「的を得る」は誤用とも言い切れない
「的を得る(まとをえる)」は、うまく要点を掴むという意味で使われている言葉ですが、一般的には「的を射る」が正しい表現だと説明されています。
「的を射る」と、「道理にかなう」という意味の「当を得る」や、「要点をついている」という意味の「正鵠を得る・正鵠を射る」などが混同された結果、「的を得る」という誤用が生まれたと考えられていて、実際に「的を得る」を誤用だとしている辞書や報道機関も多く見られます。
しかし、「的を得る」は一概に誤用だとも言い切れません。江戸時代の本『尾張方言』(1748年)にはすでに「的を得ず」という表現があったほか、もともと「い」と「え」の区別が曖昧な方言もあります。これにより、本人は「いる」と発音したつもりが、聞き手には「える」と聞こえ、そのまま「える」と伝わっていった、という可能性も考えられます。
また、また、「的を得る」を誤用としていた『三省堂国語辞典』が、第七版(2013年)では「誤用」としていたことを訂正し、誤用には当たらないと改めたという経緯もあります。元々誤用だとしても、多く使われているならば、それも受け入れようという考え方も強いのです。このように、「的を得る」が誤用であると断言できない面があります。
とはいえ「的を得る」を誤用だと考える人は多いため、特に公の場やビジネスシーンでは「的を射る」を使うほうが無難でしょう。
「的を射る」の意味
「的を得る」は誤用だとされることも多いため、特別な理由がない限りは「的を射る」を使いたいもの。そんな「的を射る」は、「うまく要点を掴む」という意味です。
「的」は弓や銃砲の練習のための目標のことで、その「的」を射るというのは、矢や弾を的に向かって放つこと。また、放った矢や弾が命中することです。このことから、「的確に要点を捉える」という意味が生まれました。
その会議で同僚がした質問は、的を射ていた。
「的を射る」の言い換え表現
「的を射る」は、以下の言葉に言い換えることもできます。それぞれ全く同じ意味ではないため、ニュアンスによって使い分けましょう。
「正鵠を得る」
的をついていること。要点、核心をついていること。正鵠は弓の的の中心にある黒い点のことで、転じて物事の急所や要点という意味もあります。「的を射る」の類義語として、同じように使えます。「正鵠を射る」も同じ意味です。
「当を得る」
道理にかなっていて、適切であること。また、要点をしっかりとおさえていること。
「核心をつく」
ものごとの最重要部分をピンポイントで攻めること。議論の根幹となる事柄に言及すること。追及する意味合いでも使われます。
「看破する」
ものごとの真相をみやぶること。また、正しく理解すること。
国語講師。都内大学受験塾・カルチャースクールで講師を務める他、書籍執筆、講演、企業研修、三鷹古典サロン裕泉堂の運営などの活動に取り組んでいる。NHK Eテレ『知恵泉』、NHK‐FM『トーキングウィズ松尾堂』など、テレビ・ラジオにも出演。著書に『大人の語彙力が使える順できちんと身につく本』(かんき出版)や、『大人に必要な読解力が正しく身につく本』(だいわ文庫)など多数。