【お祭りトリビアまとめ】ねぶた祭・祇園祭など有名なお祭りから全国各地の「奇祭」まで!

Posted by: TABIZINE編集部

掲載日: Jun 20th, 2023

全国各地の有名な祭りに目を向け、その価値や見どころ、知識を取り上げる「お祭りトリビア連載」。全国的に有名な「ねぶた祭」や「祇園祭」から、エキセントリックな「奇祭」まで、全国各地のさまざまなお祭りや、お祭りに関するトリビアをまとめてみました。耳にしたことはあるけど訪れたことがない有名なお祭りも、皆さんが例年楽しんでいるお祭りも、これを読めば今まで以上に奥深く味わうことができるかもしれません。


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「ねぶた祭」の「ねぶた」って何?


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東北を中心に各地にある「ねぶた祭」。青森市で毎年8月に開催される青森ねぶた祭が突出して有名なので、ねぶた祭=青森ねぶた祭との理解になってしまいがちですが、巨大な張りぼて人形を引きまわす青森ねぶた祭は「ねぶた祭」の1つです。

では「ねぶた」とは何なのでしょうか。

「ねぶた」を辞書で調べると似た言葉で「ねぶたい」が出てきます。清少納言『枕草子』でも「いみじうねぶたしと思ふに」と書かれているように、<ねむたい。ねむい>(岩波書店『広辞苑』より引用)との意味があります。

『精選版 日本国語大辞典』には、<植物「ねむのき(合歓木)」の異名>とも書かれています。ネムノキとは、夜になると葉っぱが閉じて垂れる植物で、この葉っぱで目をこすると、睡魔を追い払えるとの考えから、仕事の眠気を覚ますためにネムノキの葉で目をこすって流す「眠た流し」という習俗が存在したそうです。

その「眠た流し」の習俗と、お盆に霊を送る火祭りが結び付き、次第に各地で風流化して、現在のねぶた祭へと発展していったと考えられています。
 


 

祇園祭は京都だけじゃない!「祇園祭」


京都タワーのある駅前から見て東側、京都市東山区には祇園と呼ばれる地区があり、毎年7月になるとこの一帯では「祇園祭」が行われます。

実は、京都以外でも祇園祭は行われており、全国各地で祇園祭が存在しているのです。そもそもこの「祇園」とは何なのでしょうか?

「祇園」は、神の名前から来ています。「祇園の神」を調べてみると、<牛頭(ごず)天王(素戔嗚尊(すさのおのみこと))・八王子宮(素戔嗚尊の五男三女)と少将井の宮(奇稲田姫(くしなだひめ))>(『広辞苑』より引用)とあります。

牛頭天王とは、<疫病を鎮める強い力をもつ疫病神>(『世界大百科事典』より引用)。その力に頼って、流行する病を鎮めてもらおうと御霊会(ごりょうえ)が行われてきました。御霊会とは、<疫神や死者の怨霊などを鎮めなだめるために行う祭り>(小学館『大辞泉』より引用)です。

たたりや呪いが疫病を引き起こすと考え、怒る神を鎮める、あるいは神の力で怒る悪霊を退散させるために、大昔の人たちは熱心に祈りました。その御霊会が、京都の祇園祭の発端とされているのです。
 


 

自由でにぎやかなお祭り「よさこい祭り」


「よさこい祭り」が高知で生まれた時期は1950年代です。1945(昭和20)年に空襲があり、翌年に昭和南海地震が起きて、戦後の不況も重なり、高知の人たちは大変苦労していました。

そこで、商店街に顧客を呼び込む・人が集まってくる何かを仕掛けようとの機運が高まり、地元の商工会議所観光部会の人と、戦時中に高知に疎開して定住した作曲家が主導し、各流派の舞踊の先生たちが協力して、愛媛の阿波おどりに負けない地元の祭りづくりが動き出します。

祭りが生まれる過程では、古くからの民謡『よさこい節』を取り入れた『よさこい鳴子踊り』が作曲されます。さらに、400年の歴史を持つお隣愛媛の阿波おどりに対抗するために、派手でにぎやかな祭りづくりの工夫で鳴子(なるこ)を使う踊りが考案されました。

その後よさこいは各地に広まりますが、鳴子を使う、土地の民謡を取り入れるという2点は共通しています。その一方で、型にはまらない自由さも尊重されています。

厳しいルールや縛りは設けずに、みんなが参加でき、音楽も好きに変えられる、そんな自由奔放な気風も、全国の「よさこい祭り」の共通点なのかもしれませんね。
 


 

全国の七夕祭りの原型は?


