セントラリアは炭鉱の町として栄えた
ペンシルベニア州北東部はアメリカで唯一の無煙炭の産出地で、セントラリアは炭鉱の町として栄えました。当時は、良質の燃料として家庭の暖房に使われていたのです。1960年には1,435人の住民が住んでいました。
しかし、消費者のほとんどが石油を使った暖房に切り替えたことで、無煙炭は廃れます。そのため、炭鉱は閉鎖され、石炭会社は撤退。放置された炭鉱で火災が発生することに。
火災の原因となったのは?
自然に発生する石炭鉱床は、鉱業では「シーム(seam)」と呼ばれています。このような鉱脈がある場所では、坑内火災が発生しやすい傾向があるそうです。インドのビハール州、ジャリアの炭鉱も1916年以来、燃え続けています。
セントラリアの火災の原因は、同町のゴミ収集場から始まったとされています。1962年5月27日に、ボランティア消防士による毎年の清掃活動の一環として火が放たれたのです。当時、ゴミの焼却は一般的な処理方法でした。しかし、この火が想像以上にゴミの奥深くまで燃え広がり、炭鉱に引火してしまったのではないかと考えられています。
そのほか、正体不明のトラックの運転手が火をつけたという説や、あまり一般的ではありませんが、坑内火災は大恐慌時代に始まっていたという説もあります。
住んでいるだけで危険な町
セントラリアの住人は、火災の煙が健康に害を及ぼすのではないかと危惧。政府当局が明らかにしたガスの分析結果によると、低濃度の酸素、高濃度の二酸化炭素、微量の一酸化炭素が検出され、楽観視できない状況でした。そのため、1983年に連邦議会はセントラリアの町を丸ごと移転させるための予算を計上。多くの住人は移り住みましたが、現在もセントラリアとその隣町カニンガムに10人未満の人が住んでいます。
とはいえ、今もなおセントラリア周辺の裂け目から、火災の煙(有毒ガス)が上がっているほか、地面が突然、崩壊して陥没する危険性も! 1981年2月14日には12歳の少年がセントラリアの祖母の家の裏庭で遊んでいると、地面が裂け、体を飲み込まれたといいます。木の根につかまり、大声で助けを求めたところ、無事、いとこに救出されたそうですが、恐ろしいですよね。
また、2002年に米国郵政公社は、セントラリアの郵便番号を取り消し、ペンシルバニア州道61号線(1,219mにわたる)は閉鎖されたままです。
火災が100年以上続く可能性がある
1962年から1982年にかけて政府機関は、煙が出てくる穴を塞いだり、塹壕を掘ったり、坑内に灰・砂・砕石を詰めたりと、さまざまな消化活動を実施しました。ですが、その努力も虚しく、坑内火災は今も続いています。州の環境保護局によると「火災は今後100年以上にわたって続く可能性がある」とのこと。
また、ペンシルバニア州廃坑埋め立て事務局長のティム・アルテアーズ氏は、「延焼範囲はおよそ160ヘクタールにおよんでいる」といいます。さらに場所によっては、地下100mほどに達していると考えられているそうです。
ユニークな観光スポットだったが…!?
COVID-19パンデミック前の「グラフィティ ハイウェイ」
セントラリアの閉鎖された61号線は、「グラフィティ ハイウェイ」と呼ばれ、ユニークな観光スポットになりました。多くのストリートアーティストが、この道にグラフィックアートやサインを描いたのです。
盛り土で覆われた道路
しかし、残念ながら2020年にこの道を所有する企業が、COVID-19の最中に訪問者が道を通らないよう、道路を盛り土で覆いました。
セントラリアの坑内火災は、いつおさまるのでしょうか。まったく想像がつきませんが、一日でも早く鎮火することを願っています。
[参考]
HowStuffWorks/Centralia: The Ghost Town That Sits Atop an Inferno
ナショナル ジオグラフィック/50年燃え続ける米の炭鉱火災
ナショナル ジオグラフィック/インドの火災、50年燃え続ける炭鉱
[All photos by Shutterstock.com]