広大な荒野を緑に変えた「御柳(ギョリュウ)」
アフガニスタンで医療活動と人道支援に取り組んできた中村哲さんが亡くなって2年。現地の人びとの暮らしを支える灌漑計画と、中村さんたちが植林していた樹木が気になっていました。後でわかったのですが、御柳は現地で重要な役割を果たしています。
砂漠を緑に変えた木とは何だったのか。日本のどこかで出会うことはできないかと探しました。最新刊「わたしは『セロ弾きのゴーシュ』」(NHK出版)も拝読しました。中村さんの言葉がとても響きます。ですが、植林した樹木は「柳」としかわかりません。
その後、その樹木が御柳とも紅柳もいう、シダレヤナギのような樹木だと、ようやくわかりました。正確にいえば、ヤナギとは異なる、ギョリュウ科という品種らしいのです。
そして見つけました。神奈川県鎌倉市大船の「日比谷花壇大船フラワーセンター」にあったのです。その後、日本各地にかなりの数が植栽されていることもわかりましたが。
JR横須賀線大船駅の西口を出ると、歩道橋の上から大船観音が見えます。線路沿いに南西に向かいます。住宅街を歩いて15分ほどの場所です。
ギョリュウ科の仲間は50種以上あるらしく、中国からユーラシアやアフリカの乾燥地帯の水辺に分布しているといい、塩分にも強いそうです。葉は小さい鱗片状で針葉樹のように見えるそうです。中国では「紅柳」あるいは、年に3回も花が咲くことで「三春柳」ともいい、楊貴妃が好んで植えさせていたという話も伝えられています。英語では「タマリスク(Tamarisk)」と呼ばれます。
日比谷花壇大船フラワーセンターへ
入口が見えました。「日比谷花壇大船フラワーセンター」とあります。もともとは神奈川県立大船フラワーセンターといいましたが、2018年に日比谷花壇がネーミングライツを取得してリニューアルオープンしたとのこと。入場料は大人400円でした。
当然ですが、植物園の雰囲気です。入口を入った広場にはハス池に噴水があります。ギョリュウを探しながら、まずはひと通り園内を歩いてみました。
園内にはバラ園もあり、たくさんのバラが咲き乱れていました。上の写真は「プリンセス・ミチコ」といいます。
1966年イギリスのディクソン社から上皇后美智子さまに捧げられた花として、多くのバラ園で植栽されているといい、すっくと立って大きく美しい花が見事です。
このバラ園には約370品種、1,200株のバラが植栽され、春と秋の見頃の時期にはバラの香りが園内を包み込むといいますが、たしかにいい香りが広がります。
御柳との初めての出会い
訪れる前に電話で御柳が植栽されている場所は訊いていたのですが、歩いてみてもわかりません。そこでもう一度インフォメーションセンターを訪ねて、あらためて場所を訊き直しました。
教えてもらった場所は、上の地図の左上、「ハナモモ」とある場所の周辺だといいます。正門から入って左手奥になります。
ようやく見つけました。たぶんこの樹木です。ハナモモらしき樹木の後ろに隠れて、しかも表示がないのでわからなかったのです。写真で見ていた樹木、御柳(ギョリュウ)です。ちょっと興奮しました。とはいえ、たぶん誰もこの木に出会えたことで感動する人はいないかもしれません。
近づいて枝葉を見ると、たしかに針葉樹のように細く小さい葉があるのですね。モワモワしています。遠くから見るとシダレヤナギのようにも見えますが、近くで見るとしなやかな針葉樹といった印象。
とはいえ、不思議な感動を覚えたのです。そして時空を超えて砂漠の水辺を思い浮かべました。
アフガニスタン支援に命を捧げた中村哲さん
中村哲さんは1946年に福岡県に生まれました。九州大学で医学を学び国立病院勤務の後、パキスタンやアフガニスタンで医療活動を行ってきました。しかし2000年にアフガニスタンで発生した大干ばつで農地の砂漠化が進み、さらに戦乱が畑を荒らしてゆきました。