七夕祭りといえば、東北三大祭りの仙台七夕まつりが有名です。ほかにも、東京の「阿佐ヶ谷七夕まつり」、埼玉県の「入間川七夕まつり」、富山県の「高岡七夕まつり」や「戸出七夕まつり」など、各地にあります。

もともと日本の七夕は、乞巧奠(きこうでん)という中国の七夕行事が原型だったと『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)に書かれています。

乞巧奠(きこうでん)とは、中国から平安時代ごろに伝わった行事で、農耕に一生懸命な牽牛(けんぎゅう)=アルタイルと、技芸に優れ機織りを欠かさなかった織女(しょくじょ)=ベガの2つの星をあがめる祭りです。2つの星に技巧の教えを乞う祭典(奠)が乞巧奠(きこうでん)です。

この中国由来の風習が、日本独自の棚機津女(たなばたつめ)と結び付いて七夕が生まれたといわれています。
 


 

江戸時代からの名残が続く天下祭り「神田祭」


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東京を代表するお祭りのひとつ、神田明神の「神田祭」

神田祭は天下祭りであり、この場合の「天下」とは江戸時代の徳川家の天下を指します。旧暦の9月15日(新暦の10月半ば)に行われた祭りでは、庶民が江戸城内に山車やみこしを入れられました。

江戸時代は完全な身分社会です。その世の中で、江戸城内に入り込める上に、将軍に直接観てもらえるとあって、江戸っ子は大いに粋がりました。その結果、山車やみこしの装飾が派手になっていきます。

一方で、赤坂にある日枝神社の山王祭も天下祭りでした。神田祭と山王祭は次第に競い合うようになり、歯止めが利かなくなったので、1681年(天和元年)に町民の負担を軽くするべく、1年おきに神田祭と山王祭が交代で祭りをするようになりました。

その名残は今も続きます。神田明神は1年ごとに本祭りと陰(かげ)祭りを開催し、神田祭が陰祭りの際には山王祭の方が盛大になるのですね。
 


 

京都最古の祭り「葵祭」はなぜ葵?


京都最古の祭り「葵祭(あおいまつり)」。<古来、祭と言えば葵祭を意味した>(岩波書店『広辞苑』より引用)というように、一時期まで祭りの代名詞でもあった京都の代表的な祭りです。

なぜ葵(あおい)が祭りの呼び名になっているのでしょうか。葵祭を見ればわかるように、祭りの関係者や社殿に葵が飾られています。

その理由は、下鴨神社と上賀茂神社の総称である賀茂社の神紋が賀茂葵(フタバアオイ)で、ゆかりの植物であるためにモチーフとなっているから。当日の警備にあたる警察官の帽子にも葵が飾られるようです。

祭りのクライマックスは「走馬(そうま)の儀」で、1500年以上前の祭りの起源と同じく馬を走らせ、天下太平と五穀豊穣を願い、締めくくります。
 


 

男女の性器がご神体!?全国各地の「奇祭」


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男性器や女性器を祈りの対象とした祭りが全国には数多く見られます。例えば、福井県の「八朔祭り」、三重県の「ごんぼ祭り」、新潟県の「ほだれ祭」、愛知県の「豊年祭」、神奈川県の「かなまら祭」、徳島県の「姫神祭」など、さまざま。

性器を象徴的に(あるいはリアルに)再現した造形物を崇拝する人の振る舞いは、性器崇拝・生殖器崇拝と呼ばれています。

<生殖器(性器)に対する崇拝で、生殖器のもつ神秘的な力、とくに生殖器により象徴される生産力、豊穣(ほうじょう)力に対する信仰>(小学館『日本大百科全書』より引用)

