神代桜を訪ねて山梨県の実相寺へ
山高神代桜をご存じでしょうか。福島県の三春滝桜、岐阜県の根尾谷淡墨桜とともに、日本三大桜と呼ばれています。山梨県北杜市にありますが、中央高速に乗れば首都圏から案外近いのです。
中央高速の須玉ICから15分ほどで実相寺近くの神代公園駐車場に到着しました。車を止めると、周囲に植えられたたくさんの桜があちこちで花開いていました。駐車場の脇でさえ、きれいな桜が花開いているのですね。
さて、駐車場から実相寺までは徒歩2〜3分らしいのです。近づいていくと、すぐに上の写真のような光景。塀の向こう側が実相寺の境内のようです。
なんと境内にはチューリップやスイセンの花々まで咲き乱れています。そして、その向こうには、さらに美しい桜並木が見えるではありませんか。いよいよ期待感が高まっていきます。
気が急いてだんだん急ぎ足になっていきますが、こちらが実相寺の山門のようです。境内には神代桜を一目見ようとたくさんの観光客がすでにいます。
入口にある案内図によれば、山門をくぐると左手にお花畑が広がり、真っすぐ行くと本堂。その左手奥に山高神代桜があるようですね。
たくさんの花々が咲き乱れる実相寺
山門を入るとまもなくしだれ桜が桜のトンネルを作っていました。日本各地からの特徴ある桜の苗木を植え付けて作った並木のようです。
右を見るとまだ小さな苗木が植えられ、桜が育てられているようです。あちらこちらに花々が咲き乱れているので、しきりにキョロキョロしながら歩いてゆくことになります。
右手奥には、若田光一さんとともに宇宙に行った神代桜の種から発芽させた「宇宙神代桜」もありました。まだ小さな桜の木ですが、花をほころばせていました。
左を見ると先ほど見たスイセンやチューリップの花畑が広がっています。なんと10万本もあるといいますから、これだけでも壮観ですね。
途中、上の写真の福島の三春滝桜や、下の写真、岐阜の根尾谷薄墨桜のお裾分けの子桜も植えてありました。子どもの桜とはいっても、もう50年ほどはたっているらしいのです。
桜の向こうに本堂がありました。
この実相寺というお寺、当初は真言宗のお寺だったそうですが、1375年(永和元年)に実相院日応という僧が日蓮宗のお寺に改宗したといいます。その後、武田信玄の時代に現在地の寄進を受け、この地に移転しました。たぶんこの神代桜があったからなんでしょうね。
樹齢2000年 神々しい神代桜
本堂でお参りを済ませて神代桜に向かいました。今に至るまでになんと2度も火災に遭ったといいます。当時すでに1000年以上生きていた桜で大木です。延焼した可能性もあります。しかし樹木の生命力は人知を超えますから、焼けても生き残ったのかもしれません。
そして、ついに御対面です!こちらが山高神代桜。見事な桜です。品種はエドヒガンザクラだそうで、福島県の三春滝桜・ 岐阜県の淡墨桜とともに日本三大桜のひとつ。訪ねたのは去年の4月初めでしたが、今年はそれよりも少し早いかもしれません。
樹高10.3m、根元・幹周り11.8mもあり、日本で最古・最大級の巨木として大正時代に国指定天然記念物第1号となりました。ちなみに枝張りは東西に17.3m、そして南北に13mあるのだそうで、本当に風格があります。
根元をよく見ると、大きな空洞があります。幹がまっぷたつに割れてしまいそうな危うさですね。紐のようなもので割れないように結束されているのがわかります。
しかも、あちこちに支えが敷かれて、枝が自分の重さに耐えきれず折れないように支えているのが痛々しいのです。
神代桜を保護する息の長い取り組み
実は昭和初期には、木の高さや枝ぶりが明治期に較べて小さくなっていることが指摘されていたそうです。
1948年(昭和23年)には、寿命はあと3年と言われたそうで、1959年(昭和34年)には台風で太い枝が折れてしまい、1984年(昭和59年)には幹の上に保護用の屋根がかけられるようになったとのことです。
下のほうだけでなく、高い枝もあちらこちらで支柱によって支えられています。支柱を気にすると、周囲には支柱だらけな気がしてきました。
そこで2003年(平成15年)から「日本花の会」や地元の造園会社が本格的な樹勢回復作業をスタート。神代桜の周囲の土壌を取り除いて、土壌改良材を混ぜた赤土で埋め戻し、地表部分には養分と微生物に富んだ培養土を敷いたそうです。
そうした治療の結果、翌年には新枝が前年の2倍の早さで伸び、葉の数も増え、根の発根量も増えるなどの樹勢が少しずつ回復してきたそうです。
樹勢が回復したとはいえ、いまも満身創痍という印象でちょっと悲しいのです。
でも、根元をぐるっと回って西側から見ると、美しい花を大空に向けて広げている様子がわかります。花咲爺さんのように、お年寄りが両手をひろげてバンザイをしている姿を思い浮かべて楽しくなりました。
可憐な桜の花がまとまって咲いていますね。2000歳の巨木だというのに、こんなに初々しい小さな花々を付けるのがとても不思議な感覚です。この対照的な姿に思わず手を合わせたくなるのですね。実際に訪ねてみて実感しました。
古くから日本人に愛されてきた桜
伝説では、この山高神代桜、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の折、この地に植えたことから「神代桜」という名前の由来になったと伝えられます。
古の時代から日本人に特別に愛されてきた桜。その桜(サクラ)は「木花咲耶姫 コノハナサクヤヒメ」とともに語られてきました。
日本武尊と同じように「古事記」や「日本書記」に登場する伝説の美女です。山の神、大山祇神(オオヤマツミ)の娘で、「古事記」では本名を神阿多都比売(かむあたつひめ)、別名を木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)といい、「日本書紀」では本名を神吾田津姫(かみあたつひめ)、神吾田鹿葦津姫(かむあたかあしつひめ)、別名を木花開耶姫(このはなのさくやびめ)というのだそうです。
木花咲耶姫は、桜のように美しく、そしてはかなく散った神様です。というのも哀しくも凄絶な物語があるからです。彼女は天照大御神(アマテラスオオミカミ)の天孫、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に愛され、妻となりました。
そして一夜の契りで妊娠します。ところが夫である瓊瓊杵尊から浮気を疑われ、身の潔白を証明するために産屋の出入り口を塞いで、無事に出産したら天孫の子ですと言って自ら火をつけたのです。結果、木花咲耶姫は亡くなってしまい、3人の子どもは無事に生まれました。
こうして、木花咲耶姫は子安神、安産の神様として広く信仰されるようになったそうです。
一方で、木花咲耶姫は別称を浅間大神とも言うそうです。富士山本宮浅間大社の主祭神であり、富士山の神でもあるのです。燃え盛る炎のなかで出産したことで火を噴く富士山と結び付けられたという、ちょっと怖い説もあるんだそうですよ。
木花咲耶姫と桜を結び付けて考えた先人たちの想像力はたいしたものですね。たぶん昔も今も日本列島にする人びとの桜への思いは変わっていないのだろうと思います。そして樹齢2000年もの神代桜は、たしかに神々しいばかりでした。
住所:山梨県北杜市武川町山高2763 実相寺
電話:0551-30-7866(北杜市観光協会)
HP:https://www.hokuto-kanko.jp/sp/sakura_jindai
[All Photos by Masato Abe]