飢餓に苦しみ故郷を捨て都会に出てゆく人々や、麻薬の原料となるケシの花の栽培に手を出す農民を見て中村さんは心を痛めます。そんななかで地元民の暮らしの基本となる水を得るために農業井戸を掘り始めたのです(その数は2006年までに1,600ヶ所を超えたそうです)。
パキスタンの医療活動に取り組む中村哲さんを支援したのが、1983年に結成された非政府組織ペシャワール会。中村さんはその現地代表となり、パキスタンやアフガニスタンで活動を続けてきました。
そうして2002年、中村さんらペシャワール会は、アフガニスタン東部のガンベリ砂漠3,000ヘクタールの田畑を長い水路によって潤し10万人の生活を支える大事業「緑の大地計画」をスタートさせました。中村さんはこの事業は「平和運動ではなく医療の延長」つまり現地の人々の命を救う行為だと語っています。
ガンベリ砂漠の灌漑緑化計画 御柳の役割
完成した部分から水を通して少しずつ伸ばした水路は難工事の末、2010年25kmに伸び、ついに砂漠に到達したそうです。水路は「マルワリード(真珠)用水路」と名づけられ、緑が再生し、流域に人が戻り、60万人の暮らしを支えるまでになったといいます。
そして御柳について。御柳はこの水路の周囲に長い根を延ばし、水路を包むようにして土を守っているのだそうです。重要な役割です。しかも緑を作り出すことで土地が荒れるのを防ぎ、新たな生態系も作り出し、人びとに憩いの場を提供してくれるのです。
ちなみにこの水路は、江戸時代に造られた福岡県の農業用取水口「山田堰(せき)」をモデルにしているそうです。日本古来の土木技術で石を積み上げ、急流に逆らわず取水する方法だといいます。
乾燥しきった無人の荒野が緑の森に変わり、人々の暮らす声や音が聞こえ、牛や犬の鳴き声も聞こえるようになったといいます。
大船を訪ねたこの日、強い風が吹いていました。この御柳の木も風に大きく揺れています。不思議な気分ですが、ガンベリ砂漠で風に吹かれているような錯覚を覚えました。ここは街なかで車や生活音が聞こえますが、それがガンベリで暮らす人々の声や生活音のように聞こえたのです。
アフガニスタンに安定と平和を
そして2年前の2019年12月4日、中村哲さんは武装集団に襲撃され亡くなりました。犯人はまだ捕まっていません。たいへん残念なことです。命がけで医療支援、人道支援を続けてきた中村さんの志が断ち切られてはたまりません。
木の上の方を見ると、花らしき痕跡が残っています。それとも蕾でしょうか。ギョリュウの花は春と秋、枝先に桃色の1mmほどの小さい花をたくさん咲かせるといいます。ひょっとしたらその花の名残かもしれません。少しだけ残ってくれていたのかもしれません。
タリバンが政権を握ってからもアフガニスタンは混乱しています。アフガニスタンの人びとのことが気になります。政変で亡くなる方、そして命の危険にさらされている方、また仕事を失い飢えに苦しむ人々も大勢いると聞きます。
国連グテーレス事務総長の声明では、人口のほぼ半分の1,800万人が人道支援を必要とし、5歳未満の子どもの半数以上が、今後1年間で深刻な栄養不良に陥ると予想されるといいます。
御柳が植栽された場所から近い芝生広場。木陰で憩うのは気持ちよさそうでした。
アフガニスタンではタリバンが権力を握ったことで平和医療団(PMS)の活動が一時中断していましたが、8月21日には診療所が、9月2日には灌漑事業が再開されたとのことです。とはいえ、今後のゆくえは楽観視できません。そしてアフガニスタンの平和と安定を願わずにはいられません。
[All Photos by Masato Abe]