【金沢ミステリー】10人で渡ると9人の影しか水面に映らない、不思議な「九人橋」

Posted by: 坂本正敬

掲載日: Nov 4th, 2020

金沢のミステリー連載、今回は金沢にかつて存在した九人橋を紹介します。10人で渡ると、9人しか水面に人影が映らないミステリアスなスポットで、その痕跡は今もありますので、ぜひとも金沢旅行で確かめてみてください。

東内惣構の遺構

東内惣構(そうがまえ)の遺構(※九人橋ではありません)

10人で渡ると9人しか水面に映らない橋

東内惣構が流れ込んでいた浅野川

東内惣構が流れ込んでいた浅野川

金沢は第2次世界大戦の空爆を免れたまちです。そのため、現代的な景色の中にも、加賀藩時代の近世の気配が感じられて、まち歩きがとても楽しい場所。

そんな金沢には、古くから九人橋の俗談がありました。九人橋とは冒頭でも紹介したように、10人で通ると9人しか水面に映らないといわれた橋です。現存はしないものの、橋が架かっていた堀の名残が、まち中に見られます。この九人橋は、金沢城の防衛システムである惣構(そうがまえ)に架かっていた橋です。惣構とは、金沢城を守るために城の周囲に二重に巡らされた、長大な堀と盛り土(土居)の土木構造物です。

そのうち城に近い、内側の惣構(内惣構)は1599年(慶長4年)につくられ、城から遠い、外側の惣構(外惣構)は、1610年(慶長15年)につくられました。関ケ原の戦が終わって間もない時代です。城を中心に、東側の二重の惣構をそれぞれ東内惣構、東外惣構と呼び、西側を西内惣構、西外惣構と呼びます。

その中でも、九人橋が架かっていた場所は、城から見て東側、しかも内側にあった東内惣構の一角でした。東内惣構は、現状でほとんどが埋められて道路になっています。しかし、わずかに水路として残っている部分もあって、この水路を九人橋川と呼びます。九人橋はすでに消滅していますが、川の名前にその呼び名が残っているのですね。

九人橋が架かっていた場所は、裁判所の近く

東内惣構(そうがまえ)の案内板

惣構に関する立て看板

九人橋が架かっていた場所をさらに詳しく言えば、現在の地方裁判所の近くになります。

兼六園からひがし茶屋街に向けて、国道159号線が走っています。兼六園からスタートして、裁判所の前で大きく右折すると、進行方向右手に金沢中央消防署味曽蔵出張所が見えてきたところで、あらためて道が直角に左折しています。その交差点(味曽蔵町交差点)付近に、かつて橋がありました。

幕末から明治にかけて活躍した森田柿園が編さんした郷土資料『金澤古蹟志』によると、九人橋という小さな橋は、10人で並んで渡ると、昼夜に関係なく影が9つしか水面に映らなかったといいます。通るたびに、先頭の人の影が消えたり、最後の人の影が消えたり、真ん中の人の影が消えたりと、消える位置もさまざまだったそうです。

この怪奇現象を当時の人々は、

<一度々々に違ひけるぞ、いやまさりておそろしう覚ゆ>(『金澤古蹟志』より引用)

と騒いでいたといいます。毎回、消える人が違うので、当時の人たちもいよいよ恐ろしく思って、堀に架かった小さな橋を九人橋と呼ぶようになったのですね。

九人橋の名前をヒントに後から怪談話がつくられたのか

東内惣構(そうがまえ)

東内惣構の堀

この怪談話は、いつから存在するのでしょうか?そもそも橋の歴史は、一部の資料に1648年(慶安元年)の時点で存在していたと記録されています。そうなると、1610年(慶長15年)に堀ができてから、1648年になるまでの間につくられたと考えられます。

『金澤古蹟志』には橋が何年にできて、できた当初から何と呼ばれていたか記されていませんが、もしかすると九人橋という名前が先にあって、その名前から怪談話が後につくられた可能性もあるといいます。

確かに、人影が映らない怪談スポットは、全国にも珍しくありません。例えば、同じ加賀藩の前田家がつくった富山県高岡市にも、無影御池(無影の井戸)があります。その井戸は江戸時代の当時、水面に人影が奇麗に映るので、評判の井戸だったそうです。しかし、影が映らなかった人が死んでしまったため、多くの人が怖いもの見たさで自分の影を確かめに来るスポットになったとか。

類似の話は、北陸のみならず、例えば四国の香川県にもあります。井戸寺(いどじ)という寺の境内には「おもかげの井戸」があり、この井戸に自分の影が映らなかった人間は、3年以内に死ぬともいわれているのだとか。

現代でも、写真に姿が映らなかった人は死ぬだとか、被写体の一部が消えて映ると事故でその部位を失うだとか、似たような「怖い話」を聞きます。人の姿を映す水面や鏡、写真には、何か想像力をかきたてる部分があります。そう考えると、人の想像力と九人橋という橋の名前が、怪談話を生んだという考えが、有力なのかもしれませんね。

いずれにせよ、金沢には東内惣構の名残があります。その水面に自分を映し込んで、自分の影の有無を確かめてみてください。「絶対に映る」と理性でわかっていても、この話を聞いた後では、ちょっと怖くなるはず。得体のしれない世界に対する恐れをどこかで感じながら金沢を歩くと、金沢の近世の空気感がまち角から伝わってきて、まち歩きに違った味わいが生まれるはずです。

ちなみに今から北陸は天候が崩れる季節に入ります。新型コロナウイルス感染症の影響を見ながらも、すぐに行動を起こしたほうがいいかもしれませんね。

[参考]
歴史のまちしるべ標柱一覧 – 金沢市
金沢古蹟志 – 金沢市図書館
小説と歩く金沢 宵の城下 怪談探訪 – 中日新聞
無影御池(無影の井戸) – 高岡市図書館
1 寺々の物語 – 香川県立図書館
※ 『よく分かる金沢検定受験参考書 』(時鐘舎)

[Photos by Masayoshi Sakamoto]

PROFILE

坂本正敬

Masayoshi Sakamoto 翻訳家/ライター

翻訳家・ライター・編集者。東京生まれ埼玉育ち。成城大学文芸学部芸術学科卒。現在は、家族と富山に在住。小学館〈HugKum〉など、在京の出版社および新聞社の媒体、ならびに〈PATEK PHILIPPE INTERNATIONAL MAGAZINE〉など海外の媒体に日本語と英語で寄稿する。 訳書に〈クールジャパン一般常識〉、著書(TABIZINEライターとの共著)に〈いちばん美しい季節に行きたい 日本の絶景365日〉など。北陸3県のWebマガジン〈HOKUROKU〉(https://hokuroku.media/)創刊編集長。その他、企業や教育機関の広報誌編集長も務める。文筆・編集に関する受賞歴も多数。

翻訳家・ライター・編集者。東京生まれ埼玉育ち。成城大学文芸学部芸術学科卒。現在は、家族と富山に在住。小学館〈HugKum〉など、在京の出版社および新聞社の媒体、ならびに〈PATEK PHILIPPE INTERNATIONAL MAGAZINE〉など海外の媒体に日本語と英語で寄稿する。 訳書に〈クールジャパン一般常識〉、著書(TABIZINEライターとの共著)に〈いちばん美しい季節に行きたい 日本の絶景365日〉など。北陸3県のWebマガジン〈HOKUROKU〉(https://hokuroku.media/)創刊編集長。その他、企業や教育機関の広報誌編集長も務める。文筆・編集に関する受賞歴も多数。

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