「文学の風景をゆく」(PHP研究所)
「石川県大百科事典」(北國新聞社)
船登芳雄「室生犀星における小説の方法–初期三部作から「市井鬼」物への展開を追って」<論究日本文学>(立命館大学)
「石川県の地名」(平凡社)
室生犀星「少年時代」(旺文社文庫)

PROFILE

坂本正敬

Masayoshi Sakamoto 翻訳家/ライター

翻訳家・ライター・編集者。東京生まれ埼玉育ち。成城大学文芸学部芸術学科卒。現在は、家族と富山に在住。小学館〈HugKum〉など、在京の出版社および新聞社の媒体、ならびに〈PATEK PHILIPPE INTERNATIONAL MAGAZINE〉など海外の媒体に日本語と英語で寄稿する。 訳書に〈クールジャパン一般常識〉、著書(TABIZINEライターとの共著)に〈いちばん美しい季節に行きたい 日本の絶景365日〉など。北陸3県のWebマガジン〈HOKUROKU〉(https://hokuroku.media/)創刊編集長。その他、企業や教育機関の広報誌編集長も務める。文筆・編集に関する受賞歴も多数。

翻訳家・ライター・編集者。東京生まれ埼玉育ち。成城大学文芸学部芸術学科卒。現在は、家族と富山に在住。小学館〈HugKum〉など、在京の出版社および新聞社の媒体、ならびに〈PATEK PHILIPPE INTERNATIONAL MAGAZINE〉など海外の媒体に日本語と英語で寄稿する。 訳書に〈クールジャパン一般常識〉、著書(TABIZINEライターとの共著)に〈いちばん美しい季節に行きたい 日本の絶景365日〉など。北陸3県のWebマガジン〈HOKUROKU〉(https://hokuroku.media/)創刊編集長。その他、企業や教育機関の広報誌編集長も務める。文筆・編集に関する受賞歴も多数。

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