漁業とマンガ・アニメの街「石巻」
仙台駅から仙石東北ラインの快速に乗ると、1時間もかからずに石巻駅に到着です。石巻へは初めての訪問。石巻といえば、漁業の街のイメージ。魚がおいしいところですね。
石巻駅のホームでは仮面ライダーやサイボーグ009が迎えてくれます。そう、石巻市は故・石ノ森章太郎さんの「萬画」で町おこしをしているのです。駅から徒歩10分ほどのところに「石ノ森萬画館」があります。
石ノ森さんの生まれ故郷は石巻市の北に位置する登米市(旧・石森町)ですが、中高生のころ、石巻の旧北上川河口の中州にあった映画館・岡田劇場に通いつめ、映画にのめり込んでいたそう。そのため石巻は第二の故郷だったといいます。
そして石巻の町おこしのために地元の人々と協力して、2001年、岡田劇場があった場所の近くに「石ノ森萬画館」が建てられたそうです。館内は見事な石ノ森ワールド。
しかし周辺には、いまも目立った建物はありません。東日本大震災では、石ノ森萬画館も大きな被害に遭いました。ガラスを突き破って襲ってきた津波で、1階の6.5mの高さまで浸水。そこにあったものはすべて川へ流されてしまったといいます。
スタッフや全国からやって来たボランティアの手によって瓦礫とヘドロの除去などを行って、ふたたびオープンできたのは1年8カ月後、完全オープンとなったのは2年後のことだったそうです。現在は、ふたたび石ノ森ワールドで石巻の町おこしをしようと頑張っていました。
もうひとつ頑張っているのが、石ノ森萬画館の対岸にある「いしのまき元気いちば」。2017年に新しく建てられた観光物産館で、地域の海産物や農作物を直売していました。2階には食堂もあります。せっかくなので石巻の海産物をたくさん買って宅配便で自宅に送りました。少しでも応援したい気持ちです。
市民の避難先だった「日和山公園」
続いて日和山公園に向かいました。いしのまき元気いちばから、徒歩20分ほどでしょうか。この日和山公園は東日本大震災時に多くの人が避難して助かった高台です。
途中、市内を通り抜けて歩いてみました。いまも虫食い状態になった街並みが広がります。被災して店を畳んだり、移転した店も多いのでしょう。胸が痛みます。
日和山公園は旧北上川の河口に位置する高台で、標高は60mほどといいます。急坂を登っていきます。
人口16万人あまりだった石巻市。東日本大震災での犠牲者はおよそ4,000人。震災そして津波の時、どれだけの人がここに逃げてきたのでしょうか。その数ははっきりとはわかりませんが、大勢を救った「命の山」として知られるようになりました。
上の写真は、高台にある松尾芭蕉と曽良の銅像。江戸時代、千石船の出航の日和を見る場所や航路目標の重要な場所だったと考えられ、芭蕉も『奥の細道』の旅で日和山を訪れていたのです。
日和山は石巻市内を一望できる場所として知られており、眼下には広く太平洋が広がっていました。
住所:宮城県石巻市日和が丘2丁目地内
電話:0225-95-1111(石巻市観光課)
公式サイト:https://www.city.ishinomaki.lg.jp/cont/10452000b/-kanko/-kankomap/d0050/20130224152525.html
日和山から「旧門脇小学校」へ
多くの犠牲者が集中した南浜地区(南浜町、門脇町及び雲雀野町)。旧北上川河口に位置するこの南浜地区は、津波の襲来とその後に発生した火災の延焼により、500人以上が亡くなったといいます。
日和山から南浜地区に下りてくると、小学校がありました。旧門脇小学校といい、東日本大震災では、地震の発生から58分後に津波が海岸に押し寄せ、その2〜3分後、たちまち小学校に達したそうです。1階部分が浸水し、直後には大規模な火災にも襲われました。学校に残っていた児童224人は日和山に逃げて無事でしたが、下校した児童7人は津波の犠牲になったといいます。
石巻市では震災の教訓を伝えるため、3階建ての校舎の一部を震災遺構として整備していました。訪れたときはまだ見学できませんでしたが、2022年4月3日から一般公開されたとのことです。