日本だけの独自の文化ではなく、一定の農業文化が育った土地では当たり前に見られる信仰の姿なのだとか。

例えば、インド、ネパールなどのヒンドゥー教が盛んな土地でも性器崇拝が盛んで、チベット、中国など、仏教系の性崇拝物が日本にやってきたルート上でも見られるといいます。

日本の場合は、仏教系の性器崇拝に加え、神道系の流れもあるらしく、いずれにせよ五穀豊穣(ほうじょう)の儀礼は世界各地で性と密接に関係してきたと知られています。
 


 

「盆踊り」の起源や由来は?


夏祭りの楽しみ「盆踊り」。いくつかの百科事典を読み比べると、その歴史や由来が詳しく書かれています。

『日本大百科全書』(小学館)にも『世界大百科事典』(平凡社)にも『ブリタニカ国際大百科事典』(ブリタニカ・ジャパン)にも共通して書かれているポイントは、

  • 老若男女が大勢参加する踊り
  • 盂蘭(うら)盆の時期に屋外で踊る
  • 近年は、共同体の娯楽行事になっている

といった点です。盂蘭(うら)盆とは仏事です。つまり、仏教の儀式。7月13日~15日を中心に行われ、死んだ祖先の供養(死後の世界の苦しみから救済する)を目的とします。

仏教儀式の盂蘭(うら)盆が広まる前に、固有の習俗が日本にはいくつもありました。

例えば、稲作の敵である害虫を村の外へ追い出す虫送りの「呪術的儀礼」や、稲の開花時期に豊作を祈る「豊年踊り」、旧暦7月の満月の下で男女が集まり踊りながら配偶者を求める「歌垣(うたがき)」の習俗などなど。

さらに、旧暦の正月と7月には先祖の霊がこの世を訪れるため、歓待した後に子孫たちで踊ってあの世に先祖を送り返すような精霊観もあったと言います。

これら日本独特の考え方と原始舞踊が、後に渡来した仏教の盂蘭(うら)盆と折衷・調和し、日本中で親しまれる年中行事=盆踊りに発展していったと考えられます。
 


 

地域に根差した伝統行事「岸和田だんじり祭」


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全国的にも知名度の高い岸和田だんじり祭。「だんじり」とは、東京でいう山車や屋台、みこしを意味する言葉です。例えば、江戸の神田祭(かんだまつり)はみこしが中心ですが、かつては山車が主流でした。その山車を関西では「だんじり」と呼びます。

両手にうちわを持って屋根の上で指示を出す人や、その指示に従って勢い良くだんじりを曳き、道路の角で豪快にやり回すワイルドな群衆の姿、さらに『岸和田少年愚連隊』などのイメージも重なって、やんちゃな印象が先行しているのかもしれません。

しかし、祭の運営には、地域の老若男女が参加して各年齢層ごとに役割を担い、幅広い世代で統制のとれた組織をつくっているとも知られています。少年団・青年団・組・若頭など、昔ながらのコミュニティが祭りによって維持されている、地域に根差した伝統行事なのです。
 


 

お祭りのような盛大さ!「精霊流し」

長崎県精霊流し
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長崎を中心に、佐賀・熊本など、県境を接した都道府県の一部の地域でも行われている伝統行事「精霊流し」。毎年お盆の終わりに行われる灯籠流しと言葉は似ていますが、精霊流しは「盛大に行う」ので、ずいぶんと雰囲気が異なります。

何が盛大かといえば、爆竹の存在が挙げられます。お盆前に亡くなった故人の遺族が、遺影などを飾った精霊船をつくり、決まった時間に流し場へ持ち込みます。

精霊船の大きさもけた違いです。最大で全長10m以内と決められてはいますが、巨大な船に家紋や家名が掲示され、個人の写真や趣味などが飾り付けられます。

長崎市の場合、8月15日の夕方になると主要な道路に交通制限が掛かり、路面電車すら止められて、精霊流しのために道路が開放されます。その間は、流し場までの路上を大小さまざまの精霊船が占拠。移動中に遺族が鐘を鳴らし、爆竹をまき散らします。正確に言えば祭りではないですが、ある意味で祭りのように見物人も集まるのです。
 


 

博多どんたくの「どんたく」はオランダ語が語源

博多どんたく1
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博多三大祭りの1つ「博多どんたく港まつり」。「どんたく」とは一体何なのでしょうか?

