日本一の巨樹を求めて鹿児島へ
樹齢1500年という長い長い年月を生きてきた日本一の巨木だというので、最初は鹿児島の人里離れた山のなかに育つ野性味たっぷりの木をイメージしていました。でもそうではなく、神社のご神木として大切に祀られてきた巨木のようなのです。
場所は鹿児島県の北西部、姶良市蒲生(あいらし・かもう)地区の中心、蒲生八幡神社の境内にあるといいます。鹿児島空港から車で30分ほど、九州自動車道加治木ICから20分あまりで到着です。
蒲生町は2010年に近隣の姶良町・加治木町と合併して姶良市となりました。江戸時代以降、薩摩藩島津家が統治してきた城下町だといいます。
神社の前にある駐車場にレンタカーを止め、案内板で町内の地図を見てみました。武家屋敷もあるようで、古くは「蒲生郷」と呼ばれていたそうです。それほど大きな街ではないので歩いて回れるようです。ちょっと散歩してみましょう。
歴史のある城下町「蒲生の郷」
鹿児島県で武家屋敷といえば、「薩摩の小京都」として知覧町の武家屋敷を思い浮かべますが、ここ蒲生にも立派な屋敷が並ぶ武家屋敷通りがあるのですね。いまも立派な通りと屋敷が残されていました。
帰宅したあとで調べたところ、薩摩藩では領内を113区画に分けて、それぞれに行政や軍事を司る「地頭仮屋」を設け、その周囲に「麓(ふもと)」と呼ばれる武士集落を配置したそうです。
蒲生郷はふたつの川に狭まれた地形を利用し、川を外堀として活用した町割が行われました。その薩摩独特の町割を残す数少ない地域だそうで、計画的な町割の道が当時のまま残され、屋敷には石垣や生垣としてイヌマキ(常緑の高木)を用いた武家門を配しています。
ちなみに明治初期の調査では、士族が人口の66%も占めていたといい、武士が数多く住んでいた地域でした。彼らは精兵として知られていたそうです。
通りの丁字路の突き当りに「石敢當(いしがんとう)」と刻まれた石碑を見つけました。沖縄でよく見かけるものですね。これは「魔よけ」なのだそうで、もともと中国が発祥といい、沖縄や奄美で見かけたことがありましたが、鹿児島県にも分布するのだそうです。
「石敢當」の名前の由来は、後漢時代の武将の名前だとも、名力士の名前だともいわれています。また石の持つ力に関係する石神信仰との説もあるそうですが、詳しくはわかっていないのだそうです。
上の写真は「御仮屋門」と呼ばれています。蒲生郷の行政・軍事を司った地頭仮屋の正門にあたります。文政9年(1826年)3月に再建されたものだそうで、20年ほど前に現在地に移されたそうです。
どうやらこの蒲生郷は江戸以前から薩摩・大隅の交通の要所として、江戸時代は農・林・工業の中心地として栄えていたのです。さらに平安時代にはすでに「蒲生」の名前が日本後記に出てくるそうです。
日本一の大楠 蒲生八幡神社のご神木
さて、蒲生八幡神社も古い社でした。平安後期の1123年に建立されたといいます。そして大楠は、その時点でもすでに巨木として知られていたようです。
鳥居をくぐって参道を歩いてゆくと、左手に大きな楠がありました。そこそこの大きさではありますが、樹齢1500年にしては少し小さいようです。
楠のかたわらに案内板がありました。「日本一の大楠は境内の奥左側にあります」と書いてあり、右を指し示す矢印もありますね。
本殿前の広場にやってくると、ありました! 本殿の左に巨大な木がありました。これが大楠です。楠は四方八方にごつごつ曲がりくねって伸びる枝ぶりが特徴的ですが、この楠は根元や幹の太さも尋常の大きさではありません。
まるで“火の鳥”が羽ばたくよう
まるで巨大な“火の鳥”がたくさんの羽根を天に伸ばして羽ばたこうとしているように見えます。じっさいに“火の鳥”は見たこともありませんし、木なのですが、鳥のように羽ばたいていまにも飛び立ちそうなのです。
樹齢1500年といわれ、根周り33.5m、目通り幹囲24.22m、そして高さ約30m、日本で一番大きな楠です。昭和27年(1952年)に国の特別天然記念物に指定。しかも環境庁が昭和63年(1988年)に実施した巨樹・巨木林調査で日本一に認定されたのです。ちなみに、巨木巨樹の指標になるのは幹の周囲の大きさなんです。高さではなく、幹回り、この大楠の場合24.22mが日本一なんだそうです。
たしかに大きな根元です。もりもりと盛り上がっていますね。周囲33mを超える根元部分には、直径4.5m(8畳分)もの大きな空洞があるのだそうで、裏側に回ってみると、空洞になった根元への入口らしきものがありました。なんとまあ、人が住めそうです!
蒲生八幡神社は、保安4年(1123年)領主だった蒲生上総介舜清(かもうかずさのすけちかきよ)が、豊前の宇佐八幡宮を勧請して、この地に建立したといいますが、その時すでに「蒲生のクス」はご神木として祀られていたともいいます。たぶん大楠があったからこそ、この地に神社を建てたのかもしれません。
伝説では、奈良後期から平安初期の公家で官僚でもあった和気清麻呂(わけの・きよまろ)が政争に巻き込まれて大隅半島に流刑されたとき、蒲生を訪れて、手にした杖を大地に刺したところ、それが根付いて大きく成長したものがこの大楠だともいわれているそうです。
近づいて見上げると、四方八方にたくさんの枝が伸びて鬱蒼と葉が茂り、そのなかで多様な植物も育っています。ひとつの樹木でありながら森を形成し、ひとつの生態系を作っているような気配なのです。
とはいえ、年老いた巨樹はあちこちの枝を支柱に支えられています。きっと老化した枝が折れやすくなっているのでしょうね。
葉っぱを見るとみずみずしく、ところどころに新たな実を付けています。年老いた樹木であっても、まだまだ生命力を感じます。
未知の土地の知らないことばかりの巨樹でしたが、訪ねてみるといろいろな発見があります。見知らぬ土地を訪ね歩く・・・旅の楽しさのひとつです。コロナ禍が収束したら、また遠くを旅してみたいものです。
[All photos by Masato Abe]