地名の由来にもなった千日山雨宝院
犀川大橋
金沢の中心部には片町という商業エリアがあります。その片町からにし茶屋街や通称「忍者寺」のある寺町寺院群に向かって犀川を渡る際、犀川大橋を渡ります。
1924年(大正13年)に完成した長さ62mの橋で、そのたもとに「雨宝(うほう)院」という高野山真言宗のお寺があります。
このお寺は、資料によって建立の年代が異なるのですが、雄勢が諸国を修行して回る中で、現在の三重県にある伊勢神宮で千日参籠(さんろう)を行い、その後に加賀に戻って建立したとも言われています。その年代は1595年(文禄4年)だったり、「寺社由緒書上」では1616年(元和2年)と記されていたり。
千日参籠とは、1,000日間、
<神社・仏寺などに昼夜こもって祈願すること>(岩波書店「広辞苑」より引用)
とあります。その千日から千日山雨宝院の名前が生まれ、その千日山にちなんで、この辺りの町名は千日町と言われるようになりました。
ちなみにお寺の冠に見かける「○○山」とは、中国のお寺に由来する山号(さんごう)です。多くの寺院が山にある中国では、山の名前を寺院の称号として使います。その制度が日本にも入ってきて、平野部に寺院を多く持つ日本のお寺に浸透していったようですね。
全国的にも珍しい迷子石
迷子石(写真中央)
その千日山雨宝院には、1975年12月13日の毎日新聞が「全国で唯一」と書くくらい、珍しい不思議な石があります。もちろんほかにも東京の「一石橋迷子しらせ石標」など、全国に類似の石がいくつか存在しますが、今回紹介する不思議な石とは「迷子石」。
「まよひ子ここへもて来べし、ここへたずぬべし」と刻まれている石碑が、雨宝院の門のそばに置かれています。
今風の言い方をすれば、「迷い子がいれば、ここに連れてきてください」「迷い子を探しているのなら、ここに訪ねてきてください」という感じでしょうか。
雨宝院
この石がつくられた背景には、飢饉(ききん)があったと「石川県大百科事典」(北國新聞社)に書かれています。江戸時代は断続的に飢饉が訪れ、庶民を苦しめました。この石が置かれた時期は、1827年(文政10年)との話。その数年後には、歴史の教科書にも載る天保の飢饉が起きています。
当時は、苦しい時代だったのかもしれません。「加賀百万石」というきらびやかな言葉だけで江戸時代を振り返ると、加賀藩では庶民も豊かに暮らしていたような印象を受けます。しかし、実態は違っていて、飢饉により当時、捨て子が多く発生していました。
その捨て子を救う目的で、雨宝院に迷子石が置かれました。親に見捨てられた子どもたちには、食事が与えられたとも言われています。
室生犀星を育てたお寺
親に見捨てられた子どもを預かり、食事を与えていたという雨宝院。実は詩人にして小説家の室生犀星もここで育っています。
室生犀星の自伝小説「作家の手記」によれば、かつて加賀藩で百五十石のふちをもらっていた元侍(足軽組頭)の父(当時64歳)と、早々に妻を失った父親にひそかに愛されていた女中(当時34歳)の間に、室生犀星(本名・照道)は生まれています。
世間体を気にした両親は、生後間もなくして近所にあった雨宝院に、わずかな養育費とともに室生犀星を預けます。
この時の養母は、雨宝院の住職の内縁の妻・赤井ハツです。室生犀星を含め、彼女はもらい子を4人も育てていたと言います。幼いころの記憶を書いた室生犀星の「幼年時代」によれば、
<母は叱るときは非常にやかましい人であったが、かわいがるときもかわいがってくれていた>(室生犀星「幼年時代」より引用)
ともあります。この母とは、養家の母についての記述。そう考えると、根底には愛のある人だったのかもしれません。しかし、実態は朝から酒を飲んだくれ、きせるで子どもをめった打ちにしていた一面もあるのだとか。
後に実の父が死ぬと、実の母も失踪し、室生犀星は二度と再会を果たしていないといいます。室生犀星は雨宝院で20歳まで育ち、その生い立ちの悲惨さから逃れる思いで、文学を志していきました。その幼いころの記憶が、先ほどの「幼年時代」には記されています。
小松健一「文学の風景をゆく」によると、1922年(大正11年)に、この雨宝院は犀川の大洪水で被害を受けていると言います。大きな修理が必要になると、作家になった室生犀星が、
<貧乏物書きだから分割にしておくれ>(小松健一「文学の風景をゆく」より引用)
と、月々1万円を修繕費として送ってきたというエピソードも残っています。悲運な生い立ちに負けず、「捨て子」の室生犀星が文豪に成長した場所が雨宝院。まさにその雨宝院に迷子石が置かれていると思って参拝すると、独特の感慨にふけられるはずです。
住所:石川県金沢市千日町1-3
電話:076-241-5646
拝観時間:9:00~17:00
[参考]
小松健一「文学の風景をゆく」(PHP研究所)
「石川県大百科事典」(北國新聞社)
船登芳雄「室生犀星における小説の方法–初期三部作から「市井鬼」物への展開を追って」<論究日本文学>(立命館大学)
「石川県の地名」(平凡社)
室生犀星「少年時代」(旺文社文庫)