『ブリタニカ国際大百科事典』で「博多どんたく」を調べると、「どんたく」はオランダ語の「zondag」から来ていると書かれています。『Cambridge Dictionary』の蘭英辞書を調べてみると、品詞は名詞で意味は「Sunday(日曜日)」と書かれています。小学館の『日本大百科全書』によると、「日曜日」の意味が日本では転じて「休日」の意味を持つようにもなったようです。

江戸時代から日本には「一六ドンタク」という言葉があり、毎月1と6の付く日(1日、6日、11日、16日、21日、26日)は休日とされていました。明治新政府も、1876年(明治9年)に休日を日曜とするまで、毎月1と6の付く日を官公庁の休日としてきました。

「博多どんたく」の名称が祭りに採用された時期は、1879年(明治12年)。まだまだ一六ドンタクの考えが色濃く残っていた時代だと考えられます。この辺りの文化が、祭りの名前に影響を与えたのかもしれませんね。
 


 

古い街並みを舞台とした情緒あるお祭り「おわら風の盆」


「おわら風の盆」は、毎年9月1日から3日間行われる富山市のお祭りです。青森ねぶた祭や阿波おどりを「動」の祭りだとすれば、おわら風の盆は「静」の祭りといった感じ。古い街並を舞台に、おわら節を静かに踊り歌う男女の姿が、情緒たっぷりの雰囲気を漂わせ、見る者をうっとりとさせます。

「おわら」という名前の由来については、富山県三大民謡の1つである盆踊り歌「越中おわら節」から来ていて、祭りでもこの「おわら節」が奏でられ、歌われ、踊られます。「おわら」そのものの起源は、お米づくりの作業である「わら打ち」、「お笑いごと」、小原(おわら)村の娘が歌った子守歌など諸説あるようです。

一方で、「風の盆」は、立春(現在の2月4日か5日)から数えて210日目にあたる9月の頭に、台風もなく平穏なまま、実り豊かなお米の収穫を祈る行事を意味しています。おわら節に合わせたおわら踊りで風神を鎮める狙いもあるのだとか。
 


 

誰にもわからない!?みこしを担ぐときの「わっしょい」の語源

神田祭の神輿
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みこしを担ぐときの掛け声「わっしょい」にはどのような語源があるのでしょうか。

『精選版 日本国語大辞典』で「わっしょい」を引くと、泉鏡花の1900年(明治33年)の作品『葛飾砂子』が紹介され、<わっしょいわっしょいと謂ふ内に駆けつけて>(『精選版 日本国語大辞典』より引用)という表現が紹介されています。

「わっしょ」という言い方もあるようで、<大勢で重いものをかつぐ時や激励のためにあげる掛け声>(『精選版 日本国語大辞典』より引用)と説明があります。

しかし、語源については記述がありません。各出版社から出ている語源辞典を片っ端から調べてみても、どこにも掲載されていませんでした。

『江戸神輿』(講談社)には、<朝鮮では神輿をかつぐ時にワッセイワッセイと言うそうで、これの輸入によるものだろう>との記述がありますが、文章は伝聞調で、語尾は「だろう」でした。

しかし、呉善花・崔吉城・著『これでは困る韓国』(三交社)、野平俊水・著『韓国人の日本偽史―日本人はビックリ!』(小学館)、水野俊平・著『韓vs日 偽史ワールド』(小学館)などが、この「わっしょいの語源は朝鮮語」という俗説を否定しています。

「わっしょい」の正確な語源は、今のところ誰も信ぴょう性を持って答えられないようなのです。
 


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