※コロナ禍なので実際はマスクをしていますがマンガでは人物のマスクは省略しています
七輿山古墳は周辺の地形を利用して作られた国指定史跡の前方後円墳です。全長150m、高さは16m、三段築成で、6世紀前半に作られたと考えられています。6世紀代の古墳としては東日本最大級、全国でも第3位の大型の古墳です。
1位は考古学的に継体天皇と推測されている今城塚古墳(大阪府高槻市)で、2位は古代の地方豪族・尾張連草香の墓とされる名古屋の断夫山古墳。七輿山古墳と断夫山古墳は同じ設計で造られたといわれています。
これだけの大きさの古墳でありながら、内部の発掘はされておらず、レーダーによる調査が行われています。2017年の調査では大規模な石室の存在が推定されています。おそらく、ヤマト政権の直轄地であった藤岡を収めた実力者の墓ではないかといわれています。
七輿山古墳は5世紀前半から6世紀前半に建てられた白石古墳群のうちのひとつの古墳で、周囲にはいくつもの古墳があります。七輿山古墳から南に向かって白石稲荷山古墳までの間は「毛野国白石丘陵公園」として整備されていて、ちょうど真ん中の位置に「藤岡歴史館」があります。
我が家は夏に訪れたので、入口付近は結構な草が生えていました。春になると桜の名所だそうです。古墳は中に道があり、周辺のみなさんが手入れをしているということで、真夏でも登りやすくなっていました。・・・が、階段や石段などはなく、ちょっとした山登り気分を味わいました!歩きやすい靴で虫除けをしてから行くのがおすすめです。
そしてなによりびっくりしたのが、首のないお地蔵様達でした。
えっ、ここは心霊スポット!?と思ったのですが、七輿山古墳自体にはこの首なし地蔵については全くなんの説明もありません。帰ってからネットで調べたところ、お地蔵様ではなく「五百羅漢」ということでした。諸説ありつつ、明治時代の神仏分離・廃仏毀釈では・・・といわれてることもありましたが、どうもそうではなさそうです。
200年近く前の江戸時代、七輿山古墳の近くにある宗永寺の住職が、七輿山古墳を仏教の聖地にしようと五百羅漢や釈迦像を安置したのですが、周囲の住民と合意を取っておらず反感をかい、破壊されてしまった・・・ということでした。
そして、その後、住民の間に流行り病が蔓延し「仏様の祟りだ」と恐れられ、住民達は謝罪をして仏像の首を直し和解をしたらしいのですが、そこからさらに月日がたち、今は首のない仏像だけが残っている・・・ということでした。
・・・やっぱり「祟り」の話がありましたね。しかし、それも200年以上たち、祟りも仏罰も終わっているようです。ちなみに首のない仏像が並んでいるのは、かなりぎょっとしましたが、そんなに怖い場所ではなかったです。もう祟りはなさそうです。
藤岡歴史館には、七輿山古墳から発掘された7条突帯の円筒埴輪が展示されています。シュッとまっすぐで、かっこいい円筒埴輪です。そして、2018年に行われた「群馬HANI-1(はにわん)グランプリ」でグランプリをとった「笑う埴輪」が展示されています。
ものすごい笑顔なので、見てるこちらもハッピーになれます。そして、群馬県でも「古墳カード」の配布をしています。行った古墳の写真を見せるとカードがもらえます。我々は藤岡歴史館で七輿山古墳のカードをゲットしました。ただ、群馬県は広いのでコンプリートはかなり大変です。我が家は訪れた古墳の記念にカードもゲットできたらラッキーという感じにしました。
ちなみに、古墳カード用のアプリ「ぐんま古墳探訪」もあります! 群馬県の本気の「古墳でのおもてなし」を感じますね!
次回も群馬の古墳をご紹介します。
住所:群馬県藤岡市上落合
[All Photos by Mizutani salucoro]