称法寺を守った「イチョウの木」
門脇小学校の東に「称法寺(しょうほうじ)」というお寺がありました。境内に大きなイチョウの木が見えたので立ち寄ってみました。
お寺の公式サイトを拝見すると、地震のあと、本堂と会館、庫裏の1階部分に津波で流されてきた大量の漂流物が入り込み、会館の窓には大木が刺さり、お寺をお手伝いされていたひとりの僧侶が亡くなったとあります。
ここには鐘衝きのお堂があったのでしょうか。しかし土台だけ残されて上の部分はありません。
津波によって大きな被害を受けたそうですが、土砂やがれきに埋まった墓石はボランティアや石材業者の方々が掘り出してきれいにして、寺に戻すという作業をなさったといいます。
とはいえ、そのまま放置されたお墓もありました。墓を建てた家族が亡くなって修繕する人がいないのかもしれません。
そんな称法寺の本堂の傍らには、1本のイチョウの木が佇んでいました。
ご住職の報告によれば、このイチョウの木のおかげで本堂が守られたそうです。津波に流され押し寄せてきた家屋や漂流物が、このイチョウの木で留まったことで、お寺の本堂が倒壊を免れたのです。それが励みになっていると記されていました。
もう1本、本堂の裏にも立派な松の木が残されていました。この松の木も津波に負けず生き残ったに違いありません。こんな自然の脅威に負けない樹木たちに少し勇気づけられます。
多くの人びとの命を奪った巨大地震と大津波。まだまだ傷跡は生々しいものでした。そして再建はまだ始まったばかり。イチョウの木を見上げながら、歯を食いしばって奮闘している地域の方々に心から声援を送りたいと思いました。
海岸に広がる「石巻南浜津波復興祈念公園」
こちらは南浜地区の海岸高台にあった震災前の南浜の写真。周辺には住宅が密集していた様子がわかります。元の姿は消えてしまったのです。
南浜は地震と津波だけでなく、その直後の火災、さらには地盤沈下の被害を複合的に受け、東日本大震災によって引き起こされた平野部での被災を象徴する場所となっています。
2022年現在、海岸一帯は「石巻南浜津波復興祈念公園」として整備されています。公園内には慰霊碑があり、墓碑銘が刻まれていました。
こちらは2021年6月にオープンした、公園内の「みやぎ東日本大震災津波伝承館」。被害の全体像を伝えるパネルや、津波の映像、命を守るための避難行動がいかに大切だったのかを訴える住民証言の映像シアター、そして被災者による震災当時から現在までの証言映像などが展示されていました。
とても印象的だったのは、地震や津波の前と後で同じ場所を撮影した写真でした。地震と津波の後には、ほとんど何も残されていません。想像を絶する津波の恐ろしさ。一目瞭然なのです。
この津波伝承館の脇に小さな祠が残されていました。不思議な光景でした。かつては住宅が密集するに祀られていたものでしょう。
「善海田(ぜんかいた)稲荷」とあります。もとは北上川の河口の守護として「善海明神(よしうみみょうじん)」や「川口明神」と呼ばれたらしく、日和山にある鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)の境内にもお祀りされています。海岸の祠の方が歴史は古いようですが、いつごろ誰がお祀りしたのかはわかっていないそうです。
でも、このお稲荷さんはかつて住民たちの暮らしとともにあった、身近な神さまだったに違いありません。
園内にはたくさんの松、それも黒松が植えられていました。なぜ黒松なのか想像するに、石巻の「市の木」だからかもしれません。海岸部に植林して防砂林や防風林として、また将来の津波に備える防災林の役割もあるのでしょう。
とはいえ、この場に立つと亡くなった方々への供養のための植樹に思えたのです。1本ずつが亡くなった方々ひとりひとりの命に思えます。そして復興にかける思い。植樹された黒松に向かって手を合わせました。
[All Photos by Masato Abe]