いながきの駄菓子屋探訪17沖縄県南城市「もりのや」町の歴史とともに形を変えながら生きる店

Posted by: 駄菓子屋いながき 宮永篤史

掲載日: Oct 24th, 2020

全国約250軒の駄菓子屋を旅した「駄菓子屋いながき」店主・宮永篤史が、「昔ながらの駄菓子屋を未来に残したい」という思いで、これまで息子とともに訪れた駄菓子屋を紹介します。今回は沖縄県南城市の「もりのや」です。

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子どもたちでごったがえす弁当屋兼駄菓子屋

元々は玉城村という自治体だった場所に、お弁当屋さん兼駄菓子屋があるという情報があったので訪ねてみることにしました。沖縄本島の南東にある南城市。那覇市内から向かうと、さとうきび畑をたくさん通り過ぎ、丘の上を走ると海が見えます。ただ車で走っているだけでも、市街地や観光地とはまた違う沖縄的な情緒を強く感じ、歌や映画に描かれる景色のようでした。
 いながきの駄菓子屋探訪17-2
オキナワインターナショナルスクールの目の前にある、「もりのや」というシンプルでかわいい看板のお店。周辺は、ほかにも公立の小学校と中学校、公民館、体育館、陸上競技場があったので、なんの商売をするにしても好立地であろうことがうかがえます。店内に入ると、外側から見たイメージよりかなり広く、イートインスペースもありました。学校の下校時間になってすぐだったので子どもたちでごった返していて、女性の店主がかなり忙しそうに応対をしています。
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お店の売り物で気になるものがひとつありました。1袋2本入り、20円で売られている「ちんすこう」です。ちんすこうは沖縄土産の定番で、ザクザクしたクッキーのような食感の甘いお菓子。てっきり「お土産用であって地元の人は食べない」というパターンのものだと思っていたのですが、駄菓子として駄菓子屋で売られ消費されている、沖縄のご当地駄菓子だったんです!この事実を知ることができただけでも、沖縄に来てよかったと思いました。
 いながきの駄菓子屋探訪17-4

開店当初はドル紙幣でやり取り

もりのやは、元々は50年ほど前に店主の母親が開いた、日用品を売る商店だったそうです。現店主に引き継がれてからは手芸店となり、その後に弁当の販売、さらに駄菓子の販売もするようになって、大人も子どもも集まるお店になったとのこと。これもまた土地柄を感じるエピソードですが、開店当初は沖縄が本土に復帰する前で、ドル紙幣でやり取りをしていたそうです。
 いながきの駄菓子屋探訪17-5

「目の前のインターナショナルスクールは、前は村役場だったんですよ。だから働いてる人のお昼ご飯に丁度いいかなと思ってお弁当を売り始めて、学校も近いから駄菓子も売り始めたんです。いまは手芸のお店としての形はほとんど残ってないんだけど、コロナのことがあって沖縄でもマスクが全然足りなくなったんですよ。その時に手芸の応用でマスクをたくさん作ったら、皆さんに本当に喜ばれて。形は変わってるけど、ずっとお店を続けてるからいろんなことがあるんだろうね」
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つい最近まで体調が悪く、お店を一旦閉めていたそうです。3カ月ほど「貸店舗」という張り紙をしてシャッターを下ろしていたところ、体調も良くなり、たまたま借り手もつかなかったので営業を再開したとのことでした。訪ねた時期がもっと早かったら、体調が戻らずそのまま閉業していたら、借り手がついて別のお店になっていたら、出会えなかったと思います。駄菓子屋探訪を通じて、またもや旅の一期一会を感じることができたお店でした。

もりのや
住所:沖縄県南城市玉城字當山98
営業時間:9:00~18:00
定休日:土日祝日

[All photos by Atsushi Miyanaga]

PROFILE

駄菓子屋いながき 宮永篤史

Atsushi Miyanaga

駄菓子屋いながき店主。1979年生まれ。経営していた学童保育を事業譲渡し、その後、息子と二人で日本一周駄菓子屋巡りの旅へ。超高齢化や後継者不足、利益率の低さなど、店主から語られる昔ながらの駄菓子屋の窮状を知り、なんとかこの文化を未来に繋げられないかと埼玉県加須市に駄菓子屋を開業。発達障害のシングルファザーですが、周囲の助けもありなんとか楽しく生活しています。

駄菓子屋いながき店主。1979年生まれ。経営していた学童保育を事業譲渡し、その後、息子と二人で日本一周駄菓子屋巡りの旅へ。超高齢化や後継者不足、利益率の低さなど、店主から語られる昔ながらの駄菓子屋の窮状を知り、なんとかこの文化を未来に繋げられないかと埼玉県加須市に駄菓子屋を開業。発達障害のシングルファザーですが、周囲の助けもありなんとか楽しく生活しています